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映画

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[映画]記事を年代順にまとめたもの
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#映画鑑賞記録

[理系による「映画」考察] 君たちはどう生きるか(2023) ➡宮崎駿の私小説であり、大学入学試験の小論文の題材に最適な映画

実は、ジブリはあまり観ていないのですが("千と千尋の神隠し"以降、観ていない)、"君たちはどう生きるか"は評価が完全に二分されていることを聞き、そういう映画は自分好みの可能性が非常に高いので、観に行きました。 一言で言うと、宮崎駿の私小説、で(映画ですが)、大変自分好みでした。 また、事前に宣伝しなかった理由も分かりました。結局、個人の私小説で、マスに向けて作られたものではないので、宣伝できないのです。 もう少し言うと、宮崎駿自身がピュアに自身の作りたいものを作った、の

[理系による「映画」考察] シン・仮面ライダー(2023) ➡"オタクの心象風景の再現"という、今までの映画にない新しいジャンルの誕生

Amazon Primeで公開になったので、観てみました。 面白い・面白くない、は、さんざん語られてきたと思うので、いつも通り、別の切り口で考察します。 そもそも、この映画をどう観れば良いかですが、通常のアクション映画として観ると失敗します。なぜなら、この映画は、"オタクの心象風景の再現"という、今までの映画にない新しいジャンルだからです。 具体的に説明する前に、まず自身の仮面ライダーに関する体験から。 自身が子供のころリアルタイムで見た仮面ライダーは、下記の"スーパ

[理系による「映画」考察] 市民ケーン(1941) ➡描かれている独断的暴君なキャラの人、程度の差はあれ、実世界に意外と存在しますよ。

いい人なんだけど、言ってることは大体正しいんだけど、歳をとるたびに独断的暴君なキャラが強くなり、徐々に人が離れていき、最後は一人になってしまう男の一生を描いた作品、になりますが、演出がそれまでの映画にないやり方になっており(当時はとても斬新だったと思ます)、面白い映画ですよ。 子供のころから我が強く、親でも手を焼き、言うことを聞かすには暴力に訴えるしかないが、それでもまったく意味がなく、母親が手放すことを決断し、資本管理兼銀行員に育てられる。が、いくつかの大学で退学するほど

[理系による「映画」考察] レベッカ(1940) ➡同一女優の"娘から大人への変化"を演出するのに成功した映画

監督がヒッチコックなので、サスペンス・スリル、な観点の考察は多々されていると思うので、異なる視点で。 2時間のストーリーの中で、ヒロインである女優の顔つきを、こうも変化させることができるのか!、と唸った作品でした。 前半では、ヒロインの ・綺麗だけど垢ぬけない ・王子様と出会い、選ばれてしまった夢心地 ・ドレスが全く似合わず、テニス用のポロシャツ姿が一番似合っている な、引っ込み思案の田舎娘感満載が見事に演出されていました。 極めつけは、鼻をかませる演出をしており、綺麗

[理系による「映画」考察] チップス先生さようなら(1939) ➡”おヒョイ”への道

ここで言う"おヒョイ"とは、寛容で、お洒落で、知的に見え、世俗的でなく、なんとも捉えようのない飄々とした人物像を表した言葉ですが、日本人で言うと藤村俊二さんのことです。 この映画は、少し堅物の教師が、恋愛・結婚を機に"おヒョイ"に徐々に変貌し、結果、生徒から大いに好かれる先生になる、という物語ですが、"おヒョイ"の概念が海外にもあったことに驚きました(もちろん、藤村俊二さんよりもこの映画のほうが先ですが)。 自身は10代から、"おヒョイみたいになりたいな~"、という強い願

[理系による「映画」考察] ピグマリオン(1938) ➡神話をモチーフとした高尚な映画に見せかけて、本質は夫婦漫才、のラブコメ映画

上記な神話をモチーフとした高尚な映画に見せかけて、本質は夫婦漫才、のラブコメ映画です。 変わり者の学者が女性を洗練させるための英才教育を施しているうちに、いつの間にかその女性に恋をしていた、というストーリーですが、ラストの学者と女性の掛け合いが見どころですかね。 が、夫婦漫才に日常的に触れており、無意識にその領域への鑑賞眼が肥えてしまっている日本人には、その掛け合いの間があまりよくなく感じる(早すぎる)かもしれないです。 ちなみに、この映画を見てすぐに思い起こされたのは

[理系による「映画」考察] 黒蘭の女(1938) ➡ゴリゴリ理系男を混乱させる"女性という異形のもの"を描いた作品

"あれほど注意したのに、それでも我を通して、空気読まなかった自身が悪いんじゃん! なのに、うまくいかなかったことを人のせいにしとるがな! さらに反省するかと思いきや、またもや我を通して、周り利用して、かつ、不幸にして、自身の願望をかなえようとするのは、ありえへん!"、のツッコミ(すいません、混乱してて色々な方言が混じってます)がなんとも通じない、理系男から見ると"女という異形のものの情念"を描いた映画です。 主人公の感情は非論理的なので、ゴリゴリ理系としては大混乱なのですが

[理系による「映画」考察] 我が家の楽園(1938) ➡今、自身が一番身につけなければならない"寛容さ"の手本

仕事人間で"人間味"がなくなったことを気付かされる映画、って約100年前からあるんだ~(もともと演劇が元なので実はもっと前から)、の感想ですが、それよりかは、個人的に現在最も身につけなければならない"寛容さ"の手本となったので、それに関して記載します。 自身もそれなりに年を取り、会社にて、個人ではなく多くの人の協力を得て・意見をまとめてチームとして成果を出すことを求められるマネージャー的な業務が多くなりました。 その上で、今までのやり方に限界を感じつつあり、マインドセット

[理系による「映画」考察] 名探偵コナン 黒鉄の魚影(2023) ➡10代カップルが見るのに何から何まで合理的!

小学4年生の娘から見たいとのリクエストを受けて観に行きました。 いつものコナンらしさ+ラブコメに、機動戦士ガンダム、ルパン三世、宇宙戦艦ヤマト、ふしぎの海のナディア、エヴァ、等々が色々入ってますが、なんとなく"ふしぎの海のナディア"を意識されたかなと(と言っても、ほんのちょっとですが)。監督の立川譲さんは81年生まれとのことで、リアルタイムで見ていてもおかしくなく、なんだか懐かしかったですが、細かい点は専門家にお任せします。 自身がこの映画で驚いたのは、観客です。時間帯が

[理系による「映画」考察] ゾラの生涯(1937) ➡体制・大勢への反骨、すなわちパンク

表題を説明する前に、まずは"パンク"の定義をしたいのですが、個人的には下記の3つがあると思います。 ① ファッションとしてのパンク ② 自由を求めた体制・大勢への反骨としてのパンク ③ その後の価値観を全く変えるパンク ①は、セックス・ピストルズのような服装(ファッション)を意味しています。 ②は、文字通りです。 ③は、美術界で言うと、デュシャンの泉、のように、その後の美術の認識を変えるほど破壊力のある価値観の革命、を意味しています。 ちなみに②と③は明確に区別できず、

[理系による「映画」考察] 巨星ジーグフェルド(1937) ➡紳士という名の色気

豪華な舞台演出の再現が目を引きますが、個人的には、ウィリアム・パウエルの女性を虜にする"男の色気"が気になりました。 "グランド・ホテル"のジョン・バリモアしかり、"或る夜の出来事"のクラーク・ゲーブルしかり、1930年代の映画は、"男の色気"がムンムンする映画が多いのですが、あの色気って何から来るんでしょうね? 必要条件として ・スーツの着こなしがオシャレであること ・髭がセクシーであること ・スタイルが良いこと が考えられますが、一番大事なのは ・紳士(ジェントルマン

[理系による「映画」考察] 赤西蛎太(1936) ➡お笑いの"天丼"(ボケを繰り返すこと)と"間"を多用する落語的傑作映画

よくある時代劇的なやつに歌舞伎っぽさを加えた映画かな、とあまり期待せず観たのですが、全く異なり、"知的に人を笑わせる"という分野における傑作でした! まず、全体的なバックグラウンドは落語にあると思います。按摩の安甲の演技自体はそのまま落語家ですし、江戸時代を舞台とした人間味あふれる創作ストーリの中にお笑いを混ぜてくるところが、落語の映像化を試みた作品とも言えます。で、実際、落語で笑ってしまうのと同じ笑い方をしてします。ここで言う、"落語で笑ってしまう"、とは比較的長いストリ

[理系による「映画」考察] 或る夜の出来事(1934) ➡理系の天敵"ラブコメ"だが、大傑作で完敗。あまりの素晴らしさに最後は拍手してしまった...

理系の天敵"ラブコメ"ですが、完敗しました。敗因は脚本です(アカデミー賞主要5部門ですべて賞を取っているので、あくまで個人の感想です)。 理系の能書きを垂れると下記になります。 後半モーテルでの、"海に飛び込むのが好きな女の子"、に対する、初っ端の綺麗なフォームによる海への飛び込み、による回収。 終盤の、"彼女には殴ってくれる相手が必要だ。あなたがやるべきだった。"、に対する、初っ端の親父さんの平手打ち、による回収。 しかし、なんと言っても素晴らしいのは、最後の、"ジ

[理系による「映画」考察] グランド・ホテル(1932) ➡群像劇多重構築(映像的キュビズム)成功の理由は個別の劇にテーマを与えなかったから

にくい!、うまい!、やられた!、 と唸ってしまうぐらい良く出来た映画です。 ホテルを舞台に、異なる人々のうつろいゆく営みを重ねながら1つの作品として成立させる"群像劇多重構築(映像的キュビズム)"に成功した希代のコメディ作品ですが、論理的な側面だけでなく、"常ではない"という意味での無常感から来る寂しさもちゃんと要素として組み込んでおり、それを意図するために舞台としてホテルを選んだところが、なんともにくいです。 で、表題の"群像劇多重構築(映像的キュビズム)"に関してです