ヨルシカのアポリアについて考えたこと

ヨルシカの楽曲『アポリア』の、主に歌詞についての考察です。
ED曲になっているアニメ『チ。 ―地球の運動について―』への言及もあります。
何か新しく考えたら追記するかもしれません。

「気球」は地球の比喩でもある気がしました。
n-bunaさんのコメントに「歌詞に出てくる気球は、際限のない知の欲求の喩えです。」とあるので、
知の気球→知球ちきゅう地球ちきゅう なのかなと。
チ。は地動説の話なので、地面が気球のようだと気付くとか。
天動説を信じていた時とは違う景色が見える、
地上(天動説)を離れ、気球(地動説)からの景色を見るのかなと思いました。

チ。の「。」が星に見えるように、ヨルシカのアポリアの「゜」も星に見えます。アホの後ろ(rear リア)に星が浮かんでるのかなと。

「魚の群れ」は英語でschool of fish なので、魚の学校(school)かなと。
海にいる魚から学ぶという。n-bunaさんのチ。の解釈は「知」ですし。

知に感動する事と、
地が動く事(地動説)は対応している気がします。
「「知る」ことへの熱」を使って動く熱気球なのかなと思いました。


「長い夢を見た 僕らは気球にいた」は、夢見心地で浮かれていたとも取れます。
「僕らは気球にいた」→周囲の人間からちょっと浮いていた
天動説のなかで地動説を信じるのは、社会的な意味でも浮くのかなと。


「あの海を見たら魂が酷く跳ねた」は、星空を海に喩えていそうです。
天と地(海)をひっくり返し、天動説から地動説の視点になると。

ひどいは非道ひどいが語源らしいです。
「魂が酷く跳ねた」は、魂が道を外れ、当時の常識(天動説)から離れた場所(地動説)で感動したのかなと。

跳ね→はね 魂に羽が生え宙を飛んだのかなと思いました。
ジャケ絵も人物に羽が生えているかのように見えますし。

たましい(魂)は、たま(玉)と同語源らしいです。
魂も月や地球と同じ球体で、星みたいに宙を跳ねたとか。

気球は英語でballoon、月はmoonで綴りが少し似ています。
「僕らは気球にいた 遠い国の誰かが月と見間違ったらいい」は、英語圏にいる誰かなのかもと思いました。

「国」は口のなかに玉があり、地球や魂(玉)が囲われてるように見えます。
「遠い国の誰かが月と見間違ったらいい」は、その囲いが揺らいでほしいのかなとか。

「遠い国の誰かが月と見間違ったらいい」は狂気的ルナティック(ルナは月)になってほしいとも取れます。
遠い国の誰かが月と道曲みちまがったらいい、
月に導かれて国の外に出てほしい、玉を囲いから出したいのかなと。
遠くの狼人間が月と見間違って、狼に変身してほしいとか。

閒(間の旧字)は、門の間から月の光が見えるさまが成り立ちらしいです。
「月と見間違ったらいい」は、文字通りの意味でも閒違うのかなと。



「白い魚の群れにあなたは見惚れている」は、心が引き寄せられ、星からの引力に引っ張られてるとも取れます。
恋に落ちるように魂が星空へ落下していくのかなと。

「長い夢を見た」は、チ。のように誰かから引き継いだ、人の一生より長い夢なのかなと。
長い歴史の中では、僕らは気球のような点に過ぎません。
「僕らは気球にいた」≒ニュートンの言う巨人の肩の上にいた とか。



白い光が分散して虹ができるので、「白い魚の群れ」は虹の色の集まりでもある気がしました。
日差しが空気中の雨滴に跳ねて虹が見える、
春の木漏れ日(貴方の指)が雨の集まり(僕の体)を通って見える虹に「あなたは見惚れている」とか。
虹も水平線も丸く見えます。「水平線の色」は虹色なのかなと。
虹のふもとや「水平線の先」はどうしても辿り着けない場所で、アポリア(「解決の付かない問い」)な気がします。
水平線は近づくほどに遠ざかって辿り着けない
≒知れば知るほど知りたい事が増える(全てを知る事はできない)
アポリアMVの3分40秒のアーチは、虹でもあるのかなと思いました。

水平線の先へ行って一周すると元の場所に戻るので、
「水平線の先を僕らは知ろうとする」は、僕ら自身を知りたいのかなと。
「長い夢」は、月のように何周も延々と回り続けるような、ゴールのない夢でもある気がしました。


「白い魚の群れ」はまだ誰の色にも染まってない、水平線の先にある未発見のものかなと。
「水平線の先を僕らは知ろうとする」→水平線の先を僕らはしろとする
「水平線の色にあなたは見惚れている」は未だ見ぬ色にときめいてるとか。

「白い魚の群れ」
≒多数派の色に染まる雑魚の群れ
≒天動説を支持した多数派 とも取れそうです。
気球(地動説)から地球上に縛り付けられた雑魚(天動説)を見たら魂が跳ねた、愉悦を感じながら見惚れているのかもと思います。

「白い魚」は魄でもあるのかなと。「魂が酷く跳ねた」とありますし。
地に帰った魄(肉体の気)に魂(精神の気)が見惚れているとか。



「月と見間違ったらいい」「実はペンキだったらいい」は現実と虚構が反転したらいい、と取れて、コペルニクス的転回を望むのかなと。
『忘れてください』概要欄でびわの実とページ上の枇杷の文字を見比べて「偶然文字と世界と、僕の手のひらが浅く繋がったような、そういう感覚」を覚えたように、現実と虚構が繋がってほしいとか。

「白い魚の群れ」は概要欄の「水」曜日の図書館で泳いでるのかなと。
図書館には蔵書の海、本の海があると言えますし。

「水平線の先を僕らは知ろうとする」はページの先、本の続き(白紙のページ)を知ろうとしてるとか。
アポリアの冒頭の音はページを捲る音と息を呑む音っぽく聴こえるので、
この曲は「あの日に読んだ本の続き」の夢だと取れそうです。
「白い魚の群れをあなたは探している」、白紙を埋めた後も更に白紙を探し続け、アポリア(答えのない問い)みたいに終わりがないのかもと思います。


「あなた」は夢の作者、「僕」と「貴方」は登場人物な気がします。
「あなたの横顔」と「僕らの横顔」(僕と貴方の横顔)は対比になっていそうです。
「白い魚の群れにあなたは見惚れている」は、エイミーみたいに余白(想像力の受け皿)を愛でているとか。

「波打つ窓の光の束があなたの横顔に跳ねている」
→あなたの横顔にはている
あなた(作者)の横顔では、僕と貴方(登場人物)が「長い夢」を見て寝ているのかなと思います。
「波打つ窓の光の束」
≒「雨の集まり」に反射する「春の木漏れ日」
≒僕と貴方 と取れますし。

「雨の集まり」と「春の木漏れ日」両方に「雨」と「木」があります。
雧(集の旧字)は鳥の群れが木にいるさまなので、
「雨の集まり」は雨滴のついた木を連想しました。
「木漏れ日」という単語自体が、日光を雨に喩えてるように感じます。
本という木のなかに、白い光の雨(≒白い魚の群れ)をあなたは見たのかなと。


「僕の体は雨の集まり 貴方の指は春の木漏れ日」は、
忘れてくださいの「春の日差しを一つ埋めて、たまには少しの水をやって」を連想します。
僕の体(水)と貴方の指(春の日差し)で小さな枇杷が生るのかなと。
「僕らの横顔を描写している」は僕(雨)と貴方(日差し)が混ざった「僕ら」の顔なのかなとか。


魚→逆な(さかな)
「白い魚の群れをあなたは探している」は、逆さまの群れ、世界観を180度回転させるようなコペルニクス的転回を探しているのかなと。
MVでも魚の群れは人の逆方向へ泳いでいますし。

MV概要欄「暑い日が続いています」は、MVの砂漠ぐらい暑いのかなと。
「お体にお気をつけて」→体に気をつけて→気体
気体になった先生と一緒に気球で浮かびたいとか。
僕の「知りたい」という熱で先生の体に「気」をつけたい、熱で先生を固体から気体へ変化させたいとか。

概要欄の川の話は、何かを知り変わることで初めて川になると取れます。
わらない川は川になれない
川原かわらない川は川になれない のかなと思いました。


つき」≒「つづき」 なのかなと。
この夢があの日に読んだ本の月だったらいい
遠い国の誰かが続きと見間違ったらいい という。

MVの塔と月は見た目が似ていて、元々は繋がっていたのかもと思います。
この月があの日のバベルの塔の続きだったらいい、
崩壊したバベルの塔の続きが月であると。


「気球」は、火葬や焚書の煙でもある気がしました。燃えた「本の続き」が気球を動かす気体になるとか。
亡くなって星になった人々や本≒「白い魚の群れ」
「貴方の指は春の木漏れ日」は空の上に逝った貴方の光で、
「僕の体は雨の集まり」、あの世の人達からの贈り物で僕は構成されているのかもと思いました。



「白い魚の群れ」は、月光浴の「身体は夜灯みたいに白く」や「魚の僕」を連想します。
月光浴の「月の中を生きる日々」は地動説っぽさありますし。

月光浴「魚の僕」は時の流れ(月日)を泳ぐ魚とも取れます。
アポリア「白い魚の群れ」は海を泳ぐ魚であり、
月や日のように宇宙を泳ぐ魚であり、
月日(長い夢)を泳ぐ魚でもあるのかなと。

月光浴の「夜の海」は宇宙、
「身体は夜灯みたいに白」い「魚の僕」は星の一つと思えます。
「白い魚の群れ」を星々だと思うと、白が重力で落下している、
テレパスの「雪化粧みたいな そう白く降ってるんだ」に繋がるのかなと。
その後「寂しさ?」と続くのが、谷川俊太郎の二十億光年の孤独を連想しました。


レプリカントの「この世の全部は主観なんだから」はカントのコペルニクス的転回っぽいので、チ。の曲であるアポリアと関連する気がしました。アポリアは哲学の言葉ですし。
「神様だって作品なんだから」≒「実はペンキだったらいい」


嘘月の「こんな良い月を一人で見てる」は、気球の見間違いなのかもと思いました。
「月と見間違ったらいい」、話に尾鰭おひれがつき「白い魚」になったのかなと。
白い魚の群れに見惚れる≒嘘の月に見惚れる
fish story は、ほら話って意味ですし。


ヒッチコックには「先生」がいて、貴方が「あなた」表記なのが『忘れてください』『アポリア』と共通です(アポリアは「貴方」が1つありますが)。
ヒッチコック「あなただけを知りたいのは我儘ですか」と、
アポリアの概要欄「僕の「知りたい」を先生はアポリアだと思うでしょうか」が対応してるのかなと。
ヒッチコック「大人になると忘れちゃうものなんですか。」
→『忘れてください』


アポリア「月と見間違ったらいい」は、エイミーがエルマの詩に見た月明かりを連想します。
だから僕は音楽を辞めたの「間違ってないだろ 間違ってないよな」は月に言っているのかなと。英題がMoonlightですし。
MVでも、その箇所は空を見上げた後エルマが映ります。

月を書く→Moon writer→Moonlight
アポリア概要欄の「僕」が書いた詩も「月と見間違ったらいい」のかなと。


アポリアの歌詞の意味を考えることもアポリア、答えのない問いなのかなと思います。
以上です。お読みいただきありがとうございました。