見出し画像

人はいつか、幸せになれると信じていいのだろうか。

数週間前、飲みはじめた抗うつ薬で薬疹がでた。薬疹が出るのは今回で2回目。一度目は高校生の時だった。あり得ないぐらいの高熱と、皮膚が腫れ上がり、声を出すこともできなかった。あの時は数日間ほぼ意識もなく点滴が身体を巡っていくのでさえも激しい痛みを感じ、ただ目を閉じてその痛みに耐えていた。人生で初めて、直近に死を感じた瞬間だった。

最近になって思うのだ。私は本当はあの時に死ぬはずだったのではないかと。



今回は発疹と熱感だけで済んだのだが、対して効果を実感できないまま、抗うつ薬で薬疹が出るという、何とも言えない気持ちになった。

でも、やはり抗うつ薬。
急にやめたことがいけなかったのか、この数週間どんどん鬱が酷くなる感覚があった。自分が普通じゃないと自覚するには十分だった。



助けてと誰かに言いたい夜。
スマトーフォンの画面をスクロールしても、連絡できる相手がいない。いつものことだった。でも、一人では耐えられず、迷惑をかけたくないと思っている人に連絡をしてしまったりして、後悔して、また自分で自分の首を絞めた。誰かに、気がついてほしかった。誰かに助けてほしかった。でも、私には本当に誰もいないのだ。私は何にも救われることはない。私を1番に考えて駆けつけてくれるような人は24年間いなかった。だからきっとこの先も誰もいないのだろうな、期待なんてしたら相手にも迷惑で、自分も苦しむだけなのだ。それなのに、助けてと誰かにSOSを出してしまいそうになるのは、やっぱり誰かと強い絆で結ばれたいからだろうか。夜中に連絡し合える誰かがいることは決して当たり前ではないのだ。そして、わたしはただ、それをしたいだけなのだ。一人行動は好きだけど、一人で色んなものを抱え込むのにはもうきっと限界だ。だって24年間ずっと一人だったのだから。

だが、限界と言いながら、日々は続いていくもので、今日も相方が仮眠に行っている今、寝ない利用者を横目に、一人で泣きながらnoteを書いている。もう、ここまでくると本当によく分からない。

ここ数日は、仕事での自分も脅かされているのが、本当に恐ろしく感じる。もう5年目。介護士としてのスイッチはあるはずで、仕事は仕事だ。やるしかない。けれど、休憩時間になるたびに急に溢れてくるのは涙だった。夜勤の仮眠時間も、夜勤で相方が仮眠に行っている間も、気がついたら泣いている。何に泣いているのか分からない。これが、限界のサインなのだろうか。もしそうだとしたら、あまりにも中途半端で残酷なサインだ。




少し前、私の好きな人に1番言われたくない言葉を言われた。


「信じられない」


声も顔もその時のカーテンの動き方さえも、鮮明に残っている。


きっかけは私。
私が完全に悪かったのだ。

でも、何年も前に好きだった人から突然電話が来るなんて思いもしなかった。

彼は、まだ連絡取ってるんじゃないか、会ってるんじゃないかと、感情的だった。そりゃあそうで、そう思うのも当たり前で、私が彼の立場でもそう思うだろう。

でもそんなことは一切なくて、それを伝えても伝えても伝わらなかった。向き合おうとしたけれど、その距離は離れていくばかりだった。時間が経つと余計何も言えなくなっていた。私も酷く疲れてしまい、あんなに大好きな人だったのに、諦めのような感情を抱き始めていることに自分で気がついたとき、自分でも言葉にできないほど悲しくて苦しくなった。

どうして、伝わらないんだろう。
こんなに好きなのに。
こんなに、大切で失いたくないと思っているのに。

こんな私のことを唯一、好きと言ってくれる人だった。そんな人のことすら奪っていってしまうのだ。そしたらもう私は本当に何もなくなってしまうのに。運命は残酷でいつまでも私に厳しかった。

苦しくて苦しくて吐き気がした。
何度目の過呼吸だっただろう。
この1週間ほど、ほぼ毎日のように家で一人、過呼吸になっては、床で動けなくなっている。

連絡先を消していなかった私のせいだろうか。もはや、自分を責める気力さえ残っていなかった。


彼との関係は、一つの電話で最も簡単に崩れてしまった。そんな浅はかな関係だったのだろうか。私のずっと心の支えでいてくれた彼、私が信じていた彼、それは幻だったのだろうか。
そして、やっぱり本当に伝えたいことは、伝えたいときこそ、伝わらなかった。私にとって、はじめて私を見つけてくれた人だった。はじめて、何もかもを受け入れてくれた人だった。

その人と幸せになりたかった。
私も、幸せにしたかった。
そう思える人だった。

彼はきっと私がいなくなっても、普通に仕事に行き普通の生活を送るのだろう。そう思うと、一人での夜を耐えられない自分が、彼のことを今でも頼ろうとしてしまう自分が、いかに弱くて、自分勝手なのだろうとまた自己嫌悪に陥る。彼のことを、傷つけたくなかった、心から


消えたくなった仕事の帰り道。
結局なにも届かなかったあの日。
あれからいつもより寒く感じるようになり、少し息苦しさが増したような気がする。

結局、わたしはきっと幸せとはほど遠いどこかにいるのだろう。誰かの温かい言葉や、ただ何も聞かずにそばにいてくれるようなやさしさに触れることはきっとこれからもないのだろうか。それでも、それに憧れて、また誰かを信じてしまうのだろう。

愚かだな、そう思った。




何が正解なのだろう。
誰かに話したところで、大体の返しは想像がつく。それでも、休むことができないのだ。休んだら、きっと私はあっという間に違う世界へいくことを選んでしまうだろう。

それでもいいか。と思ってしまうような日もあるけれど、やっぱりと思い直すことがなんとかできている。耐えられている、自分はまだ大丈夫だ。と。
それが自分を追い詰める行為なのか、それとも大丈夫と思えているのだから大丈夫なのか、それすらも自分ではもう判断がつかない。休めないのだから、耐えるしかないのだ。逃げ場がないのだから、いつもと同じ生活を送るのだ。それでも時々たまに稀にあるやり甲斐や、生き甲斐、ほんの少しの幸せを噛み締めながら生きていくしかないのだ。




こんな状態でも、私にはやってみたいことがある。いつか、自分にしかできないことをやってみたいのだ。こんな自分だけれど、強みはあるはず。今はそれすらも分からなくて、向き合えない日々も多いけれど、いつか自分にしか書けないもので、自分と同じような人を楽にしたい。

そのために、自分の書きたいこと、自分が何を書いたら強いのか、誰にも負けないものが書けるのか模索中です。そして、このnoteを読んでくださっているみなさんにも、ぜひ私のこういう話を読んでみたい、聞いてみたい、などあったら気軽に教えて欲しいのです。私の強み、本当は自分で見つけてあげたいのだけれど、なかなか難しく、誰かの意見を聞いてみたくなりました。

その強みを見つけて本気で向き合って書いたものをkindleでの出版か、有料noteでと考えています。

私だから書けることがきっとあるはずだと、自分だけは信じて、少しずつではありますが前に進んでいきたいと思っています。

そう前向きに思えない日がほぼ毎日ではありますが、私もなにか、この人生でやり遂げたい、その思いが強くあります。きっと沢山の思いを経験してきたはずだから、引き出しも多くあるはずなのです。





最後に。

私にnoteを始めるきっかけをくれた、大切で大好きな人。その子のエッセイがきっかけで、読むことがより好きになり、また書くことを知って、言葉にすることを知って、私は私でいられているし、このnoteという居場所ができました。
noteをはじめて丁度一年程。続けられているのは、自分自身、書くことで救われているからで、いつも温かいコメントをくれる方々にに救われているからです。

本当にありがとうございます。


人はいつか、きっと幸せになれる。そう信じていいのか分からないけれど、信じることでしか生きられない私は今日も、そのいつかを待っているのです。

みんな、みんな、一瞬で終わってしまうような幸せではなく、長く長く幸せでいられたら。



私の思う幸せは、

「ひとりじゃないことに気づくことができること」

そして

「自分の好きな自分でいつづけられること、それを受け入れてもらえていると実感できること」

これが、私の思う幸せで、いつかそうなっていたらいいなと思う憧れの幸せです。





いいなと思ったら応援しよう!