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24歳最後の夜。ブランド物よりも、隣で一緒に眠ってよ。
私は、明日で25歳になるらしい。
職場の歳が近い子と形だけのプレゼント交換を毎年している。今年はブランド物のコスメだった。
わたしの好きな人。
まだ、忘れられない人。
急に家に送られてきた、ブランド物のポーチ。
「信じられない」と言ったのは向こうなのに、わたしが誕生日にあげた物のお返しだろうか。それにしては高すぎる。
そして、掛かってきた電話。
久しぶりに声を聞いた気がした。
「たくさん考えたけど、嫌いになれなかった。1日早かったけど、明日は病院だろうから、」と。
「お見舞いにいくね」と言ってくれた。
そんなブランド品よりも、わたしは日付が変わる瞬間を共に過ごしたかった。隣で最後の夜を過ごしたかった。一緒に眠りたかった。彼の香りはどんな柔軟剤よりもいい香りがして、安心するから。
そんなことを言えるはずもなく、電話を切った。
こんな形だけのプレゼントなんていらないのだ。25歳。ブランド品を見に纏いきらきらして過ごすのが世間の25歳なのかもしれない。ただ、わたしにはそんな権利はないし、そんな世界とはかけ離れた生活をしている。
ブランドのコスメよりも、ポーチよりも、貴方は体がいつも冷えてるからと、あったかいパジャマや。もこもこの靴下を貰った方が愛を感じる。わたしのことを考えてくれているんだなと、嬉しくなる。
なのにどうして、と、涙が出てくる。
ただ、安心したいだけなのに、と思う25歳前夜。
わたしは、余りにも世間の25歳とはかけ離れているのだろう。だから生きづらいのだろう。鬱を治すには、環境の改善と、理解してくれる人が側にいてくれることだと病院でいわれた。そんなこと、できたらしているし、理解してくれる人はいるのかいないのかよくわからない。うまく信じきれないのだ。裏切られるのがこわくて、臆病に、敏感に、なりすぎている。
わたしは、いつか幸せになれるのだろうか。
分かり合える誰かと出会うことができるのだろうか。
そんなことを思ってしまうわたしにも、優しいな、ありがたいなと思う言葉をかけてくれる人もたまにいて、毎回それに助けられている。大丈夫だよって言ってくれる人がいる。
これから先、生きていけるかそれすらも分からないけど、間違った道へ進もうとしたとき、いつも思い浮かぶ顔がある。それだけで、幸せなのかもしれないな。自分だけの小さなしあわせ。それだけでいいのかもしれない。
25歳前夜。
貰ったブランド物なんて箱に入れっぱなしだ。
大好きな人を想いながら、いつもながら誰もいないことに絶望しながら、一人、薬を大量に飲み、副作用を消すように眠剤を飲む。気を失ったように眠ったら、明日からは、いつもと違う世界だ。
居心地の良かった、おふとんと、おさらばしなくてはならない。それが、それだけが少し寂しい。
さようなら、絶望し切った24歳の一年間。
25歳の1年間は、少しは光が見えるだろうか、それともこのままだろうか。期待しすぎてもいけないだろうから、心の中でそっと祈るぐらいにしておこう。
私が今、一番欲しいものは、「安心」だ。
安心できる場所で、安心をくれる人が側にいる環境で、しっかりゆっくり心を休めたい。そんなことを思う24歳最後の夜。