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あらゆるものに本質はない?

「自由」とは、なにか。
自分の好き勝手にやることではない。
「自由」という絶対的な矛で攻めたてる。
何をしてもいいのか。
何をされても許容しなければならないのか。
「自由」の<本質>は、どこにあるのか

「学ぶ」とは、なにか。
塾でも予備校でも学校でも、
勉強をしているけれども、
知識や解き方を教えてもらうだけ。
「学ぶ」ことの<本質>は教えてもらえない。
「学び」の<本質>は、どこにあるのか。

「教える」とは、なにか。
知識や解き方を伝達することではない。
先人が向いている方向に舵を切ることではない。
「教える」ことの<本質>は、どこにあるのか。
あらゆるものには<本質>があるはずだが、
それが問われていないのが現実
でも、その関係性の中で生きていかなければならない。

少なくとも、私にとって、
「教える」は「伝える」である。
「教える」は「受け取る」である。
それが正しいかどうかではない。
正しいかどうかというまなざしで見つめようとは思わない。
そういうものさしを持とうとは思わない。

今、私の想いを伝える。
あなたにとって大切だと思うことを伝える。
それが今の「私」。

なぜ、生きているのだろう。
人間は「感情」を持ったのに、
辛い思いをしないといけないのだろう。
よい方向を目指しているのに、苦しいのか。
あなたの「よい」と、私の「よい」はちがう。
だから、迷うんだ。
だから、悩むんだ。
もう、そういうものさしを見つめ直そう。

<本質>を問おうではないか、
自分の心に。

自分が生きるだけで精一杯。
それなら、私が好きな「私」を生きたい。
だって、一度きりの人生だから。

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