ヨルシカの思想犯について考えたこと

ヨルシカさんの、主に『思想犯』について考察しました。

思想犯の「烏の歌に茜」についてです。
茜の花言葉は「私を思って」「媚び」「誹謗」「傷」などのようで、思想犯の歌詞に合ってる気がします。

『盗作』(曲)では「群がる烏合の衆」の後に「まぁ、それは僕も同じか」と続きます。
烏を烏合の衆とすると、
「烏の歌」は烏合の衆と同じである僕の歌で、「烏の歌に茜」は、その歌に「誹謗」や「傷」が付くって事かなと。

夕焼けは、茜色の空とも言うので、
「烏の歌」は(烏が歌詞に出てくる)『夕焼小焼』の事でもある気がします。
『夕焼小焼』は、夕方に放送される地域の多い曲だと思います。
盗作おじさんは、こどもの頃に君(後の妻)と遊んだ後の、夕暮れの帰り道を思い出してるのかなと思いました。


「さよなら、君に茜」は、妻の墓に茜の花を供えたのかなと。
茜の花言葉に「私を思って」とあるので、
「君に茜」を、妻に私(盗作おじさん)のことを思っていてほしい、という意味だと取ると可愛いです。

『花人局』にも「夕焼けをじっと待っている」とあるので、盗作おじさんの中で妻と夕焼けは深く繋がっているのかもしれません。

夕焼け→茜色→茜の花 と連想すると、
『逃亡』の「花が夜空に咲いてる」は、夕焼け色の残る夜空、夜紛いだと思えます。茜の花自体は茜色じゃないので、少し無理はありますが。


「この孤独よ今詩に変われ」の孤独=蠱毒こどく と思えます。
「人を呪うのが心地良い、だから詩を書いていた」とあるので。

烏=空巣からす と取れて、「烏の歌」は空巣の歌なのかなと。
盗作おじさんは、かつて空き巣(昼鳶)していましたし。

「こんな中身のない詩を書いてる」とあるので、
烏の歌=空巣からすの歌=空っぽの歌 かなと。
思想犯MVで仮面を何度外しても仮面のままなのは、素顔(中身)が無くなったと思えます。
「早く、僕を満たしてくれ」とありますし。
ミイラ取りがミイラになるように、
空き巣(昼鳶)してたら自分自身が空っぽになったのかなと。

盗作(曲)に「この歌が僕の物になれば、この穴は埋まるだろうか。だから、僕は盗んだ」とあり、
盗んだ歌=空巣した歌=烏の歌 とも取れます。
妻がいなくなった事による心の穴なので、思想犯の「君の言葉が呑みたい」がもし叶えば、埋まるのかもしれません。


カラスの歌=硝子ガラスの歌 と思えます。
「硝子を叩きつける音」のように他人を傷付ける歌、
ガラスのハートのように脆く傷付きやすい歌、という意味もある気がしました。


「他人」を「ひと」と読むのは常用外ですが、
「他人事」は本来「ひとごと」と読むらしいです。
思想犯では「他人」と書いて「ひと」と歌っているので、
「他人事」という言葉を意識している気がします。
思想犯の「他人に優しい世間にこの妬みがわかるものか」を他人事の世間と取ると、
他人事の人たちを拒んでいるように感じました。



『嘘月』の「バケツ一杯の月光を呑んでる」を、嘘(言葉)の月光を呑むと取ると、
思想犯の「君の言葉が呑みたい」と同じなのかなと思います。
「君の言葉」は俳句の好きな妻が詠む歌、『夜行』の「君が詠む歌」の事でもある気がします。

「言葉の雨に打たれ」=批判の雨に打たれ と取れます。
他人に罵倒され、「他人を傷付ける詩」を書いた盗作おじさんは、妻の詠む綺麗な言葉を欲したのかなと。



『夜行』と『嘘月』は関連してる気がします。
「空も言葉で出来てる」(夜行)のであれば、月も言葉で出来ていそうで、言葉で出来た月、嘘月になります。

『夜行』の最後「ずっと向こうへ往くんだね そうなんだね」は、君が去った事を自分に言い聞かせている、さよならのない別れなんでしょう。
嘘月の最後「さよならすら云わないまま 君は夜になって行く」もさよならのない別れで、「夜になって行く」を縮めると夜行になるなと思いました。


『逃亡』の「つまらないことは全部放っといて」は、妻を亡くした現実から逃げてるとも取れます。
妻いない=つまらない という。
「思い出の中の風景はつまらぬほど綺麗で」は、
妻がいない(つまらない)今だから余計に、妻のいる思い出が綺麗に見えるのかなと。

以上です。