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小さな声の発信者は自分自身である可能性について考えた 本のフレーズから連想

目線の先には柔らかな黄緑色の無数の線たちが、現れては後ろに流されていく。耳にはゆったりと流れる広い水の音が、届けられては消えていく。揺れているはずの頭はいつになく冷静で、両足は交互によどみなく到達すべき場所をとらえていた。マスク越しにも懐かしい春の日のにおいが感じられて、余裕のある呼吸がリズミカルに繰り返されていた。目線を上げると水色の空の手前に、いくつかの葉が太陽の光を通過させて白い葉脈が見えた。それは目から入り脳を通って胸に刺さり、くすんだ私の心をじゃぶじゃぶと洗った。『木漏れ日』という言葉を作った人はいったいどんな人なのだろう。尊敬に値する。

4月。私は走っていた。走りながら、ゆるやかに妄想の海へと入っていく。

小説の中で好きなフレーズがあった。

本当に大事なことは、小声でも届くものだ

伊坂幸太郎 『グラスホッパー』

初めてグラスホッパーを読んだときから好きだった。気づいた時には頭の中にべたっと張り付いていて、時折ふと思い出される。けれどいまだに真意はつかめていない。これってどういう意味だったんだろう。以前読んだときはわからないなりに、声が小さい人(物理的に小さい人と、立場的に小さい人)の声にも耳を傾けよう、と思った。でも小声でも届くと言っているので、誰かの声ではなく、これは自分の声になるのではないだろうか。そういえばもう一つ似たようなフレーズがあった。

良いニュース小さな声で語られるのです

村上春樹 『ねじまき鳥クロニクル』

前後の文脈はどうだっただろうか。確か主人公が耳を澄ますようにアドバイスされていて、そのあとに続けられた言葉だったと記憶している。ここにも 『小さな声』が出てきている。思い返せば、日常で語られるほとんどのニュースは、良くも悪くも大きな声で語られている気がする。テレビで流れるニュース、インターネットで膨らむニュース。ここで言う『良いニュース』とは、おそらくそれらを含んでいないのだろう。『語られる』、ちなみにここで語るのは誰なのだろう。

左手に見えるのんびりとした街の川に、雲が映りこんでいるのを見た。斜め右の方から、グレーのヨークシャーテリアと散歩している女性が歩いている。"二人"の散歩の邪魔にならないように、歩道の隅の方へ移動した。少し岩や木の根が出ているようなあぜ道だったので、転ばないように慎重に、でもペースを落とさずに進んでいく。二人と無事にすれ違うと、道が狭くなり、足元にオレンジ色の花の束が目に入った。小さな声。。

声の発信元と受け取る側を、どちらも自分と仮定したらどうだろう。二つのフレーズに共通して説明ができる気がする。グラスホッパーの『本当に大事なことは、小声でも届くものだ』は、"本当に大事なこと"="自分の声"なので、小声でも自分で聞くことができる。ねじまき鳥クロニクルの『良いニュース小さな声で語られるのです』は、耳を澄ますのも、良いニュースを語るのも自分自身。どちらも、自分の声を聞きなさい、というメッセージなのではないだろうか。自分の声は頭の中でしか展開されず、耳にも届かないほど小さい声だ。

作者が意図したかどうか、は置いておいて、私にとっての一つの新しい解釈が誕生した。単純な私はもう満足だった。自分の声を聞くことは、最近の自分のテーマだから、この解釈にたどり着くのは必然だったのかもしれない。きっとそうだ。大きめの道路が正面に現れたので右に曲がり、川沿いを離れた。家まであと2キロ程度の帰り道、物語のエンディングを思わせた。

自分の声を聞く、に関連してもう一つ思い出したフレーズがある。これは小説ではなくヨガの先生が言っていた言葉だ。ある長いカリキュラムが終わる最後の授業で、締めの言葉として仰った。

・・・では皆さん、ぜひこれからも頑張って、いや、頑張らなくていいんですけどね。・・・

ヨガの先生の言葉

『頑張らなくていい』がうまくできない私たちへの柔らかいメッセージだった。色々な情報が増幅する環境の中で、健康的な心であり続けることはとても難しい。そのためには自分の声を聞くことが重要だと私は学んだ。無理は長続きしないから、予め気が付いて調整することが必要だ。調整の日々。今もその最中。

話はまとまらなくても走るのはもう終わりそうだ。晴れた日に外を走ると、私の思考は活発になる。しかしそれはカラッと軽く、最後には空に放たれて消えていく。身体の心地よい疲れの方が圧倒的に勝っているからだ。マンションの階段を登りきると、ランニングウォッチを確認し、計測を終了した。ピピっという軽快な音が頼もしかった。同時に私の今日の妄想も終了する。小さな声について考えたこの思考こそ、小さな声の発信と受け取りの一部始終だったと最後になって気づいた。ドアを開けると嗅ぎ慣れたにおいがして、汗で濡れたTシャツもろとも、深い安心感で包まれるのを感じた。

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