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【2024読了.No45】大嶋信頼著『片づけられない自分がいますぐ変わる本』あさ出版読了

私は片づけが苦手である。子どものころから、ずっと親から「なんであんたはちゃんと片づけられないの!」と毎日のように怒鳴りつけられ、ストレスを与え続けられてきた。 

「怒られない日はない!」というのが私の子どものころの記憶。

何をやっても、それがたとえ生産的なことであっても、私は常に「親からのダメ出し」という電気ショックを「ビビビッ!」と受け続けていた。

な~んか、読みだしから、まるで私の子供時代をそのまま書かれたような気がした。それ程、作者の子供時代の描写は、私のそれと当てはまりまくっているのだ。


その結果、私は作者同様、「強迫性パーソナリティー障害」に近いものになってしまった。この強迫性パーソナリティー障害の特徴は「人に任せることができない」とか「頑固で妥協ができない」や「価値のないガラクタでも捨てることができない」というものだそうだ。

別に精神科にかかったこともないけど、その特徴は、私にかなり当てはまる。


この本は、例えば「催眠療法で、脳の過剰な電気が治まった」というところなど、医学的にはどう説明することなの?と、ちょっとツッコミたくなるところが多い。でも、書かれている内容は、「分かる❗分かる❗」って気持ちになる所が多かった。

極めつけは、


「人にはそうした(他人の)不快を察知するレーダーがあって」というところ。

「不快察知レーダー」なんて、医学または心理学用語なんて無い。

無いんだけど、「わかるぅ~それ、私にもあるぅ~」という気持ちになった。


私の父は、アルコール依存症で何かありゃ逆上してものを投げまくった。その上、仕事も大嫌い。しかも、祖父と父が経営している工場の事務所の二階に我々は住んでいたのだからたまらない。父はしばしば仕事のイライラを居住地域まで持ち込んできた。

私が小学校に上がる前、夜一人で遊んでいたら、急に父がイライラしながら居住地域にあがってきて、私が遊んでいた(放置してたんじゃなくて、あくまでも遊んでいたのだ)オモチャを次々につかんで、

「こんなに散らかしやがって💢」とわめいて、窓から放り投げていった。


そんな父のイライラに振り回される私たち家族は、常に「不快察知レーダー」を反応させっぱなしにしていた。


この「不快察知レーダー」は、その後も私には常に備わったままであった。ゆえに、私は他人のイライラが高まり出すことに敏感である。この本を読むまでは、それは他人との衝突回避に役立つスキルだと思っていた。


作者もそう思っていたそうだ。

しかし、不快に敏感になることで、「嫌な気分がいつまでたっても(心から)抜けない」という感じになていることに気づいたそうだ。


レジの列に並べば、ちゃんと並ばない人が目につく、電車に乗れば他人に不快な思いをさせる座り方をする人が目につく。

他人より、○○警察のようになってしまう。


これも、私にも丸当たり🎯だった。


親だから付き合ったけど、ハッキリ言って、すぐにイラついて不機嫌をばらまくような人と、付き合う必要などないのである。

不要なことのために、心を疲弊させる「不快察知レーダー」なんか稼働する必要はないわけ。

そんなものはオフにしてしまえばいいのだ。

オフにするのは簡単で、「『不快察知レーダー』オフ❗️」と心の中で号令して自己暗示すればいいわけだ。


父にオモチャを捨てられた夜、私に取り憑いたトラウマは、「散らかす悪い子」というレッテルだけではなく、「不快察知レーダー」もだった。

これだけあれば、片づけ苦手なのは当然でしょって、妙に納得できる本だった。

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