サブカル大蔵経898吉永進一『神智学と仏教』(法蔵館)
インドを旅していた時、チェンナイ市街の神智学教会でパンフをもらいました。神智学って本当にあるんだなと思いました。
教科書にも記載されていた、〈神智学〉。怪しい存在なのかと思いきや、明治の仏教界にこれほど影響を及ぼしていたとは。
著者の博識あふれる文章は、澁澤・種村的な衒学的テキストを読んだ感覚を久々呼び起こす。日本の仏教学にも、ようやくこのような書き手が現れたことが嬉しいです。
ついて来れるか?
彼らが交流していた日本仏教徒たちの仏教も、明治維新以降、急速にハイブリッド化しつつあったわけである。p.9
国際化の波が押し寄せる中、キリスト教への危機感が深化したガラパゴス宗派を動かした。それを担った欧州仏教学留学と神智学来日の影響下にいまだ私はいるのかもしれないと感じました。
知恩院での大演説会で、日本の十二宗派の一致、南北仏教の統一を呼びかけた。p.17
1889(明治22)年に招待され来日したオルコットの演説。スリランカ仏教を復興させた黒船が日本の仏教界をアジる。呼んでおいた東西本願寺がこれを断罪。
仏教ブームの終焉と本願寺派の方針があって「白人伝道」は失速していった。p.27
移民中心への移行。国際伝道とは?
19世紀のインド熱は、ドイツ・ロマン派に始まるといわれる。p.55
ショーペンハウアー、マックス・ミュラー。ドイツ・ロマン派と浄土の関係性。
神智学が日本に最初に紹介されたのは、1886(明治19)年、オルコット『仏教問答』の翻訳に始まる。これは西本願寺派の最高幹部の1人であった赤松連城が、同派の僧侶と思われる人物の水谷涼然から原書を受け取り、翻訳出版に動いて実現したものである。p.99
本願寺派の情報アンテナと実行力。
オルコットの神智学思想より、むしろ彼の反キリスト教演説が重要なのであり、さらに言えば、西欧人が仏教を選択したと言う事実そのものが重要であった。p.101
神智学は利用されたのか。それとも思っていたのと違ったのか。
帰一協会は、渋沢栄一が雑然とした現在思想界に指針を求めると言う趣旨で、姉崎正治、成瀬仁蔵、井上哲次郎、浮田和民らの学者と実業家を集めて結成p.107
宗教界・思想界まで〈合一〉しようとしたのか。帰るところは論語か江戸思想か。
ブラヴァツキーのいう「秘密仏教」とは、七段階の進化を組み込んだ宇宙論と、アストラル体などの身体の七重構成説を中心として、そこに東洋思想の用語をちりばめたもので、多くの研究者が指摘するように、それは東洋思想と西洋オカルティズムの混合物である。p.139
こんなのは仏教じゃないと奇異に思う私たちの宗派仏教も同じに思われているかも?
「私たちの仏教は、大師=達人のゴータマ・ブッダの仏教であり、アーリヤ人のウパニシャッドの智慧宗教と同じであり、そして古代の世界の諸信仰の精髄である。一言でいえば、哲学であって、信仰箇条ではない。」p.185
このオルコットのことばは、実は現代の感覚を先取りしていないだろうか?
明治二〇年代、新仏教を称した人々は知識人の仏教者である。彼らは、宗門に対しては批判的であり、仏教を相対化できるだけの広い視野を持ち、自由討究を重んじた。p.196
私はこれを気取ってきたんだなと思いました。
その中でスウェーデンボルグは、東西の霊性をつなぐキーパーソンとして通用していた。p.271
ラスボス感あるなぁ。
近代仏教は、西洋的なものを模範としたアジア(日本)仏教の改変から生まれたのではない。そうではなく、アジア(日本)を取り込んだ西洋と、西洋を真似ようとしたアジア(日本)の相互関係ー言うまでもなく、非対称的な権力関係に基づくーのなかで誕生したのが、近代仏教である。/すなわち、近代仏教は、特定の国や地域に根差した仏教ではなく、いわば「無国籍の仏教」なのである。p.355.356
病床の吉永氏に代わり本書を編集された碧海寿広さんの解題がかっこ良すぎます。仏教のオリジナルとハイブリッドを神智学を通して描く試みは斬新かつ爽快ですが、今はまた江戸時代に戻っているような。
よほどの外敵が来た時だけ、日本仏教はまたハイブリッド化するのかなぁ。葬儀も寺院も僧侶も不要となった時かなぁ。
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