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すきだよ北脇さん|「厚く衣をまとった海老フライ」のあなたと私
相も変わらず「休み」をして好きな人が関連するエンタテインメントを消費しています。今月は寝込みがちだった私は少しだけ、いや安全基地である家からたびたび出かけるほどに元気になりました。そして付随してちょっとだけ傷付きました。それでも、この体験を大事だと思いました。なのでわざわざ大きな図書館に出向き、本を読んだり勉強をしたりするたくさんの人に囲まれながらこのnoteを書いています。自分のために、書かなきゃいけないと思いました。だから久しぶりにちゃんと頭を使って文章を書きました。
ひとつの作品のたったひとりのキャラクターから様々な感情をたどった話をさせてください。
※引用・ネタバレ注意※
それってパクリじゃないですか?
これってパロディ?オマージュ?それとも…パクリ⁉︎(中略)知的財産の知識ゼロの藤崎亜季×ビジネスに妥協ゼロの北脇雅美。凸凹コンビが、知的財産をめぐり巻き起こる様々な問題に立ち向かう!
ドラマも書籍も全視聴・読了済みです。
ドラマと書籍では一部設定が違います。私はドラマ版の重岡大毅くん演じる北脇さんを「いとしい」と思い、原作版の北脇さんに強く「共感をともなういとおしさ」を覚えました。今回は重岡くんの話ではなく、北脇さんの話です。そんな記録です。
北脇雅美という人
原作書籍・ドラマともに共通している部分は、下記でしょうか。
30代前半の男性
猫が好き
弁理士でありビジネスマンとしても優秀
論理的だが、感情(および人間関係・特に恋慕)の機微に疎い
偏屈でプライドが高くこだわりが強い(特に仕事とプライベートを明確に分けている)
言動からはわかりづらいが、情に厚く実は優しい
ドラマ版ではより強く「論理的・合理的」「人間関係に不器用」「熱い」「猫好き」部分がデフォルメされたキャラメイクに見えました。原作版でも論理的で優しく不器用で熱い人であることは間違いないのですが、原作版はより北脇さんの内面にフォーカスしています。原作版における北脇さんの人間性に強く共感を覚えました。
北脇さんはなぜ「こんな人」なのか?
おそらく彼は傷付いているから、厚いパン粉をまとった。
北脇さんの内面は、ドラマ版の参考にされたであろう書籍1巻を超え、書籍2巻からより踏み込んだ本人の「独白」。ないしは心を読み取る機微の高い登場人物からほんの少しだけ語られることとなります。主人公は北脇さんではないからすべては語られないため、一部からしか察することのできないその情報からわかることがあります。おそらく彼は傷付いているから過剰に偏屈であり、傷付いているから感情に疎いのです。いや、そう推測しただけです。でももしかしたら生まれつき理屈っぽい性質かもしれません、その可能性も高いでしょう。ですが、過剰なまでに偏った自己認識は、寂しい人間らしさから生まれたものなんだろうと感じました。
一部少しだけ引用しながら、北脇さんを掘り下げようと思います。
部下の藤崎さんが、まだ北脇さんの内面をまだそれほど深くは知らない時。様々な方向から藤崎さんは北脇さんの「完璧さ」を口に出します。
北脇さんが作ってきた昼食用弁当の海老フライを見て、北脇さんをこう喩えました。
「(中略)完璧な海老フライだったんだよ。中身のエビは新鮮で立派で、衣も揚げ方もこなれてて、なんというか、北脇さんみたいな感じで」(p.49)
しかし、北脇さんはそれに対しこう考えます。
藤崎亜希が北脇を立派な海老フライに喩えたと言っていたが、事実ではないだろう。北脇は、ひょろりと痩せて半額シールの貼られたエビである。もし立派にみえたのなら、それはたっぷりとつけられたパン粉のおかげだ。(p.89)
そのあとも2巻は海老フライで人間の価値を比喩的に表現していきます。なされる描写からは、
北脇さんが「自分のエビは大した価値がなく、後天的に身につけた衣の価値だけは高い」
=自分のことを好きではない ということが窺えます。
また、「藤崎さん(を含めた自分が「よい」と思えた人たち)は元々が価値の高いエビである。ゆえに、衣や油はどうあれおいしい海老フライになれる」
=周囲を高く評価していました。
北脇さんは職場では自分のプライベートなことを明かさず、あえて遠ざけています。だから一見、何を考えているのかよくわからないし、それゆえたまに誤解をされるのです。北脇さんは私物のお菓子すら職場の人にあえて中々あげることをしません。彼に踏み込むには、高い防御壁が築かれています。それから、内面を誤解されたり嫌われ者になっても構わない、「自分だけが悪者になればいい」と極端に思い込んでいるふしも一部ありました(途中から改善されましたが)(さ、されたよね!?)。しかも北脇さんは、部下である藤崎さんや友人である南をなかなかプライベートに踏み込ませません。南のことを、友人だと思っていない様子も見受けられます。
そんな難攻不落な北脇さんの内面にわざわざ踏み込んできてくれる、藤崎さんをはじめとした「賢く優しい人たち」が、北脇さんの状態について、事実から深く類推してくれます。
──あいつ、自分の能力には絶対の自信を持ってるけど、素の自分自体にはたいした価値もないって思ってる節があるんだよ。自分に人間的な価値を感じるやつは皆無だって。(p.116)
「(中略)なんというか北脇君って、もうひとり自分が目の前にいたら、始終喧嘩してそうじゃない?」(p.228)
北脇さんは、どうして高い能力を持った自分を評価できず、評価どころか自分自身を嫌ってしまっているのか?さみしい理由は、答えは2巻までではわからず、3・4巻でほんの少しだけ明かされます。
「(中略)北脇さんにはご自身の親子関係、普通って思えないんですか?」
「まったく思えないな。(中略)学業も仕事も親孝行も、なにをさせても優秀な兄がいるから」(p.33-34)
「(中略)僕も観覧車は嫌いだな。観覧車自体に罪はないけど」
「こどものときに一度だけ、乗りたいと親に頼んだことがあった。
(中略)
「兄が乗りたくないと言ったから、なしになった」(p.128-129)
平然としている北脇さんからも、また平然としている地の文からも、これ以上の心情や事実は多くは語られないものの、北脇さんはたぶん、傷付いているのだと私は思いました。語られ表現されたことがすべてではないはずです。本人の自己認識は傷を肯定しないでしょうし、そもそもちゃんと意識下にあるのかも明確ではないですが。しかし、少しでも傷がなければこうまで極端に言動は偏らないだろうと私は思います。
そして北脇さんは、藤崎さんに恋慕の情をふくめ人間として惹かれている様子を窺わせます。北脇さんは出会った頃からずっと徐々に強く藤崎さんに好意をいだいていったくせに、藤崎さんからもらうわかりやすい素直な好意・アピールをわかっていて遠ざけるのです。最終巻にいたるまでなかなか自分の気持ちを受け入れることができないことも、藤崎さんの言動を知らんふりすることも、彼がおそらく傷付いているからなのでしょう。
北脇さんは途中強い論理と合理で、藤崎さんの人生について、そして北脇さん自身の人生について、勝手にこう決めつけ、言い切りました。
藤崎亜希は前途洋々である。(中略)明るく前向きな、互いに高め合っていくパートナーを遠からず見出すだろう。(中略)それは北脇雅美ではない。(p.180-181)
北脇さんはこんなふうになんどもなんども、彼の中では正しい論理によって決断を下します。藤崎さんと上司・部下以上のかかわりを持たぬよう、愛する部下の人生からそっと身を引くのです。藤崎さんからの好意もわかりやすい言葉も行動も、うっすらとある自分の気持ちも、見えないふりをして。
それから北脇さんは強めに公私を区別しています。
それは1巻から顕著にわかる情報です。少しさらうだけでも、彼の極端さがわかります。
部下の負担をかけないように余裕な顔で定時で帰り仕事を持ち帰る。定時外見えないところでしか疲れた顔をしない(初期)
彼が自身で決めた公私の区別に基づき、一人称(僕・俺)の使用を明確に区別する
プライベートの携帯番号をほとんど誰にも伝えていない
無償のものの受け渡し(私物のお菓子を職場の人に渡すこと・お土産を無償で貰うこと)は「気持ちを渡すこと」だから簡単にはできない
など。
とはいえ、北脇さんもまたちゃんと人間で、課したルールに屁理屈をこねあるいはルール越えせざるをえなくなって、藤崎さんにお菓子を渡したり、藤崎さんにプラベ番号を教えたり、藤崎さんに向けて冗談めかしてかわいいとか言ったり(?!)しているわけですが(そんな北脇さんがかわいい)。そもそもそのルールを存在させていることが極端だと感じます。
私はなぜ北脇さんに共感し、傷付いたか?
どうして北脇さんは高い能力という後天的な自分の持ち物だけ評価して、自分自身そのものを嫌ってしまっているのか?後天的に努力したとはいえ、その努力はまぎれもなく彼が自分で行ったものです。価値を分離する必要などないはずであると言えます。それから、価値が全くないなんて北脇さんの自己認識はおかしい。でもたぶん、彼は「なにか」に傷付いている。いや多く書かれてないから勝手に推し量っただけです。でもその傷はなかなか癒されることのないまま、30年彼の中にありつづけた。もしかしたら傷を認識できないほど深く、ないしは高く、北脇さんには北脇さんの30年の人生が折り重なり、積み重なっている。かなしく偏ったまま、偏りはより偏っていくままで。
そして、私にも自分自身の内面におなじようなものがあると北脇さんを類推し、共感しました。私は北脇さんほど頭はよくなく、仕事人間でもなかった。北脇さんほど論理にも優れていないし、あそこまで合理的でもない。そもそも、あんなにかっこよくないし!(顔の話してる?)
まったく、私と言えばおこがましいったらない。
でも、共感しました。共感してしまったのだからしかたないでしょ。不器用な彼のすべての言動に、つよく身に覚えがありました。そして、さみしく思いました。無意識にも意識的にもそんな風に生きてしまう北脇さんを。そして、だからこそいとおしいと思いました。北脇さんは30年間こういう風に生きていなければ、いまの北脇さんではなかったのだから。さらに、それならば、そんな風に動く私自身もまた、さみしくいとおしいもののはずだと思いました。おそらく。
*
北脇さんの高い先読み能力。専門性に裏付けられた高い自信。私もあんな風に仕事をした。
北脇さんの難攻不落な、公私を分かつ壁。私もあんな風な様子で職場の中にいた。
北脇さんの事実に基づいた優しい他者評価。北脇さんの不器用な他者とのかかわり。私もあんな風に振舞ってしまう。
北脇さんの偏った自己認識。北脇さんの選択的孤独。私もあんな風に、生きている。
もちろん北脇さんほど極端じゃない。
た、たぶん。たぶん絶対あそこまでじゃない。
私の過去の職場において、周囲の人には少数だけいた。高い推理力をもって、わかりづらい私と深く関わろうとする変な人がいた。私の偏屈さの中に隠れてしまったなにかを、わかってくれた。それがすべて理解していたわけではないにしても、彼らは踏み込むことをやめなかった。だから私も踏み込んだ。私から発信で職場で他人に踏み込んだことはない。意識していたからだ。
職場は仕事だけする場所だと思っていた。元々だれにも明かすつもりなどなかった。だから、「私」の部分は、対外的に明かせる以上のもの以外ほとんど明かさなかった。私が実際にどんな人かなんてどうでもいいと思ったし、「公」のものである仕事においてもどうでもよかった。他人のことを、いや自分のことさえ信用していなかった。得たスキルはともかく、自分のポンコツな内面は信用はしないでいようと思った。人のスキルはともかく、内面は信用していなかった。人が言う勝手な噂話なんて大嫌いだった。自分をその噂話に含めないで欲しかった。だからできる限りありとあらゆる方面から未来予測をして、状況をコントロールしようとつとめた。自分のポンコツさを隠すためほうぼうの準備をした。緊張していた、常時とは言わないが緊張している時間が長かった。だから疲れやすかった部分もあるだろう。ちなみに北脇さんと私との違いもある。北脇さんは期待されたくてそうしていた。私は期待なんて一切されたくなかった。安全に生きたかっただけだ。居場所を選べない、相対的に社会的価値の低い私がただ安全に働ける(いれる・生きれる)ようにしただけだ。
私はこんなことを言いながら何度も情で動いてしまう部分があった。具体的には長くなるしなんか嫌だし書かないけど、仕事において藤崎さんと北脇さんみたいな、創作のような熱い言動をなんどもした。
北脇さんの言動の矛盾全部、身に覚えがあった。
ただのビジネスなのがわかっていて、自分のことのように仕事に熱くなれることはうれしかった。他人からわかってもらえることが、うれしかった。わかってくれる人たちとの出会いに、感謝をした。でも、その事実をまだ少しだけ信じられないまま、「わかってくれたわけではない」と言い聞かせている部分もあるまま、仕事を辞めても、続く関係に感謝をして。
でも、だけど、だからこそ、完全に公私を区別するなんてことはできない。自分の言動を完璧にコントロールするだなんて、私にも、北脇さんでさえ、できっこないことだ。私も北脇さんも人間だもの!私は隠した自分を見つけてもらえてうれしかったんだろう?たしかにうれしかった。北脇さんだって、見つけてもらえておそらくうれしかったと思う、これは想像だ。北脇さんだって、あなたが思うよりずっとたくさんの人に愛されている。関係ない私も大好きだ。私はたぶん今度社会とまじわるならば、もっと柔らかくなれたらいいと思う。ねえ、北脇さん。少しずつ変わるあなたのように、そしてあなたが大好きな藤崎さんのようになりたい。ビジネスに正義なんてない、でも正義があってもいい。白黒つけたいあなたが白黒つかないグレーの矛盾をいくつも言ったんだ。人間はグレーなものであっていいはずでしょう。自分のことだけはなかなかそれでよいと思いづらい私は、自分に向けてそう言い聞かせていく。
しかし、言い聞かせながらも、
「北脇さんは前途洋々である。私はそうではない」と過ぎった。
北脇は、自分のことは大概自分でできるように心がけてきた。(中略)どうせ一生ひとりで生きていくのだから(p.84)
なんなら、北脇さんのこの思考回路も身に覚えがある。というかありすぎて仕方がない。自分の人生についての、北脇さんの変な屁理屈の決めつけには、身に覚えがある。私はここ数年、その方針に基づいて人生を構築してきたんだ。さみしいよ!さみしくないわけねーだろ!さみしいけど、そんな絵空事ばっか言っててもしゃあないし現実的にそうした方が良いんだと思ってんだよ。北脇さんもそうだったんだろ。北脇さんと一緒じゃねえか。あ~、しんどいな~~!
私はいつになったらこの課題から抜け出せるんだよ!!
でも北脇さんは藤崎さんから見つけられ、北脇さんは藤崎さんを見つけて、ビジネスにおいても、それを超えたそれ以上の関係をも諦めなかった。いやどちらかと言えば北脇さんは簡単に自分自身のことは諦めてしまうので、おもに関係性においては藤崎さんが諦めの悪いところがあったね。諦めの悪い藤崎さんでなければ成就しなかっただろう。そして北脇さんも、自分の人生はともかく、藤崎さんの人生を救うことは諦めなかった。
私はそれを切にうらやましいと思う。現実はそうもいかなくて、藤崎さんは現実にはそうそういない。偏屈なやつにわざわざ興味を持つ人なんて、いやまあそれはそこそこいるけど。否定されても諦めないで一番近くの距離に近づいてくれるなんて、あまりに稀有だ。藤崎さんだからこそだ。私の近くに藤崎さんはいない。そもそも私がそれに見合う努力を何らしていない。そもそも私は北脇さんみたく好きな人はいない(しかもこの事象が、私の積み重ねてきた偏りによるものであるともそうでないとも言いきれない。最近自分のことはよく分からない)。好きな人たちはいるけどね。北脇さんこそ前途洋々で、その物語をみつめる私こそはそうではないと思った。でもさ、北脇さん。私はあなたよりは数段不器用で、あなたみたく頭はよくなくて、あなたみたくかっこよくもかわいくもないけど、「一生ひとり」なんて言ってる私だって、諦めなくていいのかもしれないね。「ひとりじゃない」北脇さんがうらやましいんだよ。あなたの一番そばにかわいく賢く明るく諦めなく優しい藤崎さんがいてくれることが、心底うらやましい。でも、だからこそ「藤崎さんだけが前途洋々」が、北脇さんの盛大な勘違いなはずだ。だから私の、自分に向かうこの思考も勘違いかもしれない。しかも、北脇さんって、さも僕はなにも寂しくないですよみたいな顔をずっとしてたよね?いや何も表現されていないから事実はわからないけどぉ!?私はそこまでじゃないし。うーん、どんぐりの背比べかも!?私も私に向けた変な思い込みを、なくせますように。ああ、まだむりかな。でも、もう少し自己受容しようと思う。さもありなん。
それから、北脇さんはひとりでいるより誰かといる方がより良い案を思いついている。それで何度も仕事上のピンチを超えていた。(北脇さんだけでなく登場人物全員が、わりに対話によりよい方へ向かっているように思います。)ひとりよりも、誰かとかかわる方がいいんだって、私もそう思えますように。それはなかなか難しい。私には人がいると疲れやすくなる傾向がある。内向さもあるけれど、自他境界があやふやなところもあるんじゃないかと思っている。だから、うまく自分の元気とのバランスを見つけていきたい。
私は苦しみ悲しみぶりたいわけじゃないんだ。
ただ居心地よく生きて、他人ともかかわっていきたい。
北脇さんへのいとおしさは、自分へのいとおしさになる(かもしれない)。
それでもどうしても北脇さんはいとおしい。こんなクソ長い文章を書いてしまうくらいにはいとおしい。ムカつくのに、私は北脇さんのことをこんなにもいとおしく思う。
屁理屈を捏ねてからお菓子を渡すところも、
期待されたいけど押し潰れそうという独白も、
見せない努力をして虚勢を張って余裕たっぷりの顔をすることも、
自分の海老フライの評価が半分信じられないことも、
自分のことだけは上手く大事にできないことも、
頭がいいから変に断片的な情報から予測して藤崎さんのことを誤解したりその考え方のせいで自分の未来すらも決めつけてしまうところも、
出来うる限り用意周到で、藤崎さんに本意を言わぬままに信じた未来を進むことも、
本社に行ってしまう時自他の中から痕跡を全部消そうと努力するところも、
観覧車に乗りたかったけど乗らない選択をしたことも。
どれだけ藤崎さんにアピールされても話を逸らしまくることも。
人間みたいで、そして身に覚えがあって、全部いとおしい。
私は、物語の中にあなたがいてよかったと思う。そしてあなたのようにはなれないと思う。あなたは立派なエビでできた海老フライで、私はそうじゃないから。あっ、そんなこともないか!!!😂👉
そして、あなたのようになりたいとも思う。あなたのことが好きだと思える私は、たぶんどこか、私自身について同じように好きだと思えるようになりたいと思っているはずなんだ。
*
重岡くんがくれた北脇さんとの縁に感謝しています。
キャラクターに縁というのもおかしな話ですがw
私にとって、見ながら重岡くんとキャラクター造形のかわいさからライトに「いとしい」と思えるのはドラマ版で、どこか重苦しくただ「いとおしい」と思えるのが原作版でした。
2023年に放映されたドラマでは、北脇さんの性格はもう少しやわらかく、北脇さんのかかえる傷はここまで感じられない……というか、設定されてなさそうにも思える。そもそも登場人物ひとりひとりの人間性・関係性も、明るく可愛らしくデフォルメされていました。ゆえに北脇さんの偏屈さも、明るくコミカルになっているのです。ドラマでは恋慕の情も見受けられないし、いい意味で変な方向に子供っぽく鈍感。この改変は、当時原作量が少なかったこともあってか、ドラマ化にあたっての諸々のバランス上のものか、重岡くんという人物像に伴い引っ張られたものか(とはいえ重岡くんは複雑な人間の機微を表現できる・してきた人だと思っているので、そもそもの方針がそうだったのではと勝手に推測していますが)。理由は定かではないですが、ドラマの明るさに私は惹かれてここまでたどり着きました。ドラマへの熱量で原作を手にとらなければ知らないことがたくさんありました。ということで改変についてはなんでもよく。北脇さんに出会えたことに感謝です。
つまり、北脇さん。このクソ長い文章はあなたへの、そして私自身に向けた、壮大なラブレターです。
あっ、勘違いしないでよね。
警告書じゃなくて恋文の方ですからね!!💋😘
(創作物の中で知った言葉をすぐ使っていくスタイル)
そんなひとりごとでした。
(2025年1月22日時点での文量)約8,800文字だって……。気持ち悪いね、私……。
引用まとめ