弱い心の対処法
千葉県の大手会社に就職が決まり、初の一人暮らし生活を送った矢先でした。
当時使っていた私のTwitterプライベートアカウントに、見知らぬ捨てアカから長文の誹謗中傷が来たのです。
それも内容は、私の顔写真を加工で歪めたり、私の本名と共に長文で根も葉もない嘘をまじえたものでした。
そんな経験をしたことが無かった私は、手が震えてしまい、心臓がバクバク揺れ動いて、あろうことかその捨てアカに返信してしまったのです。これで向こうは余計にヒートアップ。長文攻撃されてしまいました。
当時の私のプライベートアカウントは沢山の友人が居ましたから、何より恥ずかしかったです。
お手上げになって、知り合いの弁護士に相談したところ、名誉毀損・侮辱罪・脅迫罪が成立するとのこと。無知の極みであった私は、この3つが何なのかすら理解できていませんでした。
しかし、当時入社したてで忙しかったこともあり、裁判という手段に至る気力も時間もお金も無く、スルーせざるをえなかったのです。
おまけに面接の際に仲良くなった新たな友人が、とある宗教の会員であることが発覚して、めちゃめちゃストレスを抱えていた時期でした。しつこく勧誘されるだけではなく、どんどん宗教がらみの関係者を連れてくるのです。電話はしょっちゅうご飯の誘い文句です。が、もちろん目的は勧誘です。
都会だったらバッサリキレます。いくらでも新たなコミュニティーがありますから。田舎は村社会なので共存せねばならない部分もあります。当時はスルースキルも無く、ストレスが蓄積する一方でした。
そしてさらに追い討ちをかけられます。新しくできた彼女が、私の本名をググり始めたのです。(ググる=Googleで検索する。)
そしたら、例の誹謗中傷アカウントが出てきますよね。
本当にうんざりしたのです。
しかも彼女はその誹謗中傷の内容を信じていたのです。
私は何より、それを嘘だと言うのがバカバカしく思いながら、弁明せねばならない状況に悲しみを抱きましたし、そもそも誹謗中傷アカウントさえ無ければ、こんな現実を知ることも無かった。とある種の恨み節もありました。(その後、誹謗中傷アカウントは凍結。)
そういった状況が続くなか、会社の飲み会でお酒を強要され、何度断ってもしつこくしてくる上司に押され、皆の前で飲んだのです。その後。私は、自制が効かずに号泣してしまい、上司たちから「なんだよ~」「しらけたわ、お前のせいで」「男が泣くなよ、みっともない」とボロクソ言われて、心に余裕があるわけでもなく。私の味方なんてどこにもいない。と捉えてしまい、その日の夜に、泣きながら父に連絡したのを覚えてます。全てを話したのです。彼は落ち着いた声で励ましてくれました。
私の心労は限界を迎え、会社を辞め、海外で長期的に療養することになりました。療養っていっても、ほぼ旅行に近いですけどね。笑
様々な人種の方々と知り合い、色々な考え方に触れ、当時の私の思考は、あまりにも柔軟性が無く、小さなものであった。と痛感する日々でした。
満を持して日本に戻った後、オーストラリアとアメリカで知り合った日本人と日系人の意見を参考にし、以前から極めようと考えていた音楽を、本格的に再開しました。
作詞も作曲も、人前に出せるものではない。憧れのアーティストの作品と自分の作品を比べて、あまりのレベルの違いに絶望していたのです。が、"兎と亀"の亀のように少しずつ進歩していく自分を感じました。それが楽しくて、無我夢中になったのです。
まず作詞を極めたくて、様々な本を読んで、語彙を深めようという下心がありました。上辺だけの表現、響き、センスに心を奪われ、無我夢中で読み漁ったのです。
すると、キザな言い回し、少しずつ小説のような比喩や直喩を会得できるかのような実感していきましたが、何かが足りません。
その正体は、"その言葉"が、本当は何を意味するのか?という哲学的な考察でした。詞だけを見て分析して、その後、本人のインタビューを見ても、全く的外れだったのです。それどころか、その人の意図に、自分の願望や、経験を照らし合わせてしまい、どんどん本質から遠退いてしまうのです。心が揺れ動いてしまうのです。
ですが真の意味で問題なのは、願望や経験をその人の意図に照らし合わせてしまうことではありません。それがいきすぎて、本人が何を伝えたいのかを考えなくなってしまうことが問題なのです。むしろ場合によっては、願望や経験が有用な場合も、それが有意義な共感を呼ぶことだってあるのです。
現代。ネットが発達した社会で、そこら中に大なり小なりの炎上があります。その度に、それぞれが好き放題に独自の解釈をして攻撃しあう現場を見て、驚愕します。中にはまともに内容を理解せずに、相手を悪者にして鬱憤を晴らしている人もいます。そしてそういった解釈は、時と場合によって、何を言おう私もしてしまうのです。
時に。それは言い方だったり、伝え方だったり。本当のことを言われた、とか、ズレていることを上から目線で言われた。などと、様々な解釈ができます。
しかし、相手を叩きのめしたい(誉められたものではありませんが)ならば、相手の発言を冷静に分析する努力が必要です。いったんスマホを置いて、自分の心で、相手を見るべきです。例え大勢の人がその人を叩いていても、もっと別の見方があるのではないか。と自分の心に正直にならなければなりません。感情というのは、良くも悪くもロケットミサイルのような威力を備えているのですから。
中には"社会に悪影響を与える"発言もあるでしょう。頭の良い人は、それを良く理解してます。人が感情論で動くことを本質的に悟っている。
しかし、それも突き詰めると、"大衆は深く考えられない"といったステレオタイプの考え方でもあると思います。だから、わかりやすい言葉で。そして誤解を生むメッセージを望まないのでしょう。
私はそれを半分正解で、半分が間違いだと思ってます。
"社会に悪影響を与える"というものは、大まかに二種類あります。事実と、個人の暴走した勝手な妄想や考え方や倫理観です。
もし事実のセクションなら。世の中の闇、裏側は存在したまま、人々は知らないだけです。それは。知ることが問題なのではなく、知った場合に人々の心が腐り、抜け落ちてしまうことが問題なのです。仮に目を背けても。混乱の時代ですから、いつか知ってしまうハメになる可能性が高いのです。
もちろん人間なのだから、あまりにも残酷なシーンを知ったら、悲しみが訪れるでしょう。ですがそれも。それ以上に優しい心があるなら、本当は何度も立ち上がれるはずです。そしてそこで初めて人々は団結することができるのだと思います。
例え"相手を叩きのめしたい"一心だとしても、いずれ。人を理解しようとする姿勢が、思いもよらぬ関係を築き上げる奇跡を私は信じています。
貴方が、誰かを。理解しきれなくて悩んでも、"理解しようとする一生懸命な姿勢"が1mmでも相手に伝わったなら、それはある種の、そして互いの孤独の解放と言えます。
現実は生半可じゃないから、時にこうした内面へのリンクを綺麗事だと投げ捨てたくなることも有るものですが、侮れない一面もあると思います。
人は本当に色々な考え方を持っていて、浅く関わってる内はわからないことも、深く関わると色々と見えてきますから。そんな辟易する現実において互いの深淵を共有するというのは、痛みを越えて互いに気づけなかった世界に連れていってくれることがあります。
もしかしたら、それが、何十年と暗闇の世界にいた誰かに光が射すヒントになるかもしれません。「俺(私)の気持ちなんて誰にもわからない。」とさまよえる人々に起死回生の切り札を渡せるキッカケになるかもしれません。
100人中99人には無理でも、その内の1人は耳を傾けてくれるかもしれません。
そしてそれは、結果的に、自分の知恵になって返ってきます。誰かのことを本当の意味で考えられたなら、いずれは自分のことも客観的に見つめて、愛せることができるようになると思います。
こういった言葉は、ある種、偽善的かもしれません。けれども、"結局見返りを求めるのか"。という考えは、古くさい見方でもあります。もし仮にそれがキッカケで新たな知恵を発見できたなら、またその知恵で誰かにヒントを与えられるかもしれない。そういったターンオーバーの連鎖は、無限で広大の宇宙のような世界観に、私を導いてくれる。そしてより、このドロドロとした現実に、堂々と対応できるようになるのだと思います。
もしかしたら、また何かのキッカケで、人生にとんでもない穴が空いて、こういった冷静な思考ができなくなる時がくるかもわかりません。だけれども、初めて絶望を知ったあの日よりは、たくましく対応できる自信があります。
先程の流れで音楽の進展の為に。様々な本を読み漁り、+αで思想・社会・哲学etcの知識を手に入れました。
作詞をしたいという心の熱が、あまりにも風呂敷を広げすぎてしまったのです。
これは、多くの人に、目標から逸脱してるのではないか?と捉えられるかもしれません。
ですが、またしても先程言った通り、本質は、表現そのものではなく、表現している人の物事や中身への推察だと思います。それを理解することによって、また、表現そのものが真の意味で活性化されるのだろうと思います。
私の作品が、表裏のクロスオーバーを経て壮大なる世界に導かれた時、私が今生きてる現実は、決して遠回りではないことを知るのだろうと思います。
もし仮に、貴方が、不安の中に埋もれていても、全てを悲観する必要はない。と考えます。
瓦礫の中で埋もれる自分に絶望して、瓦礫の中に隠された財宝を見逃して欲しくない。とすら思います。
"息をするのも辛くて、一日を過ごすだけで精一杯。明日を考える余裕もない。死のうなんて考えてる。"
そんな人もいるかもしれない。
周りは理解者ばかりではないでしょう。それどころか貴方を攻撃してくる人もいるかもしれません。そして余裕のない一心で、そこから遠ざかるしか選択肢のない自分が悔しくてたまらないかもしれません。
けれど、"私は私なり"に乗り越えてきました。最も、プレッシャーや心の強さは人それぞれですから、貴方が感じている心の痛みは、私が自分史で感じた重力よりも遥かに重いものかもしれません。
でももし。そうであるならば。貴方が貴方の足で立ち上がり、再び人生を再起動させることが出来た時。多くの人の心に寄り添える、そして何よりパワフルな人間に進化しているに違いありません。それは遠い未来かもしれないが。それによって救える命があるのだとしたら、貴方は再び運命の一部になるべき人なのだろうと感じます。
生きるだけで辛いのに、非力なのに、そんなの無理だ。と感じてるなら、それは"今の"貴方の発想だと断定しておきます。今は冷静になれないのだから、仕方ありません。
うつ病なら、重い腰を上げて日光を浴びる、砂糖を封印する。薬を変えてみる。など、様々なアプローチを試しましょう。重度なら、それすら辛いだろうと思います。ですが、貴方の心が最も遠くなる前に、貴方がまた貴方を愛せるようになるように、その日少しの辛抱です。焦らずに、そして諦めずに貴方だけのペースで、貴方の心なんだから。
冒頭で、私の人生の一部を垂れ流しましたが、ふとこのページを開いた優しい心の持ち主の方は、きっと、暖かな眼差しで見てくれたり、心配してくださるだろうと思います。
私は、そういったことを理解できるくらい冷静になっていると、この記事で伝えたかったのです。だから大丈夫です。
そして、これはある種、過去と。トラウマを徐々に手放していこう。という自分への契約でもあります。
簡単なことではないけれど、今の自分ならできる気がします。論破ゲームを繰り返していたTwitterでしたが、それも私にとっては重要なパズルのピースだったのです。それによって深い傷をおってしまった方がいるなら、ここで謝罪しておきます。申し訳ありません。(何度謝ってんねん。)
トラウマを背負って生きていく、という生き方を否定するつもりはありません。それはまた深い選択のひとつであります。ですが、それによって自身が押し潰されてしまったら、それはあまりにも悲しすぎます。
私は、貴方に光が射す瞬間をずっと待っています。おせっかいならごめんなさい。
今日だけは、傲慢な"Mr.J-Boy"ではなく、本名の"私"として書きました。また偉そうなキャラに戻るのは寂しいですが、近頃の炎上続きを見て、伝え方を工夫したら、どうなるのだろう?という好奇心での記事でもあります。
さぁ!ゲームの始まりだぜ。
Mr.J-Boy
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