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全然順調じゃなかった。パラレルワークをはじめてからの約6年間の黒歴史を振り返る。

どうも、パラレルワーカーのみきてぃです。

ライター、フォトグラファー、YouTuber、キャリア支援などなど、複数のスキルを並行しながら、日々頑張って働いております。


さて、ここ最近ありがたいことに「みきてぃ=パラレルワークの人」といったイメージがわりと周りに定着しつつあるように感じています。

といっても私は別に有名人でもインフルエンサーでもないので、知名度や影響力は大したことないのですが、それでもnoteやXなどから私の存在を知ってくれた人と出会う機会が少しずつ増えておりまして。

「noteすごく共感します!今度上京するから会いましょ!」と連絡をくれてマジで会いに来てくれたnoterさんがいたり、「みきてぃさんをきっかけに“パラレルワーク″を知りました」という人がいたり、はたまた交流会に行けば「いつもSNS見てました!」と言ってくれる人もいたり。

インターネットの力を借りて、たくさんの人に「みきてぃとは何者か」を知ってもらう機会がありました。

ようやく私のパラレルワーカーブランディングも定着しつつあるかな、といった感じです。

ありがたいことに「みきてぃに話を聞いてみたい」と言ってくれる人もポツポツ出てきた今日この頃、あえてこのタイミングで書いてみたいことがあります。

それは、

私のパラレルワーク、ぶっちゃけ全然順調じゃなかったということ。


なんだかんだ軌道に乗りはじめたのはここ2年ほどの話であり、それまでは「どうしたらいいの?!」「いつになったら私は理想に近づけるの?」と足掻きまくりもがきまくっていた時期がありました。むしろそっちの方が長いです。

いつもSNSではいいところ・キレイなところしか書かないのですが、noteは例外。

決して苦労自慢をしたいわけではなく、最近私のことを知って興味を持ってくれた人に少しでも自信を持ってほしい気持ちで、上手くいかなかった過去を晒してみます。

■そもそも私は、音楽家になりたかった。

もとを辿れば、私が目指していたのはプロの音楽家。

今はいろいろと思うところがあって音楽活動はほぼ休止していますが、私のパラレルワーク歴は「派遣社員×フリーランス音楽家」から始まっています。

この2足のわらじ生活を思いつくまでにも紆余曲折ありましたが、そこは割愛するとして、この「派遣社員×音楽家」もぶっちゃけ全然上手くいっていませんでした。

週3〜4日で会社に行き、1〜2日は音楽仲間とリハーサル。
リハーサルにはもちろん給料なんて出ません。

そして数ヶ月に1回は自主企画ライブをやるも、集客はまったく奮わず、毎回運営費が賄えるか下手したら赤字か……の瀬戸際。

音楽教室などの講師業もありましたが、音楽を通して手に入るお金は中学生のお年玉程度で、生活費はすべて会社のお給料頼みでした。

SNSや生徒の前ではプロの音楽家面していましたが、音楽で生計を立てていく未来なんてまるで見えていなかったし、方法もまったく分からず、表面だけ取り繕っていた。そんな感じです。

そんな生活が、なんだかんだ3〜4年ほど続きました。


■YouTubeを開始するも、全然伸びない。

つい最近、コツコツ続けてきたカメラ系のYouTubeチャンネルが収益化を達成したのですが、実はそこにいくまでに4年半くらいかかっています。

YouTubeなんて、上手くやる人は1年以内にさっさと収益化していくので、それに比べると私のペースは極端に遅いことが分かりますね。

というのも、もともとはカメラチャンネルではなく、は〇めしゃちょーやヒ〇キン的なエンタメ系チャンネルをやっていたんです。

恥を承知でなにをしていたか晒します。

まあたしかに流行ったけどね。蘇ね。
チームならまだしも、1人でやるにはすごくエンタメ性に欠ける中途半端なネタですね。
クソほどつまらん。

今はすべて非公開にしたので見ることはできませんが、それはそれは誰の役にも立たない、面白くもないクソ動画を量産しまくっていたわけで。

当時はSEOとかなんも知らなくて、「調べる」という概念すら知らないレベルで無知だったのでこの調子でした。
当然伸びるわけもなく、途中で挫折しています。

その後約1年半くらいかけて「YouTubeは投稿ネタの統一性が大事」という基本のキに気がつき、カメラチャンネルに方向転換。

ですが、やっぱり元がクソなのとSNSのノウハウを勉強しなかった代償はデカく、再生回数が全然伸びない時期が長く続きました。

伸びないとつまらないので、カメラ系に転身してからも長期で投稿をサボり、本格再開したのは昨年の9月です。


■実は、ライバーやってた時期もある。

今ではもうその当時を知ってる人はほとんどいませんが、実は「17LIVE(イチナナ)」の公式ライバーとして配信をしていた時期もあります。

「公式」といっても、世にあふれてるライバー事務所に登録すればわりと誰でもなれたので(今は分からないけどその当時はわりと簡単になれた)、特にすごくもなんともありません。

これがたしか、2021年くらいのことだったと思うのですが、その当時はまだ音楽家として頑張っていきたい気持ちがあったので、その策のひとつとしてライバーをはじめたんです。

というのも、YouTubeが全然伸びなくてつまらなくなったので、別のことに手を出したくなったんですよね。(笑)

しかし、ライバーはYouTube以上に難しいと感じる部分が多く、たった数ヶ月でやめてしまいました。


■ライターになるまでに、60本近くnoteを書いた。

そんなこんなでアレコレと手を出し続け、ついに(?)ライターという仕事に手を出したのが今から2年半くらい前。

とはいっても、最初は「ライターになりたい」という気持ちはあまりなくて、「書く」はあくまでも趣味でした。

とはいえ、振り返ってみるとライターデビューするまでにかなりnoteを書いているんですよね。
多分ライターになるまで50〜60記事は書いてます。

音楽やYouTubeに比べると、ライターは仕事・お金になるまでが早かったので「順調に進んだ」感がありますが、意外と下積みしっかりしてました。

ライターデビュー後も、2022年〜2023年のあいだはほぼ毎日noteを投稿していたので、そう考えると上手くいった理由は「才能」ではなく、「ただ続けたこと」なのかもしれません。


■パラレルワーカーブランディングが定着するまでに、約2年。

パラレルワークをやり始めたのはずいぶん前ですが、意識して「パラレルワーカーです!」と発信しはじめたのが、ライターになった2年ちょい前くらいです。

あまりにも色々なことに手を出しすぎて「音楽家」としても「ライター」「フォトグラファー」としても印象が弱すぎる自覚があり、とはいえどれも辞めたくはなかった。

そこで「パラレルワーク」を自分のアイデンティティとして、あえて積極的に発信・発言していくように意識していました。

それが功を奏して、「みきてぃさんって、パラレルワーカーの人ですよね?」と少しずつ認知してもらえるようになったのが、本当にここ半年くらいの話です。


■上手くいってそうな人も、意外と泥臭いもの。

私は極端に不器用で、時間がかかったタイプ。

もう少しちゃんと勉強していれば、そのぶん早く今の領域まで来れたんだろうな……と思いますが、「何者かになりたい」と目指しはじめてから約6年かかって、少しずつ自分のブランディングができてきたところです。

だから、これからフリーランスやパラレルワーカーを目指す人には、どうか自信を持ってほしい。

こんなにしっちゃかめっちゃかで、我流を突き進んだ私でも、6年もかかれば理想に近づく方法が見えてきたり、他者へ少しでも影響を与えることができるようになったんです。

大切なのは「諦めずに学び続けること」「悔しくても辞めないこと」、この2つだと感じています。

とはいっても、私もまだまだ夢の途中。
皆さん、一緒に頑張りましょうね。

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