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#変わる男 を考えてみる.

〈おことわり〉
※このnoteはCLPの企画「#変わる男」に関して、
「何が問題であったか、どうすればよかったのか?」を考えるものです。
※詳しい内容については参考URLのCLP note記事からご覧いただけます。

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第一印象.

①嬉しくも違和感、徐々に大きく
②享受する側の問題?

始めに断っておくと私はノンバイナリーです。特にジェンダーフルイド(性自認が一定ではなく、液体(fluid )のように流動的に変わる人)の特性を自覚しているので環境や関わる人、気分などで一人称や好みが変わります。

そうしたシスジェンダーから見ると特殊とも言えるような性質を自認している分、性に関して学びつつジェンダー、セックス、セクシュアリティーそれぞれの発信活動を2年前くらいから主体的に行うようになりました。

また、男性性を持つ、今回の話でいうと特権側の人間として「#わきまえない女たち」「変わる男たち」を注視して観ていました。

①嬉しくも違和感、徐々に大きく
「わきまえない女たち」がTwitterをはじめとするプラットフォームで盛り上がる他、メルカリCEO山田進太郎氏が森氏に関するツイートしたり、オンライン署名の賛同人に男性が複数名上がっていたりということもあり女性差別に対して男性が声を上げる環境が以前よりも進んでいるのを感じ嬉しく思っていました。

これまでの「フェミニズム=女性が声を上げるもの」という構図が少しずつ解消されようとしているのか、ヒビから光が差し込んだような感じがしてとても嬉しかったのを覚えています。

しかし同時に私の中には違和感もありました。

この時気になっていたのは、「なんで男女混合じゃないのか?」「男性による女性蔑視とはいえ形式的に女性の放送、男性の放送と区切ると男女二元論的な空間ができてしまう」ということ、そして特権側である男性のみで話すところにはエンパシー頼りになってしまうところ、「被害者としての女性が不在で語るところに「想像」の限界を感じるのでは?」という疑問。

②享受する側の問題?
こうしたいくつかの違和感も抱きつつ、結局は観る側の視点なのかなとも考えました。男性という大きな括りから見ると特権を持っているものの、セクシュアリティの側面で見ればマイノリティーといえる登壇者の方がいたり、同じ男性の中でもこれまで一種仕事として発信をしている方もいれば、これまで到底声を出していたとは見えない方の名前もあり、「これまで特権を享受していた無関心であった男性が声を上げる契機になりうるのかな?」という憶測もあり。

しかし結局のところそこの是非に関しては放送自体での発言やそのあとの行動を経過観察しなければわからない部分であり、机上の空論なのかなとも思いました。


問題だと思う点.

・企画自体の事前告知がなかった
個人的にここが一番の致命的な欠陥だと思います。CLPの特徴としてある
速報配信ですが、今回の場合速報性が持つ「事前告知、意図説明のなさ」が仇になったのかなと推測しています。

①視聴者に向けた企画自体の意図と予定
後出しにはなりますが、個人的には「#わきまえない女」の時点で男女二元論的な空間を作り出しそれが排除につながってしまうのではないかという危惧を持っていました。CLPの説明noteには計画が公開されていましたが、やはり放送スケジュールをあらかじめ開示しておくことでそこの危惧はある程度払拭できたのかなと。

ーノンバイナリーの方々とも議論をした上で「#進むわたしたち」として、3回目の配信も予定していました。これは、この問題を「男性 / 女性」の枠組みに押し込めたり、シスヘテロ二元論の議論をむしろ問い直す形で考えていくことを目指していました。『「Don’t Be Silent #変わる男たち 」の仕切り直しと再考に関して』Choose Life Projectより一部引用

また、男性のみで話すことで生じる諸問題を解決できると踏んだ上ならばそうした運営側の意図の説明も必須だと思います。

黒人差別問題について白人のみで話される会議の話を聞いた時に私はそこに「共感の限界」を感じましたし、今回もまた同じようなことが言えるのではないかと思います。

・加害者であり特権を持つ人達のみで話す目的と効果やおことわりが無い
今回の森喜朗会長の女性蔑視発言に関して個人的に驚きだったのは、これまでSNSやメディア媒体で全く声をあげていなかった社会人の男性の方々がclubhouseで平然と今回の森会長の蔑視発言に関する議論を展開していたということです。

この事象はポジティブに見れば「希望」ですが、一方で「ならなぜオープンな場で話さないのか」という疑問にも繋がりました。もしかするとclubhouse上での立ち振る舞いは一種のパフォーマンスであり、「ジェンダーに関しても関心やスタンスのある自分」として自己正当化を図り自身の地位向上やアピールを目的としたPOSEなのではないかという見方もすることができて。

clubhouseでのこうした動き踏まえるとやはりこのCLPでの登壇に関しても説明がない以上ビジネスでの登壇という目論見が裏にはあるのかもしれないと邪推もして然るべきかなと。

また、配役の多様性についても私は違和感があります。
そこにはオリンピック・パラリンピックに関する部分という点において男、女、ノンバイナリー以外にも障碍を持った方をそこに取り込むことはできなかったのかということであったり、特に男性の放送では年齢層に限りが出てきていたりといった部分において適切かどうかという部分に少し疑問を感じました。

②登壇者に向けた告知や説明のなさ
実際に登壇予定であった方の中にも「事前の情報開示がなかった」「内容を知っていたら出なかった」という旨を述べている方はいました。

男性と一括りにすることはよくいえば連帯にはなりますが、悪くいえば性を根拠にした画一的な枠組みの形成もなり、それは時としてネガティブな効果をもたらしてしまう。

・Too positiveである
日本の近代史を振り返っても男尊女卑社会の有害性、そしてそこにNoを声に出すのはほとんどが女性であり、声を出す女性に対する冷笑やミソジニー思想は今も続くかなり根深い問題だと思っています。

最近であれば伊藤詩織さんの訴訟でのセカンドレイプやMetoo運動に対するネットでのクソリプなども問題に挙げられると思いますし、そうした状況がありながらそれを傍観する、まさに男性側は無意識・意識かかわらずsilentであった。


こうした文章を書いている私ですが、私自身もこれまでに過去には女性蔑視的な発言や思考を持っていましたし、性について学び発信する今でも無意識な偏見は持ち合わせていると自覚しています。

だからこそ、タイトルの「"変わる男たち"は時期尚早ではなかったのか」と考えます。

男性が声を上げること自体はポジティブなことかもしれないけれど、一度つけた足跡は消えないように、これまでの道にもしっかりと向き合いつつ、まずは一歩一歩前に進むことが求められるのではないかと思います。

これから私たちはどうすれば?

私は今回のCLPの企画について色々なところで色々無人と何が問題で、どうすべきだったのか話し合うことが1つの解決策へのきっかけになっていくと思います。

そこにはソーシャルメディアの活用がかなり役立つし、そうしたコミュニケーションのきっかけになってくれたらいいなと思いつつこのnoteを書いた次第です。

また、私は今回のCLPのミスは炎上ではなく批判だったと考えます。
配慮が足りなかったとはいえそこには何らかの意図があり、「現状を変えたい、伝えたい」という本意が私には感じられました。そこに関しては今後も共に作っていくというスタンスでCLPを応援しようと私は思います。


かなり探り探りな部分でかなり感想がベースになりましたが、私が現段階で感じたこと、思ったことです。今後の議論や人の意見を聞きつつ追記します。

参考URL.

「Don’t Be Silent #変わる男たち 」の仕切り直しと再考に関して

女性蔑視発言「女性入る会議は時間かかる」森喜朗会長の処遇の検討および再発防止を求めます


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