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サブカル大蔵経658鎌田東二『南方熊楠と宮沢賢治』(平凡社新書)

ありそうでなかった二人の共演は、フィクションでは柴田勝家『ヒト夜の永い夢』(ハヤカワ文庫)くらいでしょうか。

日本人ばなれした感性と世界観。断片の多い、現代人も追いつかない永遠の未完成。

二人の背景にある密教と法華経の世界。熊楠と賢治がよりどころにした仏教にこそ、今までの法脈にない日本仏教の可能性があるのではと昔から思っていました。それを学生の頃『翁童論』に感銘した鎌田先生が独自の観点で読み説いてくれました。

博物学的生命主義から人間世界を見る南方熊楠と、法華銀河生命主義から人間世界を見る宮沢賢治。どちらも人間中心主義をはるかに超え出て、草木虫魚に近づいていく。二人のM・Kが教えているのは、そんな人間の外し方だ。p.286

 M・K(!)

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金剛界大日如来の一部の「心」の作用によって「物」がうまれてくる。その物と心が相互に作動し合って現象ないし出来事としての「事」が生じてくる。p.21

 熊楠における「心」と「事」と「如来」の関係性。仏教だけど科学の趣も感じる。

大乗は望みあり。p.34 

 宗派より大乗という観点。大乗、大日、大宇宙。その可能性を土宜法龍に送る。

「春」とは、そのような「ひかり」の送信元の銀河や久遠実成の本仏を象徴している。それに対して、「修羅」とは、「わたくし」として明滅し、苦悩や瞬間の喜悦に一喜一憂するせわしく忙し気な現象態である。p.44

 『春と修羅』の表す宇宙と自己。

宮沢賢治が「透明な幽霊の複合体」として「わたくし」を捉えていたことは、南方熊楠が自己の心を「複心」と捉えていたことと通じるものがある。p.45

 マルクス・ガブリエルよりも先に到達している熊楠と賢治と大乗仏教。

賢治はこの事件が起きた明治43(1910)年、盛岡中学校の二年生として在学する十五歳の少年であった。p.52

 宮沢賢治と千里眼事件。

「変態心理」の研究をしていた。p.73

 トランス状態。脳と五感の彼方。

がいねん化することはきちがひにならないための。p.79

 熊楠も賢治も自分がヤバくならないための作業として作品が生み出されていった。

私は春から生物のからだを食うのをやめました。けれども先日「社会」と「連絡」を「とる」おまじないにまぐろのさしみを数切食べました。/もし又私がさかなで私も食われ私の父も食われ私の母も食われ私の妹も食われているとする。私は人々のうしろから見ている。/賢治は魚の立場から人間を告発する。p.97

 東海林さだおを超えた擬人化か。

「親鸞僧上の肉食」に対する「仏弟子」の反論と輪廻転生。p.107

反ビヂテリアンのラスボス真宗門徒。ここに起こる家の宗派と個人の信仰の戦い。

念仏高速道路を逆走するようなp.120

 真宗から法華へ。

二十二歳の熊楠が、若年ではあっても実に堅固な「常住仏心護持」の念と「日本仏徒」の意識を持ち、鋭く批評的な仏教認識を発信していたことである。p.135

 僧侶以外にこそ日本仏教の発芽が。

「秘事念仏のかみさん」(春と修羅)p.137

 岩手の隠し念仏の日常。賢治にとっての真宗は、秘教的な隠し念仏だったのか?

福来は、「千里眼」を仏教の「根本識」すなわちアーラヤ識と結びつけ、「識原」と位置づけた。p.172

 1910年の熊楠と賢治。ハレー彗星と変態心理学という背景。

「なんじ、瑜伽を学ばんとならば、耶蘇教のグノーシスを見よ。/例の捏造捏造といわる、されど玄妙なものなり。」(熊楠から土宜法龍宛)p.188

 大乗仏教とグノーシス主義の比較。

「このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらい」という評価基準。/親鸞の逆説的信心の表明にも通じる反転命題である。p.241

 雨にも負けずのデクノボーも同類

熊楠と賢治が提起した妖怪民俗学と妖怪物語。p269

 ここで妖怪が繋がってくる。

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