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サブカル大蔵経872金文京『漢文と東アジア』(岩波新書)
仏教者を揺さぶる本。
日本への梵語と仏教伝来の影響。
翻訳という思想に付随する梵漢文と訓読。
翻訳という日本人の特性と限界。
最古へのまなざしの研究こそが最先端。
なぜ、中国では梵語の仏典が原語で読まれるのではなく、中国語に翻訳されたのであろうか。愚問ではない。コーランは翻訳不可、聖書もルターまではラテン語のみ。仏典は翻訳に儀典も受け入れ大蔵経になってしまった。p.34
仏教とは。
そして東アジアとは。
ヤマタイやヒミコを邪や卑など印象の悪い字を使っているのは、中華思想の辺境の野蛮人を意味する。p.22
音写字にも意味をもたせているんだ…。
中国にとって仏教伝来は唯一のカルチャーショック。漢訳の付随注釈。p.22
インド仏教は中国の何を揺るがせたか。
胡語とは梵語。悉曇。さらに日本で発展し、五十音図。p.31
あいうえおの源流
日本で梵語原典の研究は行われなかったが、遣隋使や渡来僧から仏典漢訳の具体的状況。梵語の言語的性格を知る。p.33
梵語はラテン語みたいな感じか?
あれほど多くの仏典を漢訳しながら、梵語原典が中国に残っていないのは翻訳の正確さに対する自信か。p.38
中国において他国の原典という認識は?
【慈円】梵語はかへりて近く、やまとごとには同じ。と梵語と日本語の親近性を指摘し、ただ歌の道にて、仏道をも成りぬべしと、日本の和歌が仏教の教理にかなうものであると主張。p.39
日本文化における梵語の再評価
本地垂迹説や梵和同一説とは、見方を変えれば、インドの言語や仏の権威を借りて、日本語や日本の神の存在を正当化し、その地位を高めようとする試みにほかならない。p.40
神承認のためのインド源流マウント。
インドの権威を借りて、中国に対抗しようとする思考法は、また漢文訓読の思想でもあった。漢文訓読は便法としての翻訳の域を脱し、漢文本文と対等の地位を主張しうる日本語の一文体として位置づけられるようになる。p.41
まさか、中国を飛び越えるためにインドが利用されていたとは。それが日本語の基底に繋がる。
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