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自分だけで自分のご機嫌をとらない方が、人生は生きやすい。

こんにちは。美月です。

もうすっかり春めいてきましたね。わたしは春生まれなので、この季節のぽかぽかした太陽と風に乗ってくる花の匂いが大好きで、呼吸するだけで「生きててしあわせ~」となっています。

今日は、「自分のご機嫌を自分だけでとらない方が、人生は生きやすい」というテーマを書いてみようと思います。


「自分のご機嫌は自分でとろう」への違和感

聴いてびっくりした話があるんですけどね、小学校の時に「ほけんだより」ってあったじゃないですか。月ごとに健康のTipsやメソッドがわかりやすく書いてある保健室からのお便りみたいな。

そのほけんだよりに画像のような、いわゆるアンガーマネジメントが書いてあるそうなのです。

とある小学校のほけんだより


【6秒ルールで怒りを落ち着かせる】イラっとしたらトイレに籠るなどをして1人の時間をとりましょう。怒りは6秒間しか持続しません。ゆっくりと6秒数えてみましょう。」

【自分への声かけでリラックスしよう】ストップストップ。落ち着け、落ち着け。大丈夫大丈夫。と心の中で3回くらいつぶやきます。」

などと、自分の怒りを自分で鎮めるようなノウハウが書かれています。そのような内省ももちろん大事ではあるんですけどね。
これを小学校の頃から教えられた子は、どう育つのかな。「見た目は子ども、頭脳は大人!その名は…」みたいな子になるのかなあ、なんだか嫌だなあ(笑)

青いジャケットに赤い蝶ネクタイのあの子やで

「自分のご機嫌は自分でとらなきゃいけない→だから自分のことは自分で解決しなければならない→ということは相手の問題は相手の問題。アドラーも課題の分離っていうしね→だから相手の問題も深く関わらないでおこう」

幼少期から過度な自責を求められ過ぎるとこんな思考をもった大人になるんじゃないのかな、と思います。

そうして過度な個人主義的な思想に偏った結果、内と外を過度にわける他者との分離、自分と自分自身の分離が進んでしまっているのでは?という違和感を抱いています。
(自分のことなのにやりたいことがわからない、感情がわからない、などまさに分離状態の代表例よね…。)

「自分のことは自分でする。」それが当たり前でしょ?

わたしは現在パートナーと犬1匹と暮らしています。マッチングアプリで出逢い、同棲からの結婚をした夫婦です。

同棲した時はお互い会社員で割とバリバリ働いていたいわゆる「共働き」でした。給料には差があったのでパーセンテージの傾斜はかかっていましたが生活費も基本は折半。"生活費にしろ、家事にしろ、基本的に自分のことは自分でやる。お互いに自立した関係性"としてパートナーシップが始まりました。けんかも無く、2年くらいは穏やかな毎日を過ごしていました。

結婚後もそのスタイルはしばらく続きます。休暇では一緒に旅行に行ったりしながら楽しく思い出を積み重ねていました。

のちにわたしが転職をして副業を始めたり、その後体調を崩したりと環境が変わっていく中で、これまでのパートナーシップが崩れていきます。

わたしは2022年に「キャリアブレイク(一時的な無職)をとる!」と意思決定し、すべての仕事を手放すことにしました。
そして、収入がゼロになるので、これまでは折半していた生活費を一時的に負担してほしい、とパートナーへ相談をしたんですよね。

当時のわたし視点からすると、まずこの「経済的な協力依頼をする」というところに大きなハードルがありました。

その理由は、過去に親に経済的な協力依頼をして両親ともにぐさっとくるような言葉を言われた経験があったから。

わたしの両親はわたしが中学生のときに離婚し、そこからシングルマザー家庭の子どもになりました。経済的に貧しかったので「自分のことは自分でする」という教育方針のもとでやりたいことは我慢して過ごすことが多かったのです。

それでも高校の時にどうしても交換留学をしたくて、その相談を母にすると「パパはあなたの学資保険も他の女に使ったから無理。あなたは愛されていなかったのよ。」と言われたり、父を頼ると「出ていったのはお前たちなんだから、お前たちの問題はお前たちで解決してくれ。」と言われたり。

その経験から、「お金のことを他者に頼ると痛い経験をする」という信念が生まれ、その体験から「自分のことは自分でして生きていかないと傷つく」という行動パターンになったんですよね。

でも、過去は過去。今とは違う。
ものすごい怖さも抱えながらパートナーに相談すると、「しょうがないなあ」としぶしぶ?(笑)受け容れてくれました。(感謝しかないです)

この体験によって、ようやくわたしは「必要なときは他者を頼ったら助けてくれる」という新しい選択肢を得ることができたんですよね。

それから、ビジネスにしろ、イベント運営にしろ、他のことでも必要であれば他者を頼り、できないことは「わたしこれできないから誰か助けて!」というヘルプをハードルなく周囲に出せるようになりました。

周囲にヘルプを出せるようになったことで、「自分のことは自分でする」だけではない、新しいパターンが育まれていきました。

ヘルプを出すことで人とのシナジーを起こせるようになった結果、

「必要であれば周囲に助けを求める→もし相手もyesなら助けてもらえる(noの場合もある)→相手もわたしもそれが喜びからやっていたらお互いhappy→わたしも誰かが困っていたら助けたい」

という循環が生まれました。

パートナーの嫌そうな顔(笑)

すぐに甘えてくる人にイラっとするほんとうの理由

パートナーにヘルプをするまでは「自分のことは自分でやるのが当たり前」という思想だったので、すぐに他者に甘えたり助けを求める人を見るとイラっとしていました。

それは、自分が「助けて」と言えなかったからなんですよね。「わたしはこんなに頑張っているのに、ずるい」という心理があったのだと思います。

たぶん、SNS炎上とか人に攻撃する人とかってそういうパターンがあるんじゃないかなあ。
助けてが言えなくて、人に攻撃してしまう悪循環。

「あなたばっかり、ずるい!!」という怒りの現れ。そしてその怒りが「自分のご機嫌は自分でとることがよいことだ」「感情を表に出すのはダサい」という一般的な信念、イメージによって表現できる場がどんどん失われていく。

ポジティブなのはいいけど、ネガティブなのはね…と本来湧いたありのままの感情に「これはネガティブなので他人の前では表現してはいけません」レッテルを貼られて、そのエネルギーは行き場を失ってしまう。

だからこそ、蓋をされた行き場のない感情が匿名性によって正当化され、結果的に他者を批判し追い詰める暴力的な行為につながっているんじゃないかとも思うのです。

もちろん、「自分のご機嫌は自分でとる」という思想にもはんぶんは同意しています。内省せずにすべてを相手にぶちまけていい、という極論を言いたいわけではありません。

でも、自分の中ですべて完結しようとせずに、もっと他者に、安全に、感情を表現する場や術はあってもいいと思うんですよね。

先日、お友達と話していてちょっとモヤってすることがありました。その時にわたしは率直に、

「いまこういう風に言われて、わたしはかさぶたがはがれたような感じがして、痛くてモヤってしたんだよね。」

と伝えました。

それを受けてお友達は、

「自分はそれをこういう意図で言葉を発していて、傷つけたりするつもりはなかったんだけど、そうだったんだね。それを聴くと自分は不本意に感じるなあ、でもごめんね。」

と率直に伝えてくれました。

こうしてお互いが率直に言葉の意図や感情を伝いあうコミュニケーションをした結果、お互いの認識違いや前提のズレなどが明らかになり、双方が「そうだったのか!」と納得しました。

どんなズレが起きていたのか?をコミュニケーションによって自覚し、モヤっとした感情を伝えあうことで、「次からはこうしようね」などと約束しなくても以降のコミュニケーションにお互いが気を付けつけるような流れが生まれました。

そうなったのは、お互いの感情をお互いが開示して表現しあい、受けとめあったから、なんですよね。

自分のご機嫌を自分でとろうとせずに、率直に伝えあったから。
だからこそ、自分の認識のズレや相手の感情にも気づいて、すっきりしました。

「関係性の中でお互いのご機嫌を表現しあって昇華する」メソッドがある

わたしは、自分のご機嫌は自分でとる以外にも、こうした「関係性の中でお互いのご機嫌を表現しあって昇華する」コミュニケーション法、在り方もあると思っていますし、実践もしています。
(あんまり知られていないことがもったいなさすぎる…)

自分のご機嫌を自分でとれるなら、それに越したことはないかもしれませんが、逆に表現しあうことで結果として関係性のレベルがあがるんですよね。

実際、先ほどの例のお友達とも「言えてよかったし、聴けてよかった。伝えてくれてありがとう。」という気持ちになり、信頼関係が深まったと感じています。

ネガティブな感情を表現するというプロセスは、ある意味で無防備になります。自分の脆弱な、やわらかな部分を相手に見せることになるから。

だからこそ抵抗感があるし、「受けとってもらえるのかな」という不安にもなります。

でも、正直に湧いてきたモヤモヤや違和感をも表現しあえたときに、やわらかな部分を見せたからこその絆の深まりもあります。ある意味、他で経験できないような共通体験が生まれるのでしょうね。

そしてこの「ネガティブな感情を表現しても大丈夫だった」というちいさな経験の積み重ねで、自分や相手の怒りや悲しみなどのネガティブな感情も受容できる力が結果的に育まれていくのだと思います。

「ものごとはすべて陰と陽。ポジティブに偏ろうとしなくても、ネガティブな感情あってもいいよね。」

心と身体でそれを体感できると自分の感性もひらいていく。ひらいても大丈夫よ、ともう1人の自分からの許可がおりるんだと思っています。

わたしにとっての「自然体」とは、いつでも穏やかな状態ではなく、いつでもご機嫌な状態でもなく、怒りや悲しみなどのネガティブな感情も含んであるがまま存在していてもいいという状態のことです。

感情は意志の力で無理やりコントロールしなくても、必ず大切な願いがそこには含まれているから。

この、「関係性の中でお互いのご機嫌を表現しあって昇華する」メソッドは、つながるコミュニケーション術として、つながりの学校でも教えています。
定期的に体験授業がありますし、LINE登録で無料クーポンも発行していますので、エッセンスを体験してみたい方はぜひ遊びにいらしてくださいね。


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関係性も得意テーマです🙋‍♀️




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みづき @つながりの学校主宰
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