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「ことばを使って」
「ことば」による愛情表現。
好きな人ができた時、一番頭を悩ませる。
「あなたが好きです」と、一言で言えども
はたして、友達なのか恋人なのか。
つまるところ、それは発言した当人にしかわからない。
「ずっと大切にします」なんてよく聞くが
”ずっと”とはいつまでなのか?
これは発言した当人にもわからないのではないだろうか?
相手への愛情を伝えるための ことば は
日本語に絞ったとしても、数多くある。
そして相手から自分への表現も同様に。
そして、異なる言語を含めれば、もう数えてなどいられないだろう。
お互いの意思を100%理解することは、おそらく無理だろう。
それでも、ことば を使わねば、意思疎通は難しい。
ことばを使ったところで本当に意思疎通をはかれているかは
誰にもわからないのである。何とも不思議。
そもそも「愛」とは、宗教や場面により、様々な使われ方をするのだが
ここでいう愛情表現の愛は、
「あなたが思うもの」と、とらえてほしい。
ことば による愛情表現の軸はここにあることを確認しておきたい。
一番の愛情表現。ことばによるそれは、何を差し置いても
好き・愛しています と実際に伝える事だろう。
それが手話であろうと声であろうと。だ。
それが最も直接的に気持ちを伝えようと努力している状態にとおもう。
要するに、月が綺麗ですね、などと言う暇があるなら
2音ですむ好きと言えと。そ言う事である。
ここでまた難しいのは、月が綺麗ですね、と言うと
なぜか、どこか知的に感じるところである。
それは別にこのことばでなくても、使えることばの量が多いといのは
賢いと言う事とほぼ同意義であろうところからである。
おそらくこの記事が書きあがる着地点は、
目指すべきは、二日目のカレーであっただろう。
しかし、愛もことばも難しい。煮え切らないままになるだろう。
恋人と二人で部屋にこもりっきりだと、
世界に二人しか居ないような、二人の他には誰もいない感覚
それは愛を感じているからだと思う。
好きということばから始まり、ティッシュ取って、
にすら、愛着が生まれるように。
相手の表情や雰囲気から、ことばにさらに意味が纏わりつく。
厄介な面白さ。
ことば は、50音のアナグラムでしかないね、ってどこかで読んだ。
それすらもアナグラム。
ことばによる愛情表現で大事なのは、重なって生まれていくもの。
ということを、忘れないこと。
重なったものに意味を付け、感じるのは自分であるということ。
それは同時に意味がなくなるのも一瞬だということ。
そもそも意味があるものなんてないと思っている。
瞬間が愛だなと思うし、積もって愛だなとも思う。
当たり前が一番難しいしのに、気づけば当たり前になっている。
考えながら話す時間が増えれば、しんどいけど
少なくても自分自身は満足出来るんじゃないかな。
だといいな。