「憲法演劇」から比較した日独の「公共」
18世紀末に建造されたブランデンブルグ門は、日本人にとってあまり魅力的な観光名所が多くないベルリンにおいて、数少ない観光地として旅行ガイドには必ず掲載される場所です。プロイセン王国によって建造されたこの凱旋門は、冷戦時代には東西ベルリンの境界に位置する分断の象徴であり、統一後には統合の象徴として機能してきました。
2018年10月、このブランデンブルグ門前につくられた特設ステージで、『GRUNDGESETZ』という演劇作品の公演が行われました。演出を務めたのは、ポーランド出身の演出家であり声楽家であるマルタ・グルニツカ。彼女は、ドイツ基本法(憲法)の70周年というタイミングで行われた東西ドイツ統一の記念式典にあたって、プロの俳優とアマチュアとの混成による50人の出演者らがこの憲法の言葉を「歌う」30分あまりの作品をつくりました。
COVID-19のパンデミックによる外出制限を受けて世界中で数多くの劇場が作品のオンラインストリーミングを実施する中、ベルリンのマキシム・ゴーリキー劇場は4月16日、この作品の24時間オンラインストリーミングを実施しました(残念ながら現在は終了し、ダイジェストのみ閲覧可能)。
一方、筆者はかもめマシーンという劇団を主宰し、『俺が代』という作品を演出しています。これもまた日本国憲法を使った作品であり、試作版は2015年から、劇場では2017年から上演。東京、横浜、京都、名古屋、沖縄、ルーマニアなどで公演を行っています。
この両者を見比べていると、その作品としての差異だけでなく、その前提に横たわっている「公共」という発想の違いに気づくことができます。本稿では『GRUNDGESETZ』と『俺が代』とを比較し、日本とドイツにおける「公共」の差異を見ていきましょう。
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多様な人々による憲法のコーラス
『GRUNDGESETZ』を製作した「マキシム・ゴーリキー劇場」は、ベルリンにある公共劇場のひとつ。2013年に芸術監督が交代して以降「ポスト移民」というテーマを打ち出し、トルコ移民をはじめとするマイノリティに焦点を当てた政治的な作品を上演している野心的な劇場として知られています。東西ドイツ統一の記念式典にあたって、数ある公共劇場の中でなぜ彼らに白羽の屋が立ったのかという詳細については不案内ながら、ドイツ、あるいはベルリンの演劇シーンを変革する存在であり、2010年代後半を象徴するこの劇場が作品をプロデュースすることは、納得のいく選定だったのではないかと思います。個人的にも、この劇場で上演されている作品は、他の劇場に比して興味が惹かれるものが多くあります。
さて、そんなゴーリキー劇場による作品『GRUNDGESETZ』は、よく晴れた空の下、ブランデンブルグ門前につくられた特設ステージで上演されました。背景には十数メートルにもなるであろう3人の男たちの後ろ姿(ベルリンの壁の監視員だろうか?)と、かつてここにあったベルリンの壁によじ登り快哉を叫ぶ人々を描いたパネル。ブランデンブルグ門のはるか向こうにはテレビ塔も見ることができます。かつてここにあった「歴史」とともに「現代」を見渡す背景を背負い、50人のパフォーマーたちによる上演は行われました。
そのビデオを見れば、この出演者たちが多様な出自の人々によって構成されていることがわかるでしょう。白、黄色、黒といった肌の違い、子供や老人など年齢の違い、おそらくセクシャルマイノリティであろうクィアな装いの人、障害を抱えているだろう人もいるし、ムスリムであろう人の姿も確認できます。固有の出自、あるいは固有の身体を持った人々が、「普通のドイツ人」とともに登場するこの舞台で強調されるのは、そのような人々の「多様性」でした。
もちろん、彼らとともに登場する「普通のドイツ人」と言われるような人々も、それぞれの固有性を抱えています。そして、それが強く意識されるのは、この場所の「場所性」に拠るもの。
たまたま、この出演者の中に、私がベルリンでワークショッププログラムに参加したときに知り合った東独出身の人が出演していました。フィールドワークとして一緒に街をうろうろしながらこのブランデンブルグ門を通りかかったとき、彼女はこんな思い出話を語ってくれました。
ベルリンの壁が崩壊したその直後、当時、まだ幼かった彼女と彼女の家族はブランデンブルグ門へと向かった。しかし、ごった返す人混みの中で家族とはぐれてしまったそうです。その後、人混みの中でようやく家族と再会した彼女は、おじいさんからひどくぶたれてしまった。
それは、とても小さくて魅力的ではあるけれども、個人の思い出の中にあるありきたりな話にしか過ぎません。しかし、おそらくベルリンの壁の崩壊というのは、東日本に住んでいる人々が「震災のときに何をしていたか」を語らずにはいられないように、魅力的でありきたりな話を誘発する事件だったのでしょう。この作品の観客であるドイツ人たちは、この背景とそこに置かれた身体から、否が応にも関連する記憶を想起することになったはずです。
ベルリンの壁崩壊という歴史、多様性を持った身体たち、そして現代の風景などさまざまなコンテクストが複雑に絡まり合いながら、マルタの指揮によって、ドイツ基本法が歌い上げられていく『GRUNDGESETZ』という作品。では、この作品は実際にどのようなものだったのか? これを振り返る前に、少し、「コーラス」という形式について、確認をしておきたいと思います。
この上演において、コーラスは、作品を装飾する以上の意味を持っています。2000年前に行われたギリシャ悲劇には「コロス」と呼ばれるコーラス隊の存在が不可欠でした。オイディプスやアンティゴネーといった英雄たちを取り囲みながら歌うコロスの存在意義は様々な解釈がなされていますが、少なくともそれは、舞台空間を華やかで魅力的なものにするためだけに存在したのではなかったようです。
彼らは、直接的にセリフを語らない代わりにコーラスを歌い上げますが、それは上演においてはほんの一部にすぎません。彼らの仕事のほとんどは、上演される劇を目撃し続けることにありました。そして、コロスたちは、専業の俳優ではなく、市民から選出された人々によって構成されています。その存在は、観客たちに同じ「市民」としての視線を意識させる装置、つまり観客の映し鏡として機能していたのです。
マルタが演出を行うにあたって、コロスを語源とする「コーラス」という形式を選んだのも、そのような歴史的な背景と不可分ではないでしょう。彼女は、ゴーリキー劇場のインタビューにおいて、コーラスの意味について「人々に考える力を与えるもの」であり、「集団の声の力を感じさせ、人々に抵抗する力を与えるものである」と話しています。コーラスという形式は、古代ギリシャにおける演劇が、市民の「集会」の場であり民主主義の根幹をなすものであったのと同様に、社会的・政治的意識と密接に結びついているのです。
『GRUNDGESETZ』という作品は、多様な人々を彼らの「言葉」ではなく、声と存在によって浮かび上がらせています。そして、それを通じて「人々に抵抗する力を与え」ることを意図している。ゴーリキー劇場のウェブサイトには、この作品について「危機的状況下での発言の弾力性を確認するために、ドイツ基本法を耐久試験にさらす」という文言が綴られています。
憲法を歌い上げるという「抵抗」
では、実際にこの「耐久試験」の内容を見ていきましょう。パフォーマンスは、一列になった人々の中から、ひとりの女性がドイツ基本法の前文を発するところから開始されます。
神と人間に対するみずからの弁明責任を自覚し、統合されたヨーロッパの中で平等の権利を有する一員として、世界平和に貢献しようとする決意に満ちて、ドイツ国民は、その憲法制定権力により、この基本法を制定した。
バーデン=ヴュルテンベルク、バイエルン、ベルリン、ブランデンブルク、プレーメン、ハンブルク、ヘッセン、メクレンブルク=フォアポンメルン、ニーダーザクセン、ノルトライン=ヴエストファーレン、ラインラント=プファルツ、ザールラント、ザクセン、ザクセン=アンハルト、シュレスヴィヒ=ホルシュタインおよびテューリンゲンの諸ラントのドイツ人は、自由な自己決定によりドイツの統一と自由を達成した。これにより、この基本法は全ドイツ国民に適用される。
ひとりの女性から発せられたその「歌」に、だんだんと人々の声が重なっていき、繰り返され、増幅をしていく。それは、いわゆるコーラスのようなメロディらしいメロディを持ってはいません。しかし、言葉の文節やアクセントの変化などによって「読み上げ」と「歌い上げ」の中間のような音楽的な発話が、舞台上のパフォーマーたちと同様に、観客たちを巻き込んでいきます。そして、50人が一斉に「私達はドイツ人だ」という言葉を発する時、そこには、魅力的としか言いようがない力強さが現れるのです。
さらに、70年代後半に活躍したロックバンド、ジョイ・ディビジョンの『Love will tear us Apart』が歌われ(「愛が私たちを引き裂くだろう」というタイトルが東西ドイツの分断を想起させるだけでなく、このバンド名そのものが、ナチスの強制収容所に設置された慰安所に由来しています)、第1章の基本権から個々の条文へと入っていきます。次々と語られる条文とともに、ミュージカルのように「僕は自由を探してきた」という朗らかな歌が歌われたり、ダンスが踊られたりと展開しながら、最後に、基本法改正の規約を記した第79条第3項「連邦制によるラントの編成、立法における諸ラントの原則的協力、または第1条および第20条に定められている諸原則に抵触するような、この基本法の改正は、許されない」が語られた後に、パフォーマーたちは、全員でファレル・ウィリアムスの『Freedom』を踊って終了となります。
立ち見の観客たちは、途中、歓声を上げたり拍手をしたりと、さながらロックフェスティバルのような雰囲気でこのパフォーマンスを迎えます。別の言葉で言えば、この作品には、祝祭的な雰囲気が漂っていると表現してもいいでしょう。
もちろん、「耐久試験」という前提を持つこの作品の意図するところは、決してきらびやかな「祝祭」ではありません。第二次世界大戦、東西の冷戦、あるいはフランス革命から続く人権思想や、カントによる『永遠平和のために』にも遡れる様々なコンテクストが編み込まれたこの憲法の言葉を受け取った観客は、自然と「公共」という「この国のかたち」を考えずにはいられない。この「祝祭」は、その晴れやかさと同時に、観客の思考に働きかけ「抵抗する力」を与えるのです。なお、ドイツ基本法第20条には、人々の「抵抗権」が以下のように定められています。
「すべてのドイツ人は、この秩序を除去しようと企てる何人に対しても、他の救済手段が存在しないときは、抵抗権を有する」
ひとりの人間が描く「日本国民」
一方、拙作『俺が代』を見てみましょう。
すぐに分かる明らかな違いが、これがひとりの女優によるソロパフォーマンスであること。極めてゆっくりとした足取りによって入場してきた一人の女優は、舞台上に作られた鉄製の木と対峙しながら日本国憲法の前文や、天皇、戦争の放棄、基本的人権について書かれた項目を読んでいきます。そして、それらの条文をつないでいくように『あたらしい憲法のはなし』という当時の文部省がつくった憲法の副読本や、新憲法が議題となっていた1946年の衆議院本会議で行われた尾崎行雄の演説などをパフォーマンスしていきます。そしてクライマックス。彼女は、舞台中央につくられたプールに入り、今度は「日本国民」という主語を「俺」に変え、もう一度、日本国憲法前文を発します。
この作品において「ひとり」であるということは、作品の根幹と言ってもいいほどに重要な意味を持っています。言わずもがな、憲法は、国民という「複数」の人々のためにつくられたテキストです。これに基づけば、マルタのように50人とはいかないまでも、複数人の出演者を集めて上演するほうが自然でしょう。しかし、我々は、それを「1人で」パフォームするということに強くこだわりました。
実は、根本的に「複数」であるものを一人で表現するという形式を採用したのは、この作品が最初ではありません。オーストリアのノーベル文学賞作家であるエルフリーデ・イェリネクの『雲。家。』という、「私たち」を主語としたテキストを上演した時にも、出演者はひとりでした。
「私たち」という複数の人々を巻き込んだ主語を使う場合、日本では、どうしてもその主体や責任が曖昧になってしまいます。「私たち」というと、どこか、手をつなぎあってニコニコした柔らかな「私たち」の姿がイメージされてしまう。しかし、イエリネクが描いたのはそのような「私たち」の姿ではなく、もっとそれぞれが屹立して、ソリッドな主体として独立した「私たち」の姿だったのではないか。そのような感触から、『雲。家。』をつくるにあたって「複数で構成された私たち」ではなく、「私の中にある複数性」について、焦点を当てることにしました。
『俺が代』においても、その構造は代わりありません。「国民」や「我ら」という言葉を「主体」として描くために、徹底的に「私」だけになっていくこと。そうすることによって、多様性に勝るとも劣らないような「私たち」が描けるのではないか。そして、そのように思考していくためには、「私」の中にある「私たち」の領域を見つめていかなければなりません。日本国憲法は、「日本国民は」という言葉から始まります。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
この作品のリハーサルを行う中でいつも戸惑うのが、この「日本国民」という単語でした。演出家である私、あるいはパフォーマーである清水穂奈美は日本人です。日本国籍を有し、日本語を母語とする両親のもとに生まれ育ち、日本国外で暮らした経験を持たない人間にとって、日本人であるということは疑いようがないほどに確固たる概念です。もちろん、日本には、例えば日本語話者の外国人や、外国人の親から生まれた日本人など、異なるアイデンティティの人々も存在していますが、彼らのアイデンティティが固有であるように、私や清水の「日本人」としてのアイデンティティは固有のもの。
その一方、私は「日本国民」なのか? と問われると、たちまち怪しくなってきます。私は、日本国民として戸籍登録もされているし、パスポートにも日本国と書かれています。しかし、日本人であるという自明性に比較すると、日本国民あるいは「国家としての日本」という概念の働きかけは、なんとも弱く感じられるものです。
憲法を読むたびに「日本国民」という言葉に対してつまずく我々は、「国民」という言葉に対して「批評的な距離を取っている」と表現すればかっこいいけれども、その内実は、単に戸惑っているだけのような気もするのが正直なところ。そして、この戸惑いに対する解決はついていません。手軽に解決することを選ぶのではなく、この戸惑いを戸惑いのままにすることを、この作品においては選択しています。
この他に、『GRUNDGESETZ』という作品が抵抗としてのコーラスという手法を採用したのに対して、我々が採用した方法が「読む」という言葉に集約されるものであったという差異もあります。この作品を発想する上で、そもそもの出発点が「我々は日本国憲法を読んだことはあったか?」というものでした。この作品の序盤、いわゆる演劇的な色気を徹底的に廃して、パフォーマーは、まるで何かの儀式のように淡々とこのテキストを読みあげていきます。そこで浮かび上がるのは、前述のソロパフォーマンスであることにも共通する「孤独」な身体です。観客に対して何かを発するのではなく、その言葉に向き合うこと。劇場空間に集う観客という複数性も排除しながら、ひとりでテキストに向き合うこと。我々にとって、憲法とは、そのような場所を出発地点として読まれるべきものでした。
もう一つ、場所性の問題についても言及しておきましょう。この作品は、現在、劇場空間において上演される作品に変わっていますが、2016年には2回、銀座の雑居ビルの屋上で上演しました。始めから劇場空間という閉じられた空間ではなく、開けた空間で行われることを志向していたのです。
しかし、『GRUNDGESETZ』とは異なり、それは全く祝祭的な空間を志向してはいませんでした。たまたま、その屋上を見下ろせる別のビルの非常階段に喫煙所があり、それを見たある観客は「あれは公安のスパイではなのではないか……」と、感じたそうです。憲法を読むだけで、公安の取り締りを意識してしまうように、この上演はどこか「後ろめたさ」を抱えている。「憲法を読む」という行為は、日本においては『GRUNDGESETZ』のような祝祭の華やかさとは程遠く、どこか忌避に触れるような手触りを与えます。決してそれだけが理由ではありませんが、その後、私たちは、この作品が必要とする空間として、劇場内の閉ざされた空間を選ぶことになりました。
「さわれる憲法」と「さわれない」憲法
本稿の趣旨は、作品のレビューではありません。ただ、この2つの作品が持つ違いは「個々の作家性の違い」に回収されるような問題ではないのではないか。だからこそ、この2つの作品を構成するものを丁寧に記述していくことは、日独の「公共」の違いを表すのではないかと考えています。この問題に入っていく前に、まず、2つの作品の基礎となっている、それぞれの憲法を簡単に確認していきましょう。
1949年に西ドイツのボンで起草されたドイツ基本法は、東西ドイツ統一までの仮称として基本法という名前が採用されました。それ以前に使われていたワイマール憲法が統治機構を第1編、基本権を第2編としていたのに対し、新たな基本法では第1章に基本権として様々な権利を記しており、特に、第一条に記載された「人間の尊厳」(人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、および保護することは、すべての国家権力の義務である)は、ユダヤ人虐殺を始めとする歴史の反省から生み出された言葉として、欧州連合を推進する理念ともなっています。また、敗戦後、日本と同じく連合軍の占領下にあったドイツにおいてつくられた基本法は、アメリカ・イギリス・フランスなどによる指導があり、完全な独立したものではありませんでした。
一方、日本において1946年に公布され、47年に施行された日本国憲法は、大日本帝国憲法と同様に、第1章に「天皇」を置いています。これは、日本国内における天皇存置の声に配慮し、GHQが戦後処理を平和的に進めるための措置でした。その後、この憲法は第2章「戦争の放棄」、第3章「国民の権利及び義務」と続いていきます。この憲法が「押し付け」であったか、あるいはその是非という問題については、イデオロギーの対立に回収されることを避けるために、ここでは深入りを避けます。ただ、GHQからの働きかけは存在したのは歴史的な事実でしょう。
上記のように、異なった成立過程を経た日独の憲法は、その取り扱い方についても大きな差異がみられます。日本において憲法改正が議論される時、度々引き合いに出されるのが「ドイツでは基本法の制定から60回以上改正が行われている」ということ。この60回の中には「郵便事業等の民営化」「動物の保護」といった比較的細かなものもありますが、大きく改正されたのは4回。1954年・56年の再軍備に関する改正、68年の緊急事態法に関する改正、67・69年の経済・財政に関する改正、そして、90年・94年の東西ドイツ統一に関する改正でした。しかし、頻繁な改正の一方で、「人間の尊厳」「人権」「基本権」「連邦制」「民主制」「法の支配(法治国家)」「社会国家(抵抗権)」の規定に関しては、一切改正することができないようになっています。そのため『GRUNDGESETZ』においても、この規定を記した第79条が作品の幕切れとされているのです。
一方、日本では、憲法の改正論議が度々議論されながら、結局70年間にわたって一度も改正されていません。それは、日本の憲法が諸外国の憲法に比較して短く、必要最低限のことしか書いていないこと、あるいは、冷戦時代に東側諸国と国境線を接していなかったために戦争のリアリティがドイツに比較すれば低かったこと、東西統合やEUといった統治機構の改変がなかったことなどに一因があるでしょう。あるいは、ドイツとの大きな差異を挙げるならば、日本においては最高裁判所が「憲法の番人」を務めるのに対して、ドイツでは最高裁判所とは別に憲法裁判所が組織されており、「歯止め」としてより強固であるという事情もあるのかもしれません。
参考までに、ネットの記事を検索してみると、ルートヴィヒスハーフェン経済大学東アジアセンター所長のフランク・レーヴェカンプ氏は次のように記述しています。
「日本に憲法の順守状況を監督する独立機関が存在しないことが一因かもしれない。そのため結果として将来的に想定外の事態を招く恐れがある場合、改憲の作業に手を付けることを避けようとする風潮があるのかもしれない。仮に日本にも高度な権限を持つ憲法裁判所が導入されたならば、党派を超えた広範な憲法改正論議の契機となるとは考えられないだろうか」 (幻冬舎plus https://www.gentosha.jp/article/11771/)。
その是非はともかく、ドイツにおいては、憲法は「触ることができる」ものであり、日本においては「触ることができない」ものであるということが、ひとまず確認できます。私たちがこの作品を屋外で上演した時に感じた忌避感は、この「触れることができないもの」に「触れてしまっている」という状況が生み出したものだったようです。
「現れの場」としての劇場
では、この憲法のさらに基礎となっている、両国における「公共」の意味合いはどのように違うのでしょうか? まず、日本語で「公共」の意味を調べると、例えば次のような定義を見つけられます。
①社会全体に関すること。おおやけ。
②おおやけのものとして共有すること。 「人間の-するや衆人相共に其務む可き所を尽して/明六雑誌 21」 (大辞林 第三版の解説)
日本において「公共」と言った時に、どこか茫漠としてその意味をつかみにくいのは、「公」が「みんな」を意味すると同時に、統治機構(官)を意味するからでしょう。政治学者の齋藤純一氏は、この「公共」という言葉を「公的(official)」、「共通(common)」、そして「開かれている(open)」に大別しており、どの言葉もその領域が互いに重なっているものの、本質的にはバラバラなニュアンスを抱えていることがわかります。一方、ドイツ語はさっぱりなので詳細はわからないものの、公共を意味する「Öffentlich」という言葉は、OPENと語源を元にしており、齋藤氏の区分で言えば「開かれている」の例にあたります。
この「公共」を考えるにあたって、ドイツの哲学者であるハンナ・アーレントが記した『人間の条件』を参考にしていきたいと思います。
彼女は、第一の公共の次元として「現れの場」という言葉を用いて説明しています。「私が他者に対して現れ、他者が私に対して現れる空間」であると定義される「現れの場」において「人々は行為し、語ることのうちで自らが誰であるかを示し、他に比類ないその人のアイデンティティを能動的に顕にし、人間の世界に現れる」とアーレントは語っています。
これは、いったいどういうことでしょうか?
例えば、劇場空間において考えるとわかりやすいでしょう。私が以前、マキシム・ゴーリキー劇場で見た『Roma Armee』(演出:ヤエル・ローネン&アンサンブル)という作品は、欧州全土に暮らすロマ(ジプシー)にルーツを持つ人々が、舞台に登場し自らを語る作品でした。おそらく彼ら自身による実際の経験から生み出されたそのナラティブは、貧困、差別などに言及しながら、彼らが直面するリアリティを描いています。もちろん、演劇作品である以上、虚構も入り混じっていることは想像に難くないのですが、その虚実の入り混じった内容を越えてなお私に感動を与えてくれたのが、彼らがそこに立っていたこと、そして、彼らがそこに立つことを許容する場、つまり「現れの場」として劇場が機能していることを実感したからでした。
劇場とは、「物語」が演じられる空間という表層的な意味に留まらず「行為し、語ること」によって「自らが誰であるかを示し」、「その人のアイデンティティを能動的に顕にし」「人間の世界に現れる」場として機能する場所です。そして、そのような「現れ」を受けて、俳優にとっての他者である観客席に座る人々は、この社会のあり方を思考することができる。その意味で、劇場とは公的領域であるということができます。だからこそ、ヨーロッパ圏においては、「公共」劇場が各都市に設置されているのです。
一方、日常生活においては、そのような「現れ」が生まれることはほとんどありません。アーレントも、「すべての人々は、行為することができ、言葉を話すことができる。にも関わらず、ほとんどの人は現れの空間の中に生きていない」と記しています。例えば、電車に乗っている時の自分が「現れていない」ことを考えれば理解できるでしょう。
ただし、劇場が本質的に公共領域であるからといって、実際にそこで行われている演劇が、自動的に公共的なものに接続するかというと、立ち止まって考えたほうがいいかもしれません。前述の『Roma Armee』という作品はあくまでも幸運な例であり、残念ながら多くの演劇作品においては「舞台に登場すること」が「現れ」ることにつながらないと、私は考えています。
観客は、舞台に登場する人々に対してその固有名としての視線を投げかけることはありません。舞台にいるのは「登場人物」であり「俳優という職業の人」であり、その行動も「演出家の指示」としての眼差しを向けます。『Roma Armee』のようないわゆる「ドキュメンタリー演劇」としてカテゴライズされる種類の作品であっても、そこに登場する人物を「ロマ人」というフレームで見ているだけでは、「現れ」にはならないのです。というのも、アーレントは「現れの場」が機能するために、年齢、性別、民族「何=WHAT」ではなく、「誰=WHO」という具体性が必要であると論じています。
観客は、俳優たちの「何」を通してしか、その俳優自身を見ることはできません。それは、虚構(役)と現実(俳優)とが二重写しとなっている状態です。そして、そのちょうど境界線上に「誰」という領域が姿を表すのではないか。例えば、『Roma Armee』において、ひとりの俳優が「自分の鼻は低い」と、身体的特徴に言及するシーンがあったと記憶しています。ロマとしてのさまざまなエピソードの上に語られる「鼻の低さ」は、私にとって「誰」という煌めきが立ち上った瞬間でした。
『GRUNDGESETZ』という舞台に話を戻しましょう。ここでは、多様性のある出演者たちが舞台に登場し、ドイツ基本法を読んでいきました。そのような人々の行為を、そこに集まった人々に差し出すことによって、50人の出演者は「自らが誰であるかを示し」「その人のアイデンティティを能動的に顕にし」「人間の世界に現れ」ていきます。そして、それは、アーレントが言う公共の第二の次元である「世界」を形作ります。
ここで言う「世界」とは、「地球」や「みんなが存在する場所」といった「自然」につくり上げられたような空間ではありません。それは、「人間の工作物や人間の手が作った制作物に結びついている」ような人工的な場所のこと。公共とは人々が集うことによって自然発生的に生まれるような概念ではなく、それぞれの人間が作り上げることによって生まれる人工物を意味しているのです。
直接的にか間接的にかは定かではありませんが、『GRUNDGESETZ』という作品は、アーレントの言う意味での「公」を基礎としていると考えられます。そして、彼らが一斉に『Freedom』で踊る時、そこには基本法が保障する人間の尊厳とともに、「誰」としての「現れ」が見えてくるのです。
身体を公共空間に位置づける
日本における公共性を考えるにあたっても、「誰」と「何」という対立項や「現れの場」など、アーレントの分析を当てはめることは一定程度可能でしょう。
しかし、そもそも「近代国家」という政治体やそれを支えるフレームが、西欧諸国によって発明・涵養され、世界各地に普及していったという歴史的経緯を考えれば、異なった文化を持ち、歴史的変遷を辿ってきた日本にはアーレントの意図からはみ出た形の公共の姿があると考えるのが自然であるように思えます。例えば、齋藤氏が指摘する下記のような批判は、アーレントに対する批判としてだけでなく、『GRUNDGESETZ』と『俺が代』とを比較する上で、とても重要な指摘ではないかと考えています。
アーレントは、公共的空間を非共約的なものの空間として位置づけた。それは誰も排除しないが、共約的なもの──生命の位相──をその外部に排除する。その結果、公共的空間は生命や身体とは何の関わりも持たない、あまりにも純粋な自由の空間として描かれることになる。公共的空間は、身体の必要や苦しみを語る声を不適切かつ不穏当なものとして見なすのである。(「公共性」岩波書店)
前述のように、公共的空間は人工物であり、決して「自然な」空間ではありません。そこでは、人間が持つ、最も基礎的な自然である「身体」は、丁寧に取り除かれています。別の箇所で、齋藤氏は「アーレントが一方で試みようとしたのは(中略)公共的空間から声を排除し、それを言葉の空間として純化することであった」と書いているように、公共的空間は言葉、理性などによって構成されており、「痛み」「声」「生命」などの身体に近い部分は排除されてしまうのです。演劇に例えるならば、「滑舌がいいこと」あるいは「身体が不用意に動かないこと」が、多くの場合、俳優として舞台に立つ条件であることを考えれば理解しやすいでしょう。どんなに自然に見えても、俳優は、「自然に」舞台に上がっているわけではありません。
自然として獲得してしまっている身体を排除したものが公共的空間であるならば、俳優が演劇学校において演技術を身につけるように、公共空間に参入するためには、身体を捨てるための「演技」あるいは「技術」が必要とされます。例えば、それは言葉によって説明できる論理性を身につけることであったり、突然走り出したりしないといった適切な身振りを行えること、あるいは、TPOに合わせた衣服や化粧を身につけることも含まれるでしょう。公共的空間とは、そのような「演技」ができる人々のみが加わることができる場所なのです。そして、そのような演技のできない寝たきりの老人は公共空間に参入することができず、黙ってじっと座っていることができない人は演劇の観客になることはできません(これは、個人的には非常に大きな問題だと考えていますが、本稿の趣旨ではないために深追いはしません)。あるいは、有色人種は、かつて、欧米の多くの国々において公共的空間に参入できなかった。彼らは、権利運動を通じて、公共空間への加入を求め、それがある程度は実現しつつあります。これを別の言葉で言えば、彼らの皮膚の色がここで言う「身体」ではない(特殊ではない)ことを主張し、それを了承させてきた歴史と言えるかもしれません。このような「演技術」の蓄積によって、人々は、「市民」という公共空間の登場人物になっていきました。
では、アーレントは、「身体」のありかをどこに定めているのでしょうか? 彼女は、公共的領域に対して、私的領域という概念を提示します。もともと「欠如しているprivative」という観念を含む私的領域には、人間的な生活に不可欠な「他者」が奪われていると彼女は言います。他者から見られ・聞かれることから生じるリアリティや、客観的な関係、そして、生命よりも永続的なものを達成する可能性など、さまざまなものを達成する可能性を奪われているこの領域。しかし、そのようなネガティブな要素が記述される一方で、アーレントは「私的領域を取り除くことが人間にとっていかに危険なことであるかということを理解しなければならない」とも語っています。
私生活の中に隠されなければならなかったものは、常に人間存在の肉体的な部分であった。つまり、隠されたものはすべて生命過程そのものと結びついており、近代以前には、個体の位置と種の生存に役立つすべての活動力を含んでいた
我々は、演劇作品を作る時、常に「身体」を中心にして作っています。アーレントの区分に従えば、それは「私的領域」にとどまるものとなります。しかし、これを「公」演という形で提示することによって、公的領域の中にぶつけていく。これらの過程を通じて、公的領域の中に、この身体の存在を位置づけようとしているのです。『俺が代』という作品も、この延長にあります。「憲法」という圧倒的に公的なテキストを劇場という公共的空間に提示しながら、公共空間の中に「身体」をどのように位置づけられるか? あるいは私的空間に、どのように公共を持ち込めるのか? 日本国憲法を通じて公/私の領域をずらしていくことが、この作品における眼目でした。だから、この作品のクライマックスでは、日本国憲法を「日本国民」という「公的領域」からではなく、「俺」という「私的領域」からの言葉によって発していたのです。
そして、そのように、公と私との境界線を引き直す作業ができるのは、この国において、いまだ「公」という概念が「人工」という操作に結び付けられず、その姿が曖昧で不定形なものだからでしょう。「公」の輪郭が曖昧であるからこそ、私たちは「公」と聞くと、過剰にそれに適合することを意識したり、あるいはその逆に反発を覚えてしまったりしてしまいます。しかし、「公」が人工的な概念であるならば、それを意図して作り変えていくことができる。それは、私たちに残されたとても大きな希望と言えるのではないでしょうか。憲法という「公」の中でも最も大きなものを扱って描こうとしたのは、そのような意味での希望だったのです。
リベラリズムを前提として積み上げてきたEUにおける公共は、流入する難民や極右政党の躍進、イギリスの離脱などによって転換点を迎えています。一方、日本社会がこれまで積み上げてきたつくってきた公共も、また別の意味で行き詰まりを迎えている。例えば、コロナ禍における文化政策の在り方に対して、多くの人々からの反発を招いている状況を見ればそれは明らかでしょう。
そのような状況の中で、すべての国民に対して当てはまる憲法を読み、それが前提とする公共のあり方を見つめること。この中でアーレントが明らかにした「公共」とはまた異なり、身体や私的領域からの公共のあり方を読み替えていくことは、日本に限らず、今後、この世界に生きる上で欠かすことのできない視点ではないかと考えています。
愛国で踊る人々
最後に、まとまりのない本稿を終わらせるにあたって、もう一つだけ、考えなければならない点について言及したいと思います。
『GRUNDGESETZ』と『俺が代』との差異とを比較していく中で、ひとつどうしてもわからなかったのが、「愛国心」と呼ばれるものの位置付けでした。『GRUNDGESETZ』の最後、ひとりの子どもが舞台全面に歩み寄り、「PATRIOTIC(愛国) DISCO」と宣言。そして、人々はファレル・ウィリアムスの『Freedom』を踊ります。彼らにとって、「自由」と「憲法」、そして「愛国」とは無理なく結びついているのです。
そこで思い出したのが、以前Netflixで見た香港の民主化団体「学民思潮」の元リーダーである黄之鋒(ジョシュア・ウォン)の言葉でした。中国共産党と中国政府のナショナリズムを称賛する新たな教育カリキュラムの導入に対して反対運動を展開していた彼は、香港行政区が押し付けようとする中国への「愛国」を拒否し、香港への「愛国」を語っていた。
これまで、日本のリベラル派において、「愛国」はタブーのようなものでした。愛国といえば、右派の専売特許であり、右派が左派を攻撃する言葉として「売国奴」や「反日」という言葉が好んで用いられてきました。だから、舞台上で踊る人々が「愛国」で踊っていることに対して、私は全く理解できなかったのです。
もちろん、権力機構・統治機構としての「国家」と、共同体的、歴史的「国」という枠組みは別のものであり、彼らが「愛国」と口にした時に想起しているのが、偏狭な日本のネトウヨたちが口にする権威主義や国家主義ではないことはわかります。しかし、彼らにとっては、国という枠組みと個人とが連続的に重ね合わせられるからこそ、その身体が踊ることができるのではないだろうか? そう思って調べたところ、『フランス革命からファシズムまで―二宮・柴田・グラムシとの対話』というテキストに行き当たりました。
このテキストによれば、「パトリオット」という名詞は、啓蒙思想の時代に「自由のために戦う者」というニュアンスで使用されていた言葉。これが、19世紀に入ると「自由と幸福の地の意味から離れて、もっぱら自分の帰属する地の意味になっていく」。ここで語られる「土地」は、国家によって形作られていっているものであり、この頃「パトリオティズム」という言葉を輸入した日本人は、この言葉を「愛国」と翻訳しました。
しかし、「パトリオット」の語源に、国家とは関係のない「自由のために戦う者」「自由が保証された土地」というイメージが横たわっていたのなら、「愛国」という訳語は決して正確なものではありません。そこにイメージされていたのは、国家ではなく、まだ見ぬ自由と幸福の理想郷=「パトリ」の姿だったのです。
そして、そのような「パトリ」への憧憬として『GRUNDGESETZ』では「PATRIOTIC DISCO」という言葉が選ばれたのではないか。そもそも、ポーランド人がドイツ基本法を演出するというような枠組みが可能になるのも、ベルリンという都市の国際性のみならず、このような「愛国」のイメージが影響していると推測されます。日本において「愛国」といえば、過去へと遡るというイメージになりますが、ドイツの人々が抱く文脈では、愛国とは「まだ見ぬ理想郷へ」という未来へのベクトルを示す言葉になるようです。
はたしてこれが何を意味するかはまだ自分の中ではっきりしません。きっと、次に『俺が代』という作品に取り組む時には、このあたりが主題になってくるのではないかと考えています。