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6/25(日)、センジュ出版対話型講演会が沖縄で開催されました。 「認められる、とはどんなことを言うのだろう。」というテーマ。 この会に参加していないのですが、2022年1月に講演会を主催をさせていただいてから、伝えたい、届けたい『テーマ』をずっと考えています。 いつの日か、また講演会を主催できたらと思っていますが…。 そして、他の方が掲げるテーマがいつも気になっています。 今回のテーマに、ぐっと吸い込まれました。 私は、小さい頃から、 誰かに「認められよう」として頑張っ
「自由」とは、なにか。 自分の好き勝手にやることではない。 「自由」という絶対的な矛で攻めたてる。 何をしてもいいのか。 何をされても許容しなければならないのか。 「自由」の<本質>は、どこにあるのか 「学ぶ」とは、なにか。 塾でも予備校でも学校でも、 勉強をしているけれども、 知識や解き方を教えてもらうだけ。 「学ぶ」ことの<本質>は教えてもらえない。 「学び」の<本質>は、どこにあるのか。 「教える」とは、なにか。 知識や解き方を伝達することではない。 先人が向いてい
3月21日(月)春分の日。センジュ出版対話型講演会の開催日。 主催者である「読書のすすめ」の小川さんは3の倍数と言っていたが、さらには私(数学屋)からすると、21=3×7であり、3も7も素数でなかなか心地いい。 まず、晴れて季節労働的任務を終え、久しぶりに投稿ができる。嬉しい限りである。 1月に読書会を主催をさせていただいてから、ちょうど2カ月が経つ。今回の会は、「再会」というテーマである。講演会中、ずっと私は誰に再会したいのか考えていた。 そうしたら、ふと問いが…。「誰」と
脳裡の中で、複雑な会話が始まる。 A「ここ、狭いな。」 T「広いキッチンだったら、家事をやるのが大変でしょ。譲り合ってやってみたら。」 A「ああ、面倒くさい。自分のことだけやっていればいいや。」 T「そんなこと言わないで。あなたのことも色々面倒見てもらっているし、あなたひとりでは何もできないから何から何まで助けてもらっているでしょ。」 A「おいおい。お皿は並べて食べるもんだぞって親に言われなかったか。大人になったら直せないぞ。」 T「きれいに並べて食べることも大事だけど、こ
流行語大賞に「ジェンダー平等」がノミネートされた。 これをテレビで見てから、 「男女平等」という言葉が私の中で共鳴し合って、自己対話に入る。 〝平等〟って何なの? 娘とお菓子を一緒に食べるときに、 1個、2個、3個、…と娘が数え出す。 お父さんの方が1個多いよ。ずる~い。 私は大人だし、娘はまだ小さいから、少なくていいの。 ええ、なんで~。 結局、同じ個数に揃えてあげる。それだけで満足する。 数は同じだが、これを平等と呼んでいいものなのか。 上の論理は、大人目線でしかないか
小学5年生だったとき、ある神社に行き、写生を行った。その当時から、絵というものは見た目のまま描くという安直な認識でしかなかった。そういう表現方法の一種だと思っていた。絵の描き方を教えられた感じもなく(今考えれば教えられるものではないだろうが)、自由に描いていいという発想は微塵にもなかった。だから、絵心が全くない私は何を描いていいか、まず迷う。 描き始めたのはいいが、絵が砂まみれになって汚れたり、絵の具を使えば後処理に困ったりするな、などと考えた挙句の果てに、時間内に描き終え
【顔が見える読書】をきっかけに、【読書てらこや】などの読書会に参加することが増えた。そして、今年1月からブログ『M.M.読書ノオト』で、読んだ「本」の感想などを書き始めた。7月からは「命の証」を残すための日記的なブログも綴り始めた。そして、10月からはFacebook、11月からはこのようにしてnoteを開始している。今年は新しいことへの挑戦目白押しである。 しかも、週1回、生徒さんには通信『日々是好日』、知人には通信『百花繚乱』(この通信は5年目を迎える)を発行している。
ニュース番組を見ていて、とある高校の校則では女子はスカートを穿くこととなっているが、「多様性」を受け入れてスラックスを認めるように変更したという。これを見て、ふと疑問に思い、自問する。 生物多様性に肖って?、「多様性」という言葉が頻繁に使われるようになってきたが、なんとも都合がいいように聴こえてしまう。もっと言うなら、都合よく、無責任的に、放任的に使っている気すらしてしまう。 女子はスカートとスラックスの選択肢ができた。一方、男子はスラックスのみだ。これのどこが一体男女平