循環するブランディングと循環するわたしたち
はじめに
これはブランディングド素人の筆者が、ブランディングのプロの方からお話を伺った際に筆者の思ったことをまとめたものです。おそらくその道の人にとっては「何を今さら」「間違えてますよ」などと思われるような内容が多分に含まれていますが、どうかよろしくお願いします。
ここだけ読めばいい
ブランディングと自己形成は構造が似ている。
自己形成と同じように、ブランディングは双方向にコミュニケーションする行為だ。ブランドへの参加者・非参加者がいて、ブランドに関わるものたちが影響し合い、ぐるぐる循環するものだ。
自己形成の成果を探る方法を、ブランディングの成果を探るために応用できるかもしれない(次回予告)。
ブランディングってこういうイメージだった
とくに深く考えていなかった頃の筆者は、ブランディングについて以下のような素朴なイメージで捉えていました。
ブランディングは、ブランドオーナーがブランドイメージを発信する行為であり、それに接した人々(受信者)がブランドに賛同するかどうか、あるいは何もしないなどの行動をとる。それだけの一方的なものであると考えていました。
こう捉えていたので、計測できるKPI指標についても自然と、「受信者たちの抱いているブランドイメージの内容や感情」といった定性的なもの、「発信前後のCVRやLTVの差分」といった定量的ではあるものの間接的・複合的な要因が絡むものしか存在しない、と考えていました。
『ブランド・エクイティ』
ブランディングにおいて『ブランド・エクイティ』という概念があるそうです。「エクイティ(equity)」とは「純資産」のこと(※1)で、すなわちブランド・エクイティという言葉はブランドの持つ様々な価値の総体を意味します。具体的には以下の4項目。
認知
連想
品質(信頼や同調)
ロイヤリティ(愛着)
筆者はこの概念について知ったとき、「これって何かに似てるなー」と感じました。
自己形成に似ている
ブランド・エクイティは、人間が自己像を形成していく過程で得ていく要素にとてもよく似ています。
人は自己像を作っていくにあたって、まず自分について誰かに認知してもらうことから始めます。やがて自他の認知の輪の中で「自分といえば〇〇」というイメージを獲得し、周囲にも「〇〇といえばXXさん」などのような印象を持ってもらえるようになります。こうして「〇〇のXX」として信頼されたり繰り返し同調されたりして、やがて愛着を持ってもらうことで自己像を形成し、ついには自己像に対する自分自身の愛着をも形成していく……という一面を備えています。
これはあくまでアイデンティティ形成の一場面ですが、この過程で得られる資産は、上記のブランド・エクイティにとてもよく似ていますよね(似せて書いたというのもありますが)。試しにこれをアイデンティティ・エクイティと呼んでみましょう。
認知
連想
品質(信頼や同調)
ロイヤリティ(愛着)
また自己形成の過程は、自分からの発信だけでなく他人からの反応を受けたり影響を受けたりといった、双方向コミュニケーションと言うべきものです。ということはもしかして、ブランド・エクイティを得るためのブランディングもまた自己形成と同じように、冒頭で図示したような一方的なコミュニケーションではなく、双方向のコミュニケーションなのではないでしょうか。
もし「ブランド・エクイティを高めるためのブランディングは、自己形成と似ている」という前提が成り立つのなら、以下についても連想されてきます。
(仮説1)人間が自分自身を知らないのと同じように、ブランドオーナーもブランド自身を知らないのではないか
人は自己像を形成する最初期の段階では、自己像を持っていません。あるいは持っていたとしても漠然としています。また、自己形成を続けていき正確に自分自身を表現したつもりでいても、自己像はあくまで多面的な現実における自分自身の一部分を示すものでしかありません。自己像は自分そのものではないのです。
そのうえ、人間は言葉を用いて思考し認識する生き物である限りにおいて、現実をあるがままに知覚することができません。そのため、現実における自分自身(現実に属するもの)についても同様にあるがままに知覚することができません。人間は自己像と現実における自分自身との合致度を直接比較して確かめることができないので、どこまでいっても「自分自身を知らない」のです。
同じように、ブランドオーナー(自分)は発信したいブランドイメージ(自分の中の自己像)を作ることはできても、ブランドそのもの(現実に属するもの)についてはあるがままに知覚できないのではないでしょうか。ブランディングも自己形成のこの構造と問題を抱えているのではないでしょうか。
(仮説2)人間が他人の持っている自分についての像に影響されるのと同じように、ブランドオーナーもまた他人の持っているブランドイメージに影響されるのではないか
自分自身のことを自己像を通した間接的な手段でしか知ることができないという制約上、さらに別の要因が正確な自己像を掴むことを難しくしています。その要因とは「自分についての像が他人のなかにもあること」です。自分の持っている自分についての像は、もちろん直接的にコントロールすることができます(「自分はこういう人間なんだ」と思い込むことは自由です)。しかし、他人の持っている自分についての像は容易にコントロールできません。
自分の持っている自己像だけを自分のコントロール可能な範囲だけで形成することもおそらく不可能ではないですが、多くの人は「あなたは優しいね」とか「これが好きなんだね」などと他人から言われることで、それまで知らなかった自分自身について気付かされているはずです。つまり、自分の中にある自己像は、他人のなかにある自己像の影響を多かれ少なかれ受けているはずなのです。
自分は自分だけの一人きりです。一方で、自分について認知している他人は無数に存在しますし、他人の中にある自分についての像は、時間の経過で変化していきます(後述)。そのそれぞれが抱いている最新の自分についての像を都度すべて把握することはほとんど不可能でしょう。こういった面からも、私たちは「自分自身を知らない」のです。
ブランドイメージについても同様に、ブランドオーナーの中だけでなく、ブランドを認知しているすべての人々それぞれにも持たれていて、誰にも全体像が把握できないがゆえに、すべてのブランドイメージ同士が影響を及ぼしあっているのではないでしょうか。
(仮説3)人間が他者を使って自己像を作るのと同じように、ブランドオーナーも他者を使ってブランドイメージを作るのではないか
前述の通り、人間は他者との関わりのなかで自己像を作っていく生き物です。
ここでの「他者」は、両親などの家族、鏡に写った自分自身の像(鏡像)、友人や同僚、ご近所さんや道ですれ違っただけの人、テレビで見た人、読んだ本、動物、世間、歴史、文化など、影響度合いに多寡はあれどあらゆるものを含んでいます。この意味の広さからして「世界」と呼んでもいいかもしれませんが、むしろその世界から認識を通して取り出された何か、ぐらいの意味合いです。世界を構成する個別の要素のうち、現実の自分自身以外それぞれのことを「他者」と呼んでいます。
他者に接することで「私は{他者}ではない」「私と{他者}とはここが共通している」などの認識を得る、その繰り返しのなかで自己像が組み立てられていきます。
ブランドイメージについても同様に、ブランドにとっての他者を使ったイメージが形成されていくのではないでしょうか。ブランドにとっての他者はその顧客を必然的に含むので、もしかすると人間の場合以上に他者は自己の存在意義に必要不可欠な存在かもしれません。一例ですが、意識的に影響を及ぼし合う他者のより具体的なものとしては、以下が挙げられるでしょう。
事業のドメインそのもの
社会問題
顧客
協力企業
同じドメインを扱う組織や事業(競合など)
自社の社員(過去、未来を含む)
(仮説4)自己像と同じように、ブランドイメージも他者の変化によって変容するのではないか
仮説2のなかで、「他人の中にある自分についての像は、時間の経過で変化していきます」と述べました。ちょうど他者が出てきたので、それはどうしてなのかについてもここで考えてみます。
自己像もブランドイメージも、他者を通じて作られます。それは現実に属している自分自身やブランドそのものを認知することができず、また自他の間に無数に広がる自己像やブランドイメージのすべてを収集できないせいだということはすでに述べた通りです。つまり、自己像もブランドイメージも、自他のあいだの相対的な評価の積み重ねだと言えます。
自他のあいだでの相対的な評価は、2つの要因で変化します。ひとつは自分自身の変化。もうひとつは他者の変化です。
人間は時間経過によって成長する生き物です。成長に合わせて自己像は否応なしに変容を迫られます。ブランドについてはその限りではなく、なかには「変わらないこと」をブランドコンセプトとして掲げている例もありますね。しかしながら、自分が変わらなくても他者は変化します。人間も変わりますし、それに伴って文化や時代性も変化していきます。そうすると、自ずと自他のあいだの像もまた変わらざるを得ないはずです。
リブランディングが必要になるのも、この特徴のためだと思っています。
(仮説5)ブランドと同じように、アイデンティティにも参加できるのではないか
最後の仮説はブランディング→自己形成というこれまでとは反対のアプローチで類似点を考えてみます。
ブランディングでは、受信者がブランドに接触した際に、「そのイメージに参加することでブランドへの賛同を強く表明する」というリアクションをとることができます。
あるブランドの商品を身につける行為、そのブランドの打ち出している顧客像(ブランドイメージの一部)になりきることや、そのブランドのために何らかの行動を起こすことなども可能です。「ファン活動」と言い換えても良いかもしれません。ブランド・エクイティにおける「ロイヤルティ」の表出がこれに当てはまるのでしょう。
一般的にファン活動はブランドにおいて多く見られるものですが、自己形成の途上にある個人が、売買の関係の外で崇敬を集めたり憧れられたりすることもあります。ある人の自己像のあり方に対して同一化したいなどの欲求を抱き、実際に行動しているそれは、自分の自己形成を賭したうえでのその人の自己形成への「参加」と言えるでしょう。
すごくよく似てるなあ
似てるなあと考え始めると楽しくなってしまって5つも挙げてしまいました。ほかにもあると思いますが、ひとまず上記の仮説に表れたブランドイメージの特徴をまとめると以下の通りです。
ブランドイメージでは、ブランドそのものすべてを表すことはできない
ブランドイメージは、それを持つ人々の間で相互に影響を及ぼしあう
ブランドイメージは、他者との関わりの中で作られていく
ブランドイメージは、他者の変化によっても変容する
ブランドには、参加することができる
実際のブランディングにおけるブランドやブランドイメージの振る舞いと比較してみてどうでしょうか。筆者は、かなり当てはまるのではないかと感じています。自己形成のことを「自己ブランディング」とも言いますから、ブランディングと自己形成とが似ているのは当然のことなのかもしれません。
ブランディングも自己形成も同じ構造を持っている、ということは
というわけで、なんらかのエクイティ増加を目指す行為であるかぎり、自己形成が循環構造になっているのと同じくブランディングもまた循環構造になっているのではないか、という内容でした。
もし本当にそうなら、もしかしたら自己形成の知見の応用でブランディングの効果を測定するための新しい手法や指標を見つけられるかもしれませんね。次はそういう話ができたらいいな。
おしまい。
注
1:equity の語源はラテン語の aequitas(公正、公平、平等、またそういう行動)から来ているらしく、語源は equial と同じで、equity もまた「公平」という意味でも使われる。equity がどうして「純資産」なのかというと、「公平」から「正当に権利があるもの」へと派生し、さらには「純資産」へと派生したそう。