明日から社会人になるけど、正直すごく怖い。きっと、クリープ現象の社会人になる。
初めまして!みずきと申します。
このnoteでは私のちょっとネガティブな部分をオープンにしてみます。
共感いただけたり、誰かの心に寄り添うことができたら嬉しいです。
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新社会人になる。
就活を終えたのはちょうど1年ほど前。就職先は従業員が100人にも満たないWeb広告代理店でして、いわゆるベンチャー。
私と同じ22卒の方は、どういう気持ちで残りわずかの学生生活を送っているのだろう。もっと遊びたいとか、早く働きたいとか、なのだろうか。
私の周りは既に内定先でインターンとして働いている人が多く、これからの社会人生活にワクワクしている人が多いように見える。
正直、羨ましいなあと思うことがある。もちろん決していやみではない。
かくいう私は、冒頭の通り。
とても怖くて、とても不安なのです。
いやいやと働くのが嫌すぎて試行錯誤した結果、段々とポジティブになり、やがてうつ病になった
うつ病になった。診断されたのは2021年の2月17日だった。
ある日唐突にうつになるものではなく、徐々に自分の心が蝕まれていく、
その崩れゆく自分に、なぜかやけに自覚的だった。喜怒哀楽の感情変化が乏しくなっていたからだ。
しまいには訳もわからず涙が出てくるわ、食欲も沸かないわ、
就活の最終盤にも関わらず、私の脳は考えることを放棄する。
志望動機も答えられなくなる。
週に5つと来る不合格通知が、私の心の影となる。
体も動かない。もはや、本当にできることがなくなった。
自炊もできないので毎日出前を頼んでいたら、出前館のゴッド会員に昇格した。
怠惰な証にしては仰々しい肩書きである。なんで最高ランクがゴッドなんだ。
うつになった原因は明確で、
当時、私自身の就活と並行しながら活動していた学生団体で、自分の就活すらできなくなるほどの仕事量と重圧を抱えてしまった。
もともと、働くことに対して非常に悲観的だった。
私の周りに楽しそうに働く人がおらず、
毎日辛いことに向き合うのは嫌だなぁ、就活も嫌すぎて、
だから一年間大学を休学したりもした。
それでも一回社会人的な労働に近いことをしてみるべきと思い、学生団体に入ることになった。
組織的に目標を追いかけたりチームを作っていくことが楽しく、ハマっていた。気づけば人事部門の責任者もやっていた。
がむしゃらに行動する日々に脳内麻薬が弾けていた。働くことは必ずしも辛いことではなく、自分の意思と将来を見据えて労働をするべきなんだな、こうやって熱中できたらいいんだと考えるようになっていた。そこから就活もかなりポジティブに進んだ。
今考えれば、いやどう考えても、周りに相談すべきだった。
けれど当時の私は自身の将来を学生団体のミッション遂行を天秤にかけようとし、
最終的にどちらにもかけきれなかった。その結果、自分が潰れてしまった。
内定先は、私がうつ病を抱える直前に出会い、
最終面接前に病気のことを告白した上で内定をいただいた。
働くことは楽しい、だからやりがいを持ってバリバリ働きたい、
そんな野望を持って挑んだ就活は、
野望の全てが実現不可能なんじゃないかと思うような精神状況で終わりを迎えた。
正直、社会人としてやってける自信や覚悟はほとんどなかった。
これがいまから約1年前のお話。
もともと質の悪いアクセルとブレーキが、さらに働かなくなる
一般的に、うつ病は精神的な抑うつ症状が状況に関わらず継続して現れるもので、
寛解(≒回復)するまでに大体2年かかる。
また再発率も高いため、慎重なリハビリが必要とされている。
とにかく、うつ病になってしまったからには、それを認めて向き合う必要がある。
私は初期の回復が比較的早く、1.5ヶ月後にはそれまで長期インターンとして務めていた会社に復帰することになった。不安はあれど、一旦働いてみようという程度のノリだった。
というのもうつになった直後は、仕事をするはおろか、パソコンを開くこと、デスクチェアに座ることすらできなかったのだ。とにかく自分が仕事をできなくなることで、周りに迷惑をかけてしまう、申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。
休職して経過を見てもらい、回復まで待ってもらえたのだから、なんとかして恩を返したいという気持ちがあった。
もしかしたら焦っていたのかもしれない。
けれどいざ、復帰日を迎えたところ、
思ったより簡単に目の前のパソコンを開くことができた。
タイピングができた。
同僚にチャットを送ることができた。
ミーティングに参加できた。
企画書を作ることができた。
不安とは裏腹に、そこそこなんとかなったのだ。
一つ一つの「またできるようになった!」が嬉しかった。働くことが楽しいとも思えた。
自分の能力が満遍的に低下していることを実感したが、それでももっと働きたいと思えた。
気づけば次の1ヶ月での給料が10万近くなった。時給1,050円なのに。
ところで、私は根が不器用で、
その上で高校の部活動で不器用な熱血教師に育てられたもので、
あいにく「うまいことやる」ということができず、
常に全力の体当たり人生を送ってきた。
これは自分の長所だとも思っていた。
大学の授業は出席が成績に関係なくともほとんど欠席しなかったし、
スーパーのレジ袋がくっついて全然開かない時は引きちぎって強引に突破口を見出だすのだ。
そしてハマったものにはとことん没頭するタイプだ。例えば大学生活でハマったサンバは、憧れの現地のブラジル人とInstagramでコミュニケーションを取ろうとするくらいだ。SNS追っかけとでも呼べるかもしれない。
上司に「君はブレーキが下手くそだね」と言われたこともある。その人は私のうつを理解して、「僕が君のブレーキになってあげる」とも言ってくれた。優しかった。なおこの上司はもう会社にはいない。
さて、そんな私自身について、うつになってからわかったことがある。
もしくはうつになってから性格が変わった部分かもしれない。
それは、ハマらないものには、全く没頭できないということだ。
そして、仕事にハマらなくなった。
ブレーキはおろか、アクセルを踏めなくなったのだ。
自分への自信は焦りへと変わり、期待は壁になる
うつが私に授けたものの一つは、しんどい時は休むべきという処方箋だ。
それは、しんどい時こそ踏ん張らねばならぬ、という田舎の体育会部活動的な精神に晒された私にとっては目新しい概念だったから、受け入れがたかった。ハマろうがハマらなかろうが、やれよ!なんでも全力で取り組めよ!って世界にいたのだ。
おかしかろうこの気合こそが、私のアイデンティそのものであり、
東京の私立大学ではあまりお目にかかることもない雑草魂に、好ましい自分自身を見出していた。
そんな、就活でも何度もプレゼンした「私らしさ」は、
じきに自分を阻害する壁となる。
仕事にいったんハマらなくなると、目の前の仕事はとてもしんどいものに変わる。
それまで出ていたアドレナリンが消え、
仕事を処理する速度が低下するからだ。
そして、処理できなくなる。脳も手も動かなくなる。
こうなったら、いったんお休みをいただき、
仕事や人間関係から距離を置くことになる。
ちなみに、逆にこの状態を引きずって仕事すると、うつの重症度が上がる。
こんな感じで、うつ病との闘病は「できる」→「できない」の繰り返しだ。
調子がいい時は何事も普段通りうまくいくが、悪い時は日常生活さえ困難にもなるのだ。
個人的には、「できない」自分をもう一度認識するその時こそが、うつ病に向き合う最難関だと思う。今までできていたことができなることの心理的ショックは大きく、なかなか乗り越えられない。「1日ずつ頑張っていこう」という前向きな気持ちも、この病気の前で維持することは本当に大変なことだ。
なぜなら、「できない」を繰り返すことで、自分自身を信じることができなくなってしまうから。
そして私の場合、そんなネガティブになってしまう私を、田舎根性で育った私が受け入れられていない。もっとがむしゃらにトライしたい気持ちはあれど、アクセルを踏めない。弱々しいけれど、アクセルをぐいっと踏む勇気がないんだ。
正直、また傷ついて、立ち上がれなくなるのが怖い。
そんな中で、新生活の始まりだ。
今や私はアクセルもブレーキも効かぬクリープ現象新社会人ヤロウなのだ。
会社に行けるだろうか。1日中パソコンと、仕事と向き合えるだろうか。
明日はなんとかなったとしても、来週以降は大丈夫だろうか。5月以降もちゃんと働けるだろうか。
もし休職することになったら、復帰時迎え入れてくれるだろうか。
もし退職せざるをえなくなったら、これからの人生どうなるのだろうか。転職先があるのだろうか。いやそもそも、仕事に就けるような精神状態に回復できるのだろうか。
そんなことばっかり考えてしまう。
こういう思考だけは、歯止めが効かない。
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これが、この3月中ずっと考えてたことで、
この不安はついには入社前日まで消えなかった。ようやく言語化できた。
けれど、ちょっとハッピーなこともある。
うつになって1年以上経つけれど、
この心について、一昨日くらいにようやくわかってきたことがあり、
それは、日常を生きる上での1番の処方箋は、
「今日より良い明日を生きてみよう」
という意思だということだ。
未来に大きな目標を立てることはできない。
けれど、闇雲に前も見ずにいるのも怖い。
だからせめてちょっとだけ、明日のことは考えて、
そうすると、不思議と今日のネガティブなことも、
なんか明日に持ち越したくないな〜と思ってちょっとだけ切り替えやすくなり、
明日はいい1日になるかもな、なんて思うことで、
ポジティブな気持ちで1日を終えることができて。
もちろんその明日も、朝はいい気持ちで始められる。
はず。
そうすると、ちょっとずつ前に進めることができるはずだ。
停まっていないだけ、前に進めているだけ、いいのかなぁと、
最近ようやく思えるようになった。
今後どうなっていくかはわからなくとも、
きっと今の私の進み方はこれなんだ。
やっぱクリープ現象なんだ。下り坂でちょっとずつ加速していきたいよ。
仕事はバリバリ働いて貢献するものだ、がむしゃらにやることが楽しいんだと思っていたからこそ、
このように思うことができた自分のことが意外で、
まだこの考え方でどこまで社会人として通用するかはわからないけれど、
今の自分にはこれが最適解なのかなと思う。
それも、もしかしたら週末には変わっているかもしれないけれど。
不安は多分消えないし、これから負担にもなっていくんだと思う。
明日より先はわからないけれど、いつかこのnoteを見返して、
自分よく頑張ってるな、明日はもうちょっとがんばれそうだなってできるよう、
今の弱々しい気持ちをここに残しておきたい。
新社会人の皆さん、一緒に頑張っていきましょう!😊