急に吉牛の「牛鍋丼」が懐かしくなった
最近なんだか、牛丼は並盛ぐらいが
ちょうどよくなってきた。
同期と飲み過ぎて、二日酔いでふらっふらになった日曜日の朝。私は猛烈にご飯ものが食べたくなって、財布だけ手に持って近所の牛丼屋に行った。水分が欲しかったので味噌汁と並盛のセットにして、ひたすらもくもくと掻き込んだ。
今までずっと大盛で頼んでいたのに、その時は生まれて初めて「並みでちょうどいいな」と感じた。ついでに言うと、ねぎだく初挑戦だったのだが「ねぎだくも悪くないな」とも思った。
昔は牛丼に味噌汁とか付けたりしなかったし、まして一緒に煮られてるたまねぎなんて、邪魔でしかないと思っていたのに。気づけば体が、牛肉だけではなく、野菜や汁っ気など、違う素材を自然と求めるようになってきていることに気付いた。
そこでふと、昔のことを思い出した。
子どもの頃、家から10分ぐらいのところのバイパス道路沿いに吉野家があった。いつも家族連れやトラックの運ちゃんでごった返していて、わりかし繁盛している店だった。トイレの前には、沢山の数の指名手配犯のポスターが貼られていて、子供ながらに異様な光景だなと思った記憶がある。
私が初めて牛丼の味を知ったころ
「牛鍋丼」という商品があった。
牛丼発祥の起源とされている、江戸時代に日本橋の魚河岸で売られていたぶっかけめし。それが、現代に復活した商品だったらしい。子供の頃の私は、吉野家に行けばこればっかり食っていた。
そんな牛鍋丼ばかり頼む私に対して「ただ牛肉を少なくしてかさまししとるだけやん」ってうちの叔父は文句を言っていた。
いやいや、違うのよ。俺は牛肉も食べたいけど、ネギとか糸こんとか豆腐も入っててアクセントのある牛鍋丼がいいのよ。と、心の中で反論していた。そんなに悪いかよ、牛鍋食ってもいいじゃねぇか。糸こんがスキなんだよ、糸こんが。
そんな九州の田舎で育ち、牛丼屋と言えば吉野家以外何一つ知らなかった私が、大都会大阪に出てきた。4年住んで、すき家も、松屋も、東京チカラめしも食った。冬しか食べられない鍋ものもよく食った。
バイトが終わった後のご褒美に食べるアツアツの牛すき鍋は、それはそれは感涙ものの旨さ。それが目当てで足しげく吉野家に通っていた頃もあった。
でも、結局なんだかんだで一番記憶に残っているのは、幼い頃アツアツのどんぶりを持つこともままならない中、大人の真似をして箸で寄せ集めるように掻き込んだ、あの牛鍋丼なのだ。そしてそれはたぶん、これからも塗り替わることはないと思う。
牛丼小盛とか、ライザップサラダとか、親子丼もいいけど、そろそろ牛鍋丼復活しないかな~。
おしまい。
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