サブカル大蔵経422原武史『滝山コミューン一九七四』(講談社文庫)
班長となったからには、自分の班に河合久美子を入れようと思った。小学生とはいえ、すでに体格的にも大人の香りを漂わせていた河合に、私はひそかに好意を寄せていた。p.225
思わず目を疑う描写も入りながら、原武史が小学生時代の日記や恋愛を開陳しながら、教師や同級生に取材して、西武鉄道沿線の団地と共産党躍進の時代のうねりの中、小学校に出現したコミューンを回顧・検証していく渾身の問題作。
東急との比較が自然と頭をよぎった。p.11
冒頭、路線考察から始まるが、それが実は物語全体の鍵になっていたように思われる。これは原武史の他の著作に詳しい。
(亀山駅の大きさを父に質問すると、天皇が現人神だった時、全国からの伊勢神宮参拝客を載せた列車が必ず止まる駅だったからと説明され)思えばこのとき、鉄道によって過去の歴史に対する感受性が養われるという確信を初めて得たような気がする。p.128
鉄道と歴史。鉄道が人の営み、歴史を生み出すこと。それに気づくこと。
わが家では、父親が鉄道好きだったせいで、六九年に西武池袋線の延長区間に当たる秩父線の吾野ー西武秩父間が開業して以来、自宅の近くに新しい鉄道ができると、用もないのに全区間を乗りに行くという奇妙な習慣があった。/幼少期以来の私の鉄道趣味は、徹底して父親から鍛えられたといってよい。p.93
事実か創作か、渾然する迫力の中に、原先生のご家族の情景と鉄道人生の萌芽も挟まれていて、本作は、原ファンへのボーナストラックのようです。だからこそ学校での実体の恐怖が対比強調されていきます。
全生研の唱える「学級集団づくり」は、最終的にはその学校が所属する小学校の児童全体を、ひいてはその小学校が位置する地域全体を「民主的集団」に変革するところまで射程に入っていたのである。p.63
何かSF小説のようなんですけど、約50年前の事実。
5組と2組では、クラスの雰囲気がまるで違っていた。p.77
怖い。
感染症研究所に勤めていた父親から効果の怪しい予防注射を受けず、「この中に注射を受けない悪い子が一人いると言われた時の動悸。私が集団を恐れなくなったのは、こうしたわが家独特の教育方針に起因しているかもしれない。p.161
原武史の毅然とした態度の源。天皇研究や、昨今の報道へのコメントにおいても貫かれている。
私の予感は当たった。6年5組の児童は、それぞれの委員会で掲示委員会と同様に立候補の方針を読み上げ、十一ある各種委員会のポストを思惑通り、ほぼ完全に独占したのである。p.169/ここで問題にしたいのは、自らの教育行為そのものが、実はその理想に反して、近代天皇制やナチス・ドイツにも通じる権威主義をはらんでいることに対して何ら自覚をもたないまま、「民主主義」の名のもとに、「異質なものの排除ないし絶滅」がなぜ公然と行われたのかである。p.248
民主的な手続きの裏返しの怖さ。
炎や松明が、合唱と同様にナチス・ドイツで重視されたことについては、多くの指摘がある。p.272
光と音楽か…。
中村美由紀の告白。6年になると、過敏性大腸炎になったり、鼻血が出たり、手の皮がむけたりするなど、ストレス性と見られる症状が慢性的に現れるようになった。特に委員長になってからがひどかった。この体制はどこかおかしいということは私にもわかっていたが、口出しする勇気はなく、精神的に無理を重ねているうちに身体に変調をきたしてしまった。p.295
貴重な告白。この気持ちを小学生に負わせていた戦後の日本。
七小は、それを教師でなく、児童自身が実践した珍しい事例に属していた。児童が児童に自己批判を迫ったという点で、それは追及集会よりもむしろ、連合赤軍などの「総括」に似ていたといえるかもしれない。p.301
映像化、映画化してほしいくらい。