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「生理を我慢しない」ということについて

ある夜、家のトイレであれの開始を知る。
10年以上続いているものなので、予め身体のサインも感じとっていた。幸い私のあれは比較的決まったサイクルでやって来てくれるので、今回もほぼ予定通りだった。
そう、生理のことである。
ああ…今日の夜来たということは、1日目、2日目は働かなければいけないのか…と軽く落ち込む。私の場合、1日目と2日目は腹痛が強くて日中数時間おきに薬を飲まないと安心できない。ひどい時は夜も腹痛で眠れず、もはや吐き気まで催すこともあった。
でもみんな我慢してるのかなあ、と思う。かく言う私も今のところ、生理で学校や仕事を休んだことはない。「中毒じゃん」と自分で自分を揶揄いながら薬を飲み続けて踏ん張るか、「今日は何もできなくていい」と自分に優しく声をかけ、仕事をしているようでしていないような働き方をするか。どちらにしても結局、「それでもなるべくいつも通りのパフォーマンスをしなきゃだめだよね」という気持ちが頭のどこかにあって、やるべきことに集中できない自分を頭のどこかで責めがちな気がする。

今回も正直、重さの程度はいつも通りだった。いつも通り何とか対処すれば乗り越えられそうなしんどさだった。
でも今回、私は小さな一歩を踏み出した。仕事を在宅勤務に切り替える、である。
「ちょっと体調が優れないので、明日は在宅してもいいですか」と言うと快く許可してもらえた。感謝。
同時に、いつもはこのくらい我慢してたけどな、と意味もなく自分を責める気持ちが生まれた。
でも考えてみろ自分。いつも我慢してるからといってこの先もずっと我慢するのか?「薬を飲めば大丈夫」というのは、大丈夫のうちに入るのか?例えば熱がある人が「薬を飲めば大丈夫」と言っていたら、大丈夫じゃないよ!休んで!せめて在宅して!と自分は言うのではないか?
いつも休まず仕事をしている中、たった1日在宅勤務にしたところで、誰が私を責めるというのだ?
そこまで考えて、何だか馬鹿馬鹿しくなった。
私が楽をしようとしていることは、罪悪感を抱えるべきことでは決してないのだ。

でも、こうやって意味もなく自分を責める感じ、生理を経験している人の多くは味わったことがあるのでは、と思う。そう思ってこれを書いた。生理中で集中力がないから全く文章を練れていないけれど、何となく書きたくなった。
我慢することに慣れている人が多いのではないか。休むとか楽をするとかいうことを駄目だと思う自分を排除できない、という人が。
でも多分、別にいいんだよ、と思う。
ちょっとくらい楽をしたって、何も悪いことなんか起こらないさ。

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