最近読んだ本の話 vol.40
「最近読んだ本の話」の第40弾です。もう10月半ばですが、私の住む地域ではまだ30℃を超える日もあって、暑いです。今週も最近読んだ本を3冊ご紹介します。
1、深水 黎一郎『名画小説』
13の名画に隠された、驚きの謎、恐怖――秘密が明かされた時、あなたは戦慄する。
『最後のトリック』の深水黎一郎が芸術への深い造詣とミステリーを融合させた傑作短編集。 -Amazonより引用-
名画にまつわる13編の物語です。その絵が描かれた背景などが細かく語られつつ、現代でも物語が別の形で展開していて、面白かったです。ちょっと怖いような物語も多くて、この絵をモチーフにこんな物語を考えるなんて!という驚きがありました。
2、佐藤 亜紀『小説のストラテジー』
「あらゆる表現は鑑賞者に対する挑戦です。鑑賞者はその挑戦に応えなければならない」早稲田大学での講義に基づく小説論。小説における「目的」を達成するためにいかに効果的に「形」を組織し、作り上げるのか。そしていかにそれを読み解くのか。稀代の小説家が伝授する、読む/書くための戦略(ストラテジー)。 -Amazonより引用-
小説を書くことと読むことの話、といったら読みたいよなあと思い、この本を思わず手に取りました。著者が1999年から2005年まで早稲田大学で行った講義の覚書に基づいて書かれています。テキストで読むと何度も読む返すことができますが、講義で1度聞いただけでは私には理解するのが難しそうです。読み手は読む時にその作品を変質させて、自分の言語も変質させる、と書かれてありました。下記に引用します。
p.112 一篇の言語芸術作品を読む都度、読み手はその作品を再編して新しいものを造り上げると同時に、自分自身の言語体系を更新することになる。言語芸術とは読み手に対するそうした挑戦であり、読み手はその挑戦を受けて作品を読み替えつつ、自分自身の言語を変質させる。読む前と同じ作品はそこには残りませんし、読む前と同じ言語のあり方ももうありません。作品を変質させつつ、自分の言語をも変質させる。そこに言語芸術享受の創造性があります。とすれば、書き手と読み手の言語ギャップこそ、享受の創造性を生み出すものだと言うことができるでしょう。
書き手と読み手の言語ギャップが享受の創造性を生み出す、と書かれてあります。読みながら自分自身の言語を変質させているのかあ。どう変わっていくのか、1年前と変わっているのかどうか、時々意識して考えてみようと思いました。
3、李 琴峰『彼岸花が咲く島』
記憶を失くした少女が流れ着いたのは、ノロが統治し、男女が違う言葉を学ぶ島だった――。不思議な世界、読む愉楽に満ちた中編小説。
-Amazonより引用-
砂浜に流れ着いた少女は、その島に住む游娜に助けられます。その少女は記憶を失っていて、どこから来たのかも自分の名前もわかりません。游娜はその少女を宇実と名付けて、宇実は游娜の家に一緒に住み、島の言葉や風習を学びますが…。その島はノロによって統治されていて、ノロは女性しかなれません。島では〈二ホン語〉が話されていますが、女性だけは〈女語〉を学びます。その〈女語〉は、宇実が話す言葉〈ひのもとことば〉と似ていて、二人は何とか意思疎通ができます。游娜と仲が良い拓慈は、宇実とも仲良くなりますが、拓慈は男だからという理由で、ノロになりたくてもなれません。
作品の中に彼岸花がたくさん出てきます。位置的には沖縄の島のようですが、物語の中に沖縄は出てきません。この島では血のつながった親子というものはなく、産まれた子どもは全員集められて2歳までみんな一緒に育てられ、2歳になるとオヤになりたい大人と一緒に暮らし始めます。オヤは成人していれば誰でもなれます。成人は16歳で、成人すると希望する家が与えられ、職業は希望する職業に就くことができ、物はノロによって平等に分けられます。すごいシステムです。このシステムいいんじゃないかと思いましたが、きっと反対が多いだろうなと思います。子どもを育てるのに血のつながりは重要ではないのではないでしょうか?
今週も「最近読んだ本の話」を書くことができました。よかった!本を読みながら色んなことを考えるのが楽しいです。知らないことがいっぱいありすぎるので、興味のある本を読んで少しでも知ることができたら、と思っています。そういうのを抜きにして、ただ読みたい衝動の方が大きいのかもしれないけど。最後までお読みくださってありがとうございました。