【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#129
23 成功の報酬(5)
このアラスカ号は設備はよいが古いらしく、よく揺れる船で武子は船酔いに苦しんでいた。しかも、海が荒れて、ゆれは一層ひどくなっていた。あまりの事態に、武子は動けなくなっていた。
「ママは船酔いで動けんらしい。お末は父と食堂に行こう」
「ママは大丈夫ですか」
「大丈夫じゃ。わしがママの食べられそうな物をもらってきてやる」
と、二人で食堂に行き、武子のためにリンゴやバナナ、オレンジなどを持ってくるというようなことをしていた。
また朝には、末子の髪をおさげのみつあみを編むということのも馨の日課になっていた。
しばらくすると船もそれほど揺れなくなり、武子の船酔いもだいぶ楽になっていた。それで、三人で船の中を散歩するのが日常になっていた。
日本人が家族で渡航するなど珍しいことだったので、同船していたアメリカ人の夫人たちの目を引いたらしい。日本語の分かる人もいて、末子の英語もあって、武子たちとこの夫人たちは仲良くなっていった。洋装のことや髪型のこと、いろいろな話をしていく中で、この旅の目的の事になった。欧米のマナーを学ぶことだと彼女たちが知った時、馨もその教育の対象になってしまったらしい。
行く先々で「ミスター井上、部屋に入るときは、まずドアを開けて、武子さんを通してから入るのです」だったり、二人で歩くときは手を添えろとか、よろけないように支えろ、肩掛けが落ちたらあなたが拾うなど、とダメ出しをされ続けていた。
この夫人たちなんと7人もいたので、馨の行動はすべて監視されているようなものだった。こうして、レディファーストを体で覚えつつ、船旅が進んでいった。
「日本人男子たる、わしの人権は、どこに行ったんじゃ」
馨は誰もいないところで、つぶやくしかなかった。
武子は丸髷を結う余裕もなくなっていたので、夫人たちから教わった結髪という、髪の毛を一つに縛り丸めていくという髪型にしてみた。
「あなた、丸髷を止めてみました。不自然じゃありませんか」
「そんなことはないぞ。よう似合っちょる。若う見えるしの。のうお末」
「ママ、きれい!」
「まぁ。うれしゅうございます」
武子は上機嫌になった。それを見て馨も嬉しくなって、末子もあわせて三人で笑い合っていた。
そうして、馨の堅忍の日々が24日経った頃、船はサンフランシスコに到着した。イギリスの密航のときは下宿に落ち着くまで、バスタブに浸かることはできなかったが、今度の旅はバスタブのあるホテルに泊まることができた。
船の窮屈さに疲れ切っていた武子は、湯に浸かり隅々まで洗い流すことで、やっと自分を取り戻すことができた。そうはいっても、ここから先は洋装に靴の生活が待っていた。
サンフランシスコでは、アーウィンに再開することができた。アーウィンは馨たちに同行し案内や便宜を図ってくれることになった。サンフランシスコには数日滞在し、ナバダ鉱山を見学、その後シカゴに移動ナイアガラにも行き、フィラデルフィアへ。
フィラデルフィアでは博覧会中だったので、博覧会を見学した。日本も出品しており、担当の内務大丞長與専斎にも会った。長與は博文からの文を持っていて、馨は心配だった博文と木戸の関係が落ち着いたものになっていることに安心した。
博覧会では、日本の物産の様子を観察してみた。そういえば緑茶も輸出しているが、こちらで飲まれるのは紅茶が多かった。日本もこれからは紅茶にして輸出したほうが良いのではないかと考えた。
フィラデルフィアで少しゆっくりすると、ワシントンDCに移動した。ワシントンでは、駐米公使の吉田清成がいて、いろいろなところを案内してくれたので、政府の活動や経済行政などを観察することにした。そして、女子留学生たちにも会うことになり、武子と末子は西洋のしきたりを聞くことができた。買い物なども付き合ってもらったりもして、交流を深めた。
馨も益田の妹の永井繁子と話をして、益田の近況、三井物産の社長となっていることも告げた。一週間ほど滞在すると、ニューヨークに移動した。
ここでみた、拡大し続けるアメリカの経済は馨には危ういものに見えて、感心するところは多くなかった。ただ鉄道の発達には目を見張り、産業の根幹をなすものだと考えた。
この長距離の移動で、音を上げたのは武子だった。見るもの聞くもの全てが刺激で、理解が追いつかなくなっていた。その上初めて着る窮屈な洋装、靴で痛い足。ついに癇癪を起こしてしまった。
「もうこんなところは居たくありません。次の船で日本に帰らせてください」
そう言って怒り出してしまった。未子と二人でどうにかなだめて、次の目的のロンドンに行くことを納得させた。
こうして2ヶ月半アメリカを旅をしてたのは、木戸が来るのを待つということもあった。しかし、木戸は行幸がすんでも日本を離れることができなかった。宮内省に出仕が仰せ付けられ、洋行も見合わすよう達しが出てしまった。
木戸はそのことについて馨に文を書いていた。これ以上待たせるわけに行かないので馨には博文の発した政府電報でそれを知らせた。日本に残らざるを得なくなった木戸に思いを馳せて、馨は案内役のアーウィンと共にロンドンへ渡った。