ライター必読本⑦重松清『あのひとたちの背中』
「ライター仕事」のマスターピースの1つ
重松清が『en-taxi』に連載した、作家、マンガ家、脚本家、映画監督など、広義の表現者13人へのロングインタビュー集である。
私は重松清を、小説家としてよりもライターとして尊敬している。
小説家としても好きではあるが、ファンというほどではない(そもそも、小説は数作しか読んでいないし)。
重松が小説家として名を成す以前から、いまに至るも続けてきたライターとしての仕事――その素晴らしさに感服つかまつり、「ライターの鑑」として仰ぎ見てきたのだ。
そして本書は、彼の「ライター仕事」のマスターピースの一つだろう。
文庫本の帯やカバーには「対談集」とあるが、 重松は本文でずっと「インタビュー」という言葉を使っているし、自分を「ライター」と呼んでいる。
版元は「直木賞作家の対談集」として売りたかったのだろうが、重松はあくまで「ライターのインタビュー仕事」として書いているのだ。
「まえがき」にそんな一節があるとおり、本書のインタビューは予定調和的な通り一遍の内容ではない。重松が敬愛してやまない表現者たちの、表現の「核」に肉薄してやろうという、真剣勝負のインタビューばかりなのだ。
インタビュー記事に1~10のレベルがあるとしたら、本書の各インタビューは間違いなく最高のレベル10だ(レベル1は最低限の下調べすらしない記事)。
いろいろな意味で、インタビュー記事の手本になり得る一冊である。
入念無比の下調べ、話の引き出し方、構成の妙、そして何より、インタビューイの「核」に迫るプロセスがもたらす興奮――。
1人につき1万6000字という、雑誌のインタビュー記事としてはかなり長い紙数が与えられている。そのため、記事中で重松は取材の舞台裏まで詳しく明かしている。どんなシチュエーションで取材したか、質問にどんな意図があるのかなど……。
だからこそなおさら、インタビューのお手本集として読めるのだ。
「レベル10」のインタビューを、あと2つ
インタビュー仕事として最高の「レベル10」だと思うものを、あと2つ挙げる。
1つ目は、作家・日野啓三が『読売新聞』編集委員時代に行った、東山魁夷(画家)、今西錦司(人類学者)、江上波夫(考古学者)へのロングインタビューだ。
いまでは、『創造する心――日野啓三対談集』の第1部としてまとめられている。
「現代日本の代表的文化人にじっくりインタビューして、経歴と仕事を大きく深く捉えて書くように」と編集局長に命じられ、1人につき6~10時間ほどインタビューしたものをまとめている。新聞の紙面では20数回ずつ、各1ヶ月にわたって連載されたという。
「編集委員としての私の新聞紙上の記事として最高の仕事」と、日野が「あとがき」で自画自賛するほど、濃密で深い内容だ。
「あとがき」にそうあるように、日本を代表する大物文化人たちを相手に、日野は全力でインタビューに臨み、見事にその人物像と業績の「核」を引き出している。そのプロセスがすべて記録されているのだ。
聞き手に高い力量があり、十分に準備をして臨めば、インタビューはここまで深い内容になるのだ、と感嘆させられる。
「レベル10のインタビュー」のもう1つの例は、作家・矢作俊彦のエッセイ集『複雑な彼女と単純な場所』に収録された、〈87分署シリーズ〉の作家エド・マクベインへのインタビューである(タイトルはシンプルに「エド・マクベイン」)。
これがすごいのは、インタビューでありながら、矢作俊彦ならではの見事な「作品」になっていること。エド・マクベインを主人公にした、ウェルメイドな短編小説を読むような感動があるのだ。
実際のインタビューのやりとりが、どのようなものだったのかはわからない。が、少なくとも「文字起こしそのまんま」とはほど遠く、大幅なトリートメントがなされていることは間違いない。
たとえば、こんな一節がある。
大変カッコいい言い回しだが、いかなエド・マクベインとて、実際のインタビューでこんな話し方をするとは思えない。矢作俊彦流のトリートメントがなされているのだ(「インタビュー記事で発言の加工がどこまで許されるか?」という問題もあるのだが、ひとまずここでは措く)。
一問一答式で、書き手の問いと取材相手の答えをただつないでいくインタビュー記事が「初級」だとすれば、これはまぎれもない「最上級」。インタビュー記事の1つの到達点だと思う。