見出し画像

授業で見た映画の話②「トゥルーマン・ショー」

大学の授業で一年間映画を見続けていたその備忘録として、これまで見てきた映画について複数回に渡って語る『授業で観た映画の話』シリーズ。二回目の今回は1996年公開のアメリカ映画「トゥルーマン・ショー」である。

主人公のトゥルーマン(演:アンドリュー・ニコル)は保険会社で働く普通の会社員。しっかり者の妻と共に、離島の島で働きながら生活するなんてことない毎日を過ごしていた。しかし、実は驚くことに彼の一挙手一投足は通信衛星を通じて全世界に生中継されていたのだ。そのプログラムは「トゥルーマンショー」と名付けられ、世界220か国の人間の注目の的となっていた。しかしある日トゥルーマンは、制作サイドで発生した小さなアクシデントをきっかけに、ある一つの疑問を抱くようになる・・・。

序盤こそ、トゥルーマンのコミカルさに救われる場面もややあるが、話が進めば進むほど洒落にならなくなっていく。生き別れになった父との不可解な再会、周囲の人間が起こす意味不明な言動。そして、島の外へ出ることを妨害するかのような数々のアクシデント。世界中が目撃するコンテンツなだけに、簡単に終わらせまいと必死の抵抗をする制作サイド。その存在に気付いていないながらも、トゥルーマンはこの小さな世界の核心へと近づいていく。「もしかしたら自分も誰かに除かれているのかも」と考えずにはいられない、そんな生生しさがある。

一応、SF映画の分類に入るわけだが、正直これほど分類分けが難しい作品は無いと思う。コメディのようで、サイコホラーのようで、メタフィクション感も感じる。レビューサイトの感想も参考までに覗いてみたが、賛否は分かれ気味だ。見る人によっては狂気すら感じるようなそんな映画なんだろう。


個人的には「今の芸能の潮流を予見した作品」と思えば、かなり共感できるところは多いと思う。今や、トゥルーマンショー以上に心をえぐるリアリティーショーが大量に氾濫しているからだ。アイドルのセレクション、一般人同士の恋愛、心理戦。テレビのスイッチを入れても、ネット配信を見ても、多種多様なリアリティーショーが華々しくオンエアされている。

しかし、この「トゥルーマン・ショー」を観た後に果たしてこれらのコンテンツを純粋な目で見ることができるだろうか?少なくとも、私はできない。リスクを侵さずに成功を掴むことはできないことは言わずもがなだが、それにしちゃ誰も彼もあまりにも無防備に自分を曝け出し過ぎている。それこそ一般人同然の人間が数十万数百万の目に晒されて、自分の人生を賭けて戦っている。そうでもしなければ、上へ這い上がれないからだ。

有名人どころか、一般人の人生すら切り売りにされてどんどん消費されるこの時代。今この世のどこかにトゥルーマンが居たら、なんという言葉で憂うのだろうか。「おはよう! そして会えない時のために、こんにちはとこんばんは!おやすみ!」



おしまい。



前回の記事はこちら⇩