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スマホを断ちたいと思い立ってからの心の変化

休日は図書館に行って本を借りている。子どもの頃にもよく行った市立の図書館だ。
あの頃は「からすのパン屋さん」という絵本が好きで何回も借りていた。寝ても覚めても米好きな私だが、この本に描かれたパンがとても美味しそうで、「パンは敵だと思っていたがパンも悪くないな」と子どもながらに一丁前なことを考えていた。また、外国の小説(ティーン向け、日本語版)も好きだった。その頃から、異文化の考え方の違いなどに興味を持つようになっていった。

今、私が借りる本の種類は多種多様だ。哲学の本、詩、エッセイ、インタビュー、小説、など。その週によって気が向いたものを借りている。ただ、本を借りているうちにある悩みが生じた。あるあるだが、「本を読む時間がない」である。8月、私は平日5時半に起き、21時半に帰宅して22時半に寝るという生活をしていた。通勤時間はたっぷりあるが、電車で立ってバランスを取りながら読むのは難しいし(最近気づいたが、満員電車でも本を読んでいる人は読んでいるので、不可能ではないと思うけれど)、疲れている時は通勤時間まるまる寝てしまい、本を持っていても読めなかった。
かと言って、本を読みたいので仕事を残して帰ります、と言うことはできない。自分の個人的な時間の中で、どこかの時間を読書に充てるしかない。そこで、さてどこに無駄な時間があるかな、と自分の一日を振り返ってみたのだが、何度考えても、とある時間しか浮かばなかった。そう、タイトルにある通り、「スマホを触っている時間」だ。家に帰ればiPadをいじっているので、プラスで「iPadを触っている時間」も当てはまる。
どうすればスマホを触る時間が減るのか。ネットで調べたり(スマホを触る時間を減らす方法をスマホで調べるって何だか皮肉だ)、自分の習慣を見直したりして考えたとき、次のような解決策が浮かんだ。

①スマホとiPadの画面設定を白黒にする。
②つい長く使ってしまうアプリを、目のつきにくい場所に移動させる。
③本は紙の本を読むようにし、映画は映画館で観るようにする。
④毎日、スマホを触った時間を確認し、次の日はこれより減らすぞ!と意気込む。

今のところ、特に役に立っているのは①と③だ。私は今も白黒画面のiPadで文字を打っている。目が疲れにくい気がするし、Amazonを見ていてもカラーで見るより面白味がない。スマホやiPadで見るもの全般、全体的に興味が薄まる。だから、結果的に見る時間が減った。
また、本や映画など、スマホで触れるようにしていたものをあえて不便な方法で触れるように変えた。正直、家のiPadで映画を観ていると、いつでも食べ物を探しに冷蔵庫まで行けるし、いつでもお手洗いに行けるので、集中力がなかなか続かない。その反面、映画館に行けば強制的に映画鑑賞に没頭できる。結果的に映画館で観た方が内容もよく覚えていられるんじゃないかな、と思って、これにトライしてみた。確かに、昔の作品など、映画館で上映していない作品を観る際はサブスクが有利だと思う。だが、本格的にスマホ断ちできるまで、当面は映画館生活をするつもりだ。

スマホ断ち生活を試みてからまだ間もないので、いきなり「全然使わなくなりました!」と嘘をつくわけにはいかない。使う時間は、今のところ半分に減った。半分でも途中経過としては充分かもしれない。
取り急ぎの心の変化は、「自分の軸に集中できる時間が増えた」ことである。
哲学の本や大昔の思想家の本を読んで、なるほどと思いながら自分のことを振り返る時間が持てた。だから、あらゆることに対して「私はこう思っている」という価値観を改めて理解し、自覚できるようになってきた。
また、今日はYouTubeを大分観ちゃったな、という日があった。なんで観ちゃったのかを振り返ると、ある著名人の「お悩み相談コーナー」系の動画を20分ほど観てしまったからだった。それに気づいた時、こう思った。
「私、また誰かの考えが正しいと思おうとしてる。『自分よりすごい人』の言葉を信じようとしている。でも、私がまず信じるべきなのは自分の言葉、自分の価値観じゃないか?」
そう思った時、YouTubeを観漁りたい気持ちがすっと消えていった。
誰も彼も、私の気持ちを代弁できるわけでも、私のことを芯から理解してくれるわけでもない。それらは自分ですることだから。
それに、著名人たちだって哲学者や思想家の言葉に影響を受けて自身の価値観をつくってきたはずだ。だから彼らの言葉ではなく、大元の哲学者や思想家の言葉を聞いた(読んだ)方が効率的ともいえる、と思った。

今のところこんな感じのスマホ断ち生活が、今後どうなっていくのか楽しみだし、変わったことがあればまた書きたいと思っている。

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