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夜桜がこころを惑わすから【俳句からショートショート】


 カーテンの隙間から朝日が入ってくる。目を細めながら真希は上体を起こして、うーんと伸びをした。服は着ていないし、ここは見なれない部屋。横で寝ているのは、同僚の慎太郎だ。整った慎太郎の寝顔を見ながら、真希はちょっと顔をしかめた。

 なんで私ここにいるんだろう、真希はぼんやり考える。ここに来たのは自分の意志で、それだけの事。別に小娘ではないのだから、こんな事どうって事はない。ただの気の迷いだと、そう思う事にした。

 寝ている慎太郎を起こさないように、するりとベッドから出た真希は素早く服を着た。顔を洗い、昨日の晩にコンビニで買ったお泊まり用の化粧水や乳液を塗り、軽くメイクをした。バッグを手に部屋を出ようとした時、名前を呼ばれた。

 「真希」

 真希は、慎太郎に名前を呼ばれて動けなくなってしまった。




 暖かな夕方、真希は川沿いの道をのんびり歩いていた。川沿いには桜の花が咲き乱れ、辺り一面がピンクに染まっている。時折スマホで写真を撮りながら歩いていく。この先には大きな公園があり、この日は会社の花見があるのだ。

 せっかくの土曜日なのに面倒だなと真希は思う。だけど、こういう場は嫌いではなかった。一緒に働く上司も同僚も悪い人間はいなかったからだ。それに、慎太郎がいるから。真希は、同僚の慎太郎に恋をしていた。慎太郎も真希の事は憎からず思っているようだった。ただ、慎太郎には付き合っている彼女がいるという噂があり、それが真希を不安にさせた。

 「あんなイケメンに彼女がいない訳ないか。女の子がほっとく訳ないもんね」
 桜の咲く道を歩きながら、真希は独り言を言った。両手で頬をパンっと叩くと顔を上げて早足で歩き出した。公園はもう、すぐそこだ。




 「場所取り、お疲れ様です」

 真希は場所取りをしていた慎太郎に声を掛けた。

 「おおー、早かったね。俺、がんばっていい所に場所取ったからね」
 「ほんと、きれいな桜のそばですね。今日は一杯飲めそうですね。あ、何かお手伝いする事ありますか?」
 「いやー、別にいいわ。んじゃ、俺と話そう!今日はずっと一人でいたから寂しかったんだよー」
 「えー、そんなんでいいんですか?そしたら、いくらでもしゃべっちゃいますよぉ」

 二人で話しているうちに、他のメンバーも揃ってきて花見が始まった。なし崩し的に、二人は並んで座っている。
 陽が落ちきる前の、ほんの少し明るさが残る時刻。桜の花を照らす照明。紫がかった色の世界にピンクの桜がほんわり浮かぶ。真希はビールを片手にうっとりと桜を見上げた。そんな真希に慎太郎が声を掛ける。

 「桜、きれいだよね」
 「斎藤さんも桜、好きですか?」
 「俺、好きだよ。桜も真希も」

 さらりと言ってのけた慎太郎の言葉を真希はもう一度頭の中で繰り返した。自分の事を好きだと言っている、目の前の慎太郎の顔をまじまじと見た。信じられない。だって、この人には彼女がいるんじゃないのか。

 「何言ってるんですか?もう、酔っぱらうにはまだ早いですよ」
 「いや、ほんとだって。嘘じゃない」

 言葉に詰まっていると、真希を呼ぶ声がする。課長が真希を呼んでいる。

 「藤原くーん、ちょっとこっちおいでよ!」
 「あ、はーい!今行きますよー」

 真希は、渡りに船とばかりに課長たちのいる所へ移動した。



 すっかり陽も落ちて、照明に照らされた桜はとても鮮やかだ。夜桜は真希の心をざわざわさせる。真希は、そんな桜を眺めながらぐいぐいとビールを飲んでいった。自分でも、ペースが速いと思いはしたが止められなかった。そんな真希を心配して、課長も声を掛けてきた。

 「おい、藤原くん。お前ちょっと飲み過ぎだって」
 「あー、課長。大丈夫ですよ、このくらい。平気ですってば!」

 酔ってないと口にするものの、今の自分は酔っているんだろうなと真希は思う。アルコールには強い方だけど、ペースは速いうえに、さっきの慎太郎の言葉が酔いを加速させているようだ。

 昼間は暖かかったけれど、夜は冷える。みんなも寒くなってきたのか、そろそろお開きの時間になった。かなり酔っている様子の真希を見かねた課長は慎太郎をそばに呼んだ。

 「斎藤くん。ちょっと藤原くんを送ってやってくれないか。こいつ、飲み過ぎてるから、一人で帰すの危ないからな」
 「分かりました。ちゃんと送り届けます」




 皆と別れ、足取りの怪しい真希を支えながら慎太郎はゆっくり歩く。

 「なぁ、お前飲み過ぎだろう。大丈夫?」
 「大丈夫ですってば。酔ってないもん、私」
 「ほら、タクシーに乗るぞ。帰ろう」
 「やだ。私帰んない。帰んないのー」
 「ほら、酔っぱらい。帰るぞ」
 「やだ。帰んないの」

 そう言うと、真希は慎太郎のジャケットの袖を引っ張った。真希は酔った頭で、私何やってんのかな、もういいや、どうでも、と思った。

 二人でタクシーに乗り込むと、慎太郎の部屋の近くのコンビニまで行った。そこであれこれ買い物をして、慎太郎の部屋に向かう。
 慎太郎の部屋は、きれいに整頓されていてシンプルなインテリアで整えられていた。さっき買ってきた軽めのチューハイを飲みながら、ぼんやりとテレビの画面を眺めていた。

 「真希。さっきの話だけど。俺ね」

 慎太郎の言葉を遮るように、真希は言葉を重ねた。

 「私、今そんなの聞きたくないの」

 そう言うと、慎太郎の肩に頭をちょこんと乗せた。しばらくそのままでいた二人だったけれど、真希が口を開いた。

 「ねぇ、キスしよ?」
 「いいの?」
 「いいから言ってんでしょ?」




 呼び止められた真希が動けずにいると、パーカーを羽織った慎太郎がそばにやって来た。

 「真希。黙ってどこに行くの?」
 「帰るの、家に」
 「どうして?俺まだ真希の気持ち聞いてない」
 「斎藤さん、彼女、いるんでしょ?みんな言ってるもん」
 「彼女なんていないって。この部屋のどこにもそんな形跡ないだろ?」
 「だって。斎藤さん、そんな素敵なのに彼女いないはずない。それに、私、別に斎藤さんの事なんて好きじゃないもん」

 慎太郎は、そっぽを向いた真希をそっと抱きしめて言った。

 「本当に彼女はいない。俺はずっと真希が好きなんだけど。気付かなかった?まだ、信じられない?」
 「わ、私も斎藤さんの事・・・、好き。だけど」
 「だけど、何?」
 「酔って、こんな事しちゃう私なんて、もう嫌になったんじゃないかなって。昨日は、もうどうでもいいやって、思ったの」
 「嫌いになんか、ならないよ。真希は真希でしょ。どんな真希でも、俺は好きだし嬉しいよ」

 ちょっと涙声になった真希を、ぎゅっとさっきより力を込めて慎太郎は抱きしめた。

 「なぁ、お腹空かない?俺、朝食作るから一緒に食べようよ。そこに座って待ってて。俺さ料理、得意なんだ」




勝手にスピンオフというか、先日参加した「みんなの俳句大会」で作った俳句の中から物語が浮かんできたので、ちょこっと書いてみました。

 これの、3句目から引っ張ってきました。

花見酒ほろりと苦き恋一夜

この句は、フィクションです。
シチュエーションとしては、グループでのお花見です。お互いに彼氏・彼女がいるんだけれども、お互いちょっと気になっていて、夜桜とお酒の勢いで大人の関係になっちゃったという設定でした。

物語が浮かんだものの、この設定のままでは救いが無いし、私も書いてて気が滅入ると思ったので、設定を変えました。
ちょっと、駆け引きだの、プロセスだのをいろいろすっ飛ばして大人の関係になっちゃいましたが、これを機にお付き合いが始まるという風な。

昼間の桜は、淡いピンクの花が咲き乱れ、時には力強く、時には儚く心に響きます。けれども、陽が落ちきる前の紫の世界から漆黒の世界に変わる頃。照明に照らされたピンクの桜は、妖艶に鮮やかにその姿を浮かばせて、心を惑わせるのです・・・。



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