「変わってる」の違和感
こんばんは。みかげです。ちょっと落ち着いたので久々にnote。ここは私の考えを好き勝手語れる場なのでとても心地よいですね⭐
「 俺、私って変な人間だから」って言う人が時々います。私、こういう人あまり好きじゃないです。
なんか今の時代やたらと「個性」って叫ばれてて、疲れてしまいます。私はメイクでアイシャドウは塗り過ぎなくらいキラキラなものが好きだし、お金に余裕があればゴテゴテの派手なネイルがしたい。髪もブリーチしてブルーのウルフカットにしてみたい。服でも、袴とかの古典的なアイテムにレザージャケットとかかっこよさそうだなぁ。そんなの着て街歩いてみたいなぁって思います。でも、これは人と違うことがしたいんじゃなくて、ただそれがかっこよくて好きだから。
私は生き方、というか辿ってきた道も表に出る人々のスタンダードとは言えないかもしれません。10代で精神病を患ったり、親と縁切るために必死になってたり。そのせいで、性格や考え方がすごく歪んでしまったなぁと思うけど、それは意図してやったことではないです。でも時々人と話しているときに「変わってる」と言われます。でも、本当に直感とか経験で思ったことを話しただけです。
「個性」ってすごく第三者的な要素だなぁと思います。ただ好きだからその服を着てたのに、「個性強いね」とか言われたら、急に「特別」っていうチェック項目がついて、スタイルが「評価」の対象になっちゃう感じ。
「私って変だから」という人は「自分は"特別"という項目にチェックをつけてもらえた数少ない人間なんだ」っていう主張に見えてしまうんです。別に、どんな主張をしようと人の自由です。ただ、それによって、「個性」がすごく、なんだろう、偶像崇拝されて、自分という人間を第三者の評価対象物として安っぽいものに見られるのがすごく嫌なんです。私は私の感情とか、考え方で自分を作り上げているのに、、そこに第三者の評価はちょっと邪魔に感じてしまいます。「その髪型個性的だからそれにしたの?」とか、私はこれが好きなだけだよ!って。
今までぼんやり思ってきたことを文字にしてみると気持ちいいですね。「変わってるね」って言われた時の違和感がずっとあったので考えてみました🙃また近いうちになんか語りだすかも👋