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マインド・コントロールを求めていたのは自分だったかもしれない。と気づけた良著。


質の高いソースと臨床経験に基づく精神科医による著作

本記事は、岡田尊司著「マインド・コントロール」(増補改訂版)の感想文である。2021年にKndle版で購入し熟読。最近になって、もう一度サラッと読み返した。初読時も目が見開かれる思いがしたのだが、再読してわかった。2年前、この本を読んでいたおかげで、流行への冷静な視点を持つことができていると。

著者は、社会の耳目を集めるような特異性を抱えた少年少女が収容されている医療少年院での臨床経験があり、彼らの回復過程に携わる中には、マインド・コントロールを解くことも含まれたという。

先行著作、公表された裁判資料やCIAの極秘情報に加えて、この希少な臨床経験に基づき、広く社会一般にみられるさまざまな心理的支配からの自立のプロセスに通じるエッセンスをまとめたのがこの本である。

第一章 なぜ彼らはテロリストになったのか
第二章 マインド・コントロールは、なぜ可能なのか
第三章 なぜ、あなたは騙されやすいのか
第四章 無意識を操作する技術
第五章 マインド・コントロールと行動心理学
第六章 マインド・コントロールの原理と応用
第七章 マインド・コントロールを解く技術

書籍紹介ページより

この記事で要約はしないので、ぜひ原著をあなた自身で読んでいただきたい。

一歩引いて眺められるのは、主体性がある証拠

この本を読んだおかげで、何かを読んだり、聞いたりする中で、「あ、これ、マインド・コントロールかもしれない。」という感覚が身についたと思う。

いわゆるLP資料や、セールストークなどの日常生活の中に見出すこともある。無料で占います!あなたを救います!などは、初対面の相手に手相や名前を見てもらうと言う警戒心があまりなく、相手の求めに応じやすい人、相手を救い手と言う優位な立場に立たせる人、つまり相手に対する依存が生じやすい人を集める方法として有効だな、とわかる。

世間の広告は、心理学に基づいた謳い文句であふれているが、流されるようにポチッとするのでも、いちいち指摘して、マインド・コントロールだから買わない!!と極端な反応をするのでもなく、ああこれは権威性で推してきてるのね、などと冷静に眺めた上で判断できる。

また、もう少し視座をあげると、あらゆる場面における衝突は、権力争い・主導権争いの結果起きており、一般市民のための争いではないのではないか?光だ闇だ、青だ赤だ、何だかんだと色分けをして、目覚めだなんだと叫んで、あたかも市民が一当事者として立派に参加しているようにも見えるが、本当にそうなのだろうか?と言う視点も持つようになる。

信じたものが偽物だった、ということも、ないわけではないが、それを正面から受け止め、気付いた時点で距離を置くことができるのは、過度な周囲への気遣いをすることなく、自らの運命は自分で選ぶという主体性を持ち、自分の人生を生きている証拠だと、ありがたく受け止めている。

原理の一つは「確信をもって救済や不朽の意味を約束する」

読者の中には、例えば、他国の大統領選やコロナ禍への、様々な視点とそれに対する激烈な反応を観察していて、一般市民を指して「政府・マスメディアに洗脳されている」という言葉を使い、テレビは一切観るなと説き、他国の大統領を「救世主」だと持ち上げたり、何度も変わる特定の日付を指して財産を消費させる人たちに、違和感を持った人もいるのではないだろうか?

実はわたしも、当初は、そのような動きに好奇心を抱いてフォローしていた時期があるが、この本を読み、このような流行も、実は、いまの現状を不都合とする一定の勢力に洗脳された結果起きているのではないか、という見立てを持つようになった。

それは、第六章で触れられているように、マインド・コントロールの原理の一つに、「確信をもって救済や不朽の意味を約束する」というものがあると知ったからである。

隔離と情報遮断によって、欠乏状態におかれたうえで、希望や愛が与えられると、それはいっそう光り輝くようなものとして体験される。それを与える存在が、強い確信と信念に満ちていればいるほど、その人の目には、救済者として映ることになる。そこに、リフトンのいう神秘性を帯びたカリスマ性が重要な役割を果す。その源泉は、信念に対する揺るぎない確信であると同時に、誇大自己の万能感である。それは、貶められ自己否定を抱えた者にとって、神々しく、頼りになるものに感じられるのである。

「マインド・コントロール」190ページ

救世主というものは、人々を現実的に救うというよりも、救いを約束するという構造をもっている。いついつになればとか、何かをすればとか、条件がつくのだ。本当に救う気があるのなら、先のことを約束などせずとも、黙って救ってくれればいいのだが、それでは救世主は成り立たないのだ。最大の前提として、私を信じれば、救われるだろうと、人々が信じることを要求する。ある意味、信じるということを介してしか、”奇跡”も起きないからだ。

「マインド・コントロール」192ページ

思い当たることがあった。

誰かを担ぎ、目覚めよ!と叫ぶ人たちもまた、洗脳されているのではないか。という問題意識で観察すると、恐怖心や感情に訴えかける様々な文言にも、入り込みすぎず、冷静になることができた。

今でも、テレビは観るがその情報が全て正しいとは思わず、SNS等の情報も拾うがそれが全て真理だとは思わず、幻の敵と感情的に正面から戦うことなく、不安に駆られた過剰反応で今を蔑ろにすることなく、生活ができている。

純粋な理想主義者ほど洗脳に陥りやすい。

誰もが心の奥底には、自分が特別な存在であり、人類や社会に対して、普遍的な価値ある貢献をし、生きた意味を残したいという願望をもっている。理想主義的で純粋な人ほど、そうした願望が強い。

「マインド・コントロール」24ページ

高額なプログラム等で散見される「みんなが幸せになる」「平和になる」「あなたの使命」「あなたにしかこの役割は負えない」「あなたの力が必要」などの誘い文句は、純粋な理想主義者の琴線に触れるであろう。私もそうだった。

成長意欲ではなく、自分は報われていない、という気持ちにつけ込まれていないだろうか?

潔癖になり過ぎて、全か無かの二分法的な思考に陥っていないだろうか?

本当に、その狭いトンネルの中にしか、あなたの居場所がないのか?

いま現在、心が揺れ動いているのなら、この本を読んでから、ゆっくり自問自答すると良さそうだ。(もし、特別価格で受けたいなら本日中に返事しろ、と言われているのなら、それこそ、マインド・コントロールの典型例なのである。)

ちなみに、この本では、宗教団体の起こした事件について、なぜ、彼が教祖となり、なぜ、高学歴で理想を持っていた多くの若者が信者となり、暴力的テロ行為に加担したのかについての分析もなされている。

強い確たる存在に同化したいという願望が、マインド・コントロールを生む。

マインド・コントロールを生むのは、コントロールする者からの一方的な操作や支配だけではなく、それを求める気持ちを持つからだ、という認識が必要だ。著者はそう述べている。

自分よりも強力な存在に依存したい。そうすることでしか自分を支えられない。そんな気持ち、依存と自立の問題をどうにかしない限り、マインド・コントロールを解くことは難しい、ということのようだ。

思えば、私は、社会の中における自分のアイデンティティを思うように築くことができなかった時期があり、健康系のMLMなどを入口としてスピリチュアルな世界に足を踏み入れた。

宗教ではないし(ニューエイジの影響はあったと思う)、コミュニティの活動に参加することも多くはなかったが、要するに「政府の言うことは全て嘘・全て悪」「良いものは全て隠され抑圧されている」をはじめとする極端なスローガンを、やわらかな雰囲気の女性たちが語るのを見たり聞いたりしていた。同時に、使命に従って生きなければ幸せになれない的な言説も多々聞いた。

集団嫌い、営業嫌いな性格が幸いして、MLMにハマることはなかった(解約済み)のだが、どこかで、現在の自分は「使命」に従えていないという不足感を持ち、自分の外側に正解を探し続けた時期もあった。

確かに、生き方として、どこか依存的だった。そう思う。

たとえ軽いものでも、その依存性が、社会不安を背景に、一般市民を指して「政府・マスメディアに洗脳されている」という言葉を使い、テレビは観るなと説き、他国の大統領を「救世主」だと持ち上げたり、何度も変わる特定の日付を指して財産を消費させる人につながっていったのだ。

私の内側に、マインド・コントロールを許す素地があったのだ。

この本を読んで、このように自己分析できたことで、全て嘘とか全て悪とか、そのような白黒思考を脱却し、冷静さを取り戻し、人生の操縦席に、自分以外の誰も座らせてはならないのだと実感できた。
私はそのように振り返っている。

洗脳は洗脳でしか解除できないが微妙な問題をはらむ。

著者はこう言う。

「デプログラミング(洗脳解除)もまた洗脳であり、信条や価値観の強制であるという危うさを抱えていることは否めない。」
「無理やりにでもでプログラミングして、今までいた世界に引き戻すことが必要な状態と、むしろそれは健全な自立であり、成長として歓迎すべきもので、同じ信条や行動を求めることの方に無理がある場合もある。」
「デプログラミングが正当化されるか否かは、それほど答えの明確でない微妙な問題」

何が幸福なのか。何が正義なのか。

絶対的な基準などない以上、まったく利害関係のない特定の個人に対して、専門家ではない私が、直接、洗脳されていると指摘したり、抜け出すように説得することは、すべきではないのだろう。

自らの運命を選ぶ主体性があるか?が問われ続けている。

私は、あなたを説得しようとしていない。救おうともしていない。
検討材料を提供しているだけである。
ゆえに、著者の言葉をそのまま、読んでいただき、締めくくりとする。

マインド・コントロールが上質なものであればあるほど、コントロールを受けた者は、自分が望んでそうすることにしたのだと感じる。

「マインド・コントロール」13ページ

マインド・コントロールの問題は、結局は自立と依存の問題に行きつく、そこで問われるのは、われわれがどれだけ主体的に生きることができるか、なのである。

「マインド・コントロール」233ページ

全体主義の亡霊が人々の心をとらえ、排除と戦争へと暴走させるのは、多くの人々が自分の頭で考える余裕をなくし、受動的な受け売りを、自分の意思だと勘違いするようになったときである。そのとき同時に見られる兆候は、白か黒かの決着をつけようとする潔癖が亢進し、独善的な過剰反応が起きやすくなるということである。
マインド・コントロールの問題が突きつけている問いは、われわれ現代人に、自らの運命を選ぶ主体性はあるのかということに思える。

「マインド・コントロール」終わりに

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ムネモシュネ
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