音楽は突然始まらない
音楽が何もないところから突然始まる、なんてことは滅多にない。普通は、踏み切るという前段階があって、そのきっかけから運動が起こる。K.550やブラームスop73が面白いのは、その踏み切るという前提をうまく利用しながら、聞き手を、わざと混乱させるところにある。一方、ベートーヴェンop21の開始が奇抜だったのはいきなり音楽が始まるからだ。
K,551の第4楽章はどうなのだろう。
冒頭は4つの小節を分母にして始まるが、それが3回転すると、新しいフレーズは3つの小節となる。だが、それだけはなく、その3つの小節という単位は、さらにとなりの3つの小節という単位と並立的に結合した分母を形成する。この2つの3小節単位の分母(6小節分)が3回転する。
この「3」にこだわった 配列を見ていると、1小節めの前に前提条件はないように見える。
だが、これは反復の際に答えが分かる。
反復直前は4小節フレーズに切り替わるからだ。
つまり、開始の前提として4小節分の空間があることが前提になっていることが、ここで証明される。
このような例は少なくない。
ブラームスop73の冒頭の楽譜をみると、
0123| 4⋯
という小節単位の4拍子の音楽に見える。僕は当初はそう考えていた。
だが、それがあやまりであることに気がついたのは、以前話題にした提示部の反復における1番カッコと2番カッコの問題からだ。
1番カッコは明らかに2つの小節を分母としている。そして、反復した場合、2小節目に戻るのも。その拍節的な仕掛け故だ。つまり、反復の1番カッコの最後の2つの小節が冒頭のホルンの歌を立ち上げている。逆に言えば、最初に演奏するとき、論理的には1小節めのまえに0小節目があって、その2つの小節がホルンを立ち上げていることが分かる。
①01 ②34 ③56 ④78 ⑤9 10 ⑥11 12 | ①13 14 ⋯
反復があることによって、1小節目の前に実は何かがあるのことが、見える。
演奏者は、特に指揮パートは、その仕掛けを知っていないと、論理的な形を結ぶ道のりへの誘導ができなくなってしまう。
反復があることによって、0小節目の存在が明らかになることは決して珍しくはない。
例えばBWV1068のAirは小節の6拍子の音楽でできているのも、1番カッコがあるおかげでわかる。0小節目が存在するから6拍子という論理構造が保たれるのだ。これは、同じ組曲の序曲のも言える。この序曲は、、形が掴めないからダラダラと音を並べるだけで終わってしまいがちだ。だが、1番カッコがあることによって、0小節目の存在をしることになる。そして、この序奏の音楽が、小節の5拍子で論理構造を成していることが明確になる。
反復の終わりがどうなっているのかを押さえることは1小節めの前段階の姿を理解するヒントになるのだ。
この前段階の存在、幅を知らないと論理的な把握はできない。作品の背景をどんなに知っていたところで、音を聴いただけで形を分かっていないと演奏はできないのだ。