【小説】奔波の先に~聞多と俊輔~#132
24 維新の終わり(3)
その頃日本では、伊藤が益田孝のもとを訪ねていた。
「工部卿自らお出でになるとは、驚きました。狭いところですが、ごゆっくりしてください」
「ここが先収会社の事務所だったところですね。僕は入り口までしか来たことがなくて、井上さんが仕事をしているところを、見たことがなかったんです」
「井上さんがお使いになられた部屋は隣です。今は応接室として使っています。ただ、こちらの部屋のほうが、秘密が保ちやすいので、こちらを使うことのほうが多いのです」
「では、本題に入らせて頂きます」
博文は書類をテーブルに置いた。
「こちらをお読みいただきながら、お聞きください。では、説明をします」
政府としては、正貨である外貨をすこしでも稼ぐため、官営で行われている三池炭鉱の石炭を海外輸出してほしいというものだった。
益田には井上が言っていた手土産だとすぐにわかった。まずは上海に持っていき、清に進出している企業に売ることができれば、更に販路を広げることができると考えられた。これに乗れなくては、この先は無いだろうと思える魅力があった。腹は決まった。
「わかりました。このお話お受けいたします」
「さすが、聞多が見込んだお人じゃ。よろしく頼みます」
初めて、博文が笑みを浮かべた。
「そういえば、井上さんのお宅で、一度お目にかかりましたね」
「あぁ、あの時は大変な時期で、お話できませんでした。これからは、共に仕事をすることになりました。親しくして貰えれば」
「井上さんのご縁です。私からもこれからもよろしくお願いします」
博文は、木戸の洋行がかなわない以上、三井物産との契約は馨との信頼の上でも必要なことだと思った。無事叶えられたことに一安心だった。
萩の前原一誠を中心とした明倫館に起伏している者たちに、不穏の動きがあると密偵から、内務省の大久保のもとに情報が、上がってくるようになっていた。
その動きは廃刀令と俸禄廃止と俸禄について裁定された金額について金禄公債を支給するという秩禄処分に対して、不満を持つものが増えたことで過激化していた。
秩禄処分はもともと大蔵省時代の馨が計画し、大久保が変更を加え実行していったものとなった。木戸はゆっくりと、なるべく平穏に行われることを、希望していた。
そんな木戸は、馨に対して大久保の施策が薩摩に対して甘いと言う不満を文にしたためて送っていた。馨はそんなに不平不満をぼやくくらいなら、パリの万博視察を理由にこっちに来ればいいと返事を送っていた。
しかし、熊本、秋月ときて、萩で前原一誠が暴発し、他の地域での連携を計画していたことがわかり、広がりが懸念された。しかも、農民の一揆も頻発し、士族の動きと連携されることは、防がなくてはならないとなると、木戸の洋行は不可能となっていた。
「いいか、ここでわしらが作るものが皆の食事となるぞ。奥方様やお嬢様にひどいものを食させることになるのは日本男児の沽券に関わる。その作り方のとおり作ってみなでうまいものを食おう」
馨は集まって来ていた留学生たちを前に演説をした。
それを聞いた中上川、小泉、小笠原といった面々は台所の持ち場について、料理の支度を始めた。あまり自炊もしていないということなので、簡単なものしか作れないが、井上家が日本から持ってきた和食の食材を前にするとやはりきもちはあがってくるものだ。白米のご飯と味噌汁、焼き魚、野菜の煮物といったものに取り掛かっていた。
中上川と小泉はまず材料を切り、米を研いでいた。なかなか進まなかったのは小笠原の担当の汁物作りだった。まず手始めの鰹節を削ることができなかった。
「おぬしら、なにやっちょる。まだできんのか」
馨が台所を除くと、小笠原の悪戦苦闘ぶりが見て取れた。
「小笠原くん、ひょっとして鰹節の削り方を知らんのか」
小泉が鰹節の削り具合を見ると、粉々になっていた。
「君はやっぱり殿様だなぁ。まず鰹には削る向きがある。目みたいなのがあるんだ。このかんなみたいなのは引く時に削れる。それを合わせてやると薄い削り節になる。結構料理も理屈なんだ」
殿様という言い方に少しムッとしていたが、小笠原は言われたとおりにやってみた。シュッと音がして、薄い削りが現れると思わず声を上げていた。
「あぁできた。これは面白い」
「井上さん、大丈夫です」
そうやって出来上がったものを、武子や末子も同席して皆で食べた。すこし飯が焦げていても、魚が日本と少し違っていても、皆で作って食べるということは、留学生たちにちょっとした喜びになっていったようだった。
「小麦粉と塩があれば、うどんも作れるはずだ」
「そりゃ面白そうだ」
「料理はケミストリーだ。僕は専門外だけどな」
このホームパーティは定期的に行われていくことになる。