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大衆は弱者を支配するよりも、自分を支配する強いものの方を選ぶ

大衆心理はなべて中途半端なもの、弱いものを疑う。
女は抽象理性の声に従わず、定識なく、フラフラと、自分に欠けている力を具現しているものへの憧憬に従って物を見、判断するものであり、したがってまた、弱者を自分が支配するより、自分を支配する強いものの方を選ぶ。
そのような女と同じく大衆というものも、自分たちに頭を下げるものよりは支配者を好むし、ほかの考え方を許さぬ教えの方が、進歩的自由を与えられたりするよりもずっと彼らの内面生活に落ち着きをもたらす。
自由主義思想など与えられても大衆はそれをどうしたらいいかわからず、しばしば自分たちが放り出されてしまった用に感じるのだ。自分たちの精神が恥知らず名力ずくのやり方で支配されていることなど大衆はなかなか気づかぬものだし自分たちの人間としての自由さえ腹立たしいやり方で踏みにじられているというのに、それにも気づかない。その教えそのものの中身が狂っているなどとは全く夢にも思わないのだ。

魂の殺人より アリスミラー

ずっと読まなければいけないと思っていたアリス・ミラーの魂の殺人という本についに手をつけた。

この本のタイトルは魂の殺人。でも、その横に書いて在るサブタイトルがあまりにも恐ろしい。

サブタイトルは、ごらんの通り、親は子供に何をしたかというものだ。

このカバーの部分だけを読んでも、どこか何か心をえぐられる気がする。

一番上に引用した文だが、これはあまりにも的を得すぎているので、今回あえて引用させてもらった。

この一文はあのアドルフ・ヒトラーの言葉だ。

絶対に許すことの出来ない大虐殺を行った男の言葉。だが、彼のこの言葉に妙に納得させられてしまった。

上記の一文はあまりにも的を得すぎていた。

私たちはいずれにしても、自分を支配してくれるものを好んでいると・・。

弱者を自分が支配するより、自分を支配する強いものを私たちは選ぶ。

まさにその通りだ。

その方が楽だから。確かに自由主義思想など与えられても、大衆はそれをどうしたらいいのかすらわからない。

だとしたら、力あるものにしたがって生きる方が楽と言うことだ。

こうしたヒトラーの言葉は、私たちの心の一番見たくない強烈な部分をストレートにたたいてくる。

あまりにも本質的で、そこにストレートに飛んでくるヒトラーの言葉は、あまりにも痛い。。

絶対に許すことは出来ない。ユダヤ人を迫害し、大量の人を殺した。罪のない人を殺した。そのことは絶対に許すべきではない。でも、彼の口から語られたその言葉を読めば、彼が何故、そうした考えに至ったのか?が少しだけ見えてくる。

彼に同情しようなどという気はさらさらない。でも、人間をこれほどまでに壊してしまった彼を取り巻く様々な環境が憎くて仕方がなかったりする。

皆、自分の保身に走って、迫害者の立場に立つ。そうすることで自分の身を守ろうとする。

相手がいたんでいても、その痛みを自分がかぶろうとはしない。

今の世の中を見ていても、ほとんどの親がこれに等しい気がして仕方がない。

自分の身を守るために、我が子を前線にだす。そして、その子に自分の盾になってもらう。心の中では、ごめんねといいながらも、自分は何もしない。

彼らは何も出来ないとそう言う。でも実際は違う。彼らは何も出来なかったのではなく、何もしなかったのだ。

自らの弱さを認めることも出来ない未熟な親が、ヒトラーの様な男を作りあげた。理由はこれだけではないが、これは彼の中で大きな部分を占めている。

自分で何も決められない。自由主義思想など持たされても、どうしたらいいのかがわからない。だったら、力あるものに、しがみついて、その人に導いてもらえたら、楽。

そう言う考えの人間が、何も考えずに、子供を教育という名の元に殺していく。

正当性を謳って、彼らは自分の残虐性を覆い隠す。

この世界のどれだけの人間が、自分の弱さに向き合うことが出来るのだろう?

自分の世界を見回して見るだけでも、現実をゆがめ、自らを取り囲む全てを理想化し、生きる人間を見ていえると、なんともいえないきが気がして吐き気がしてくる。

理想に理想を重ね、現実を消しゴムマジックで消し、そこに自分で好きな様な物語を書き加える。もちろんそこにある現実の写真は別のものにすり替えられ、皆それを自分の現実だと思い込んで生きている。

こんなことをしていて、誰も現実を、そこにあるリアルに目を向ける勇気を持たなければ、この世界に未来なんてないし、希望もない、そんな気がした。


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