書く理由は自己満足
最近、noteの街をざわつかせている事があるようだ。
それは「noteを書く理由コンテスト」の中間審査の選考についてのあれこれだ。
このコンテストがあると分かった時、すごく興味深いお題で是非とも書いてみたいと思っていた。だけど、内容を詰める事ができないまま締め切りが過ぎてしまいコンテストに応募する事はかなわなかった。
しばらくして、主催の方(のスタッフの方)より選考の際の諸々を書かれた記事が出た。その記事を読み、私はやっぱり応募しなくてよかったと思った。
そうこうするうちに、この件についての投稿をいくつか目にするようになったのだ。
応募する側と審査する側のそれぞれの意見、どちらも読んでいて分かる気がする。それで今回、今更ながら自分の書く理由を書いてみようと思う。
本当なら、件の記事のリンクを貼ったりするところなのだが、今回私はコンテストに応募していない部外者の立場であるので、リンクは貼らない事にする。
何だか高みの見物のようで、自分の言いたい事だけを言うようで心苦しいところもあるのだが、ご容赦頂きたいと思う。
保身に走っているとか八方美人だとは思っている。やっぱり私は自分が可愛いのだ。
だから、これ以上読み進めたくないと思われた方はブラウザバックして頂きたきたいと思う。
また、いつものように思い付きで書いているので、着地点などは考えておらずどう転ぶか分からないが頑張って書こうと思っている。
(こういうのが読んで下さる方の得にならないダメな文章なのだろうw)
私がnoteを書く理由、それは一言で言うなら「自分の内面から溢れる思いを文章にしたいから」だ。それは、エッセイであろうが小説だろうが短歌だろうが、どれも同じだ。
何か自分の中に湧いてきた思いを記したいと思いnoteを始めた。
元々私は文章を書く事が大好きだ。長い文章を気軽に書ける媒体としてnoteを選び、文章を書いている。書いていくうちに、noterさんとの交流で書いていくものが広がっていった。記事を投稿すると、少なからずスキを下さったりコメントを下さったりの反応がある。それが嬉しくて、私は文章を書いている。
noterさんの中には作品を公募に出す方がおられる。私は、そういう方々が眩しくて心の中で「頑張って!」と応援している。
私自身は公募に応募した事はない。昔は応募してみようかと思っていた事もあったが、規定に沿ってきっちり文章を書く事ができないのだ。だから、自由に勝手に描き散らかす今のスタイルが自分に合っている。
もちろん、声が掛かり作品が本にならないかなと甘い甘い夢を見るが、それは本当に甘い夢だろう。私はここに来る前は、自分の事をそこそこ文章が書ける人間だと思っていた。だけど、ここには凄い文章を書く人は山のようにいる。そういう方々の記事を読むと、私なんて足元にも及ばないと本気で思う。
それでも、相変わらず私は毎日のように文章を書く。
書いていくうちに、文章を書いて投稿する事に対しての羞恥心は消え去った。そうでなければ、noteなんてやっていられないだろう。自分が書くものを読んで下さった人が少しでも面白いと思ってもらえればそれで十分だと思っている。
長々と書いたが、これが私のnoteを書く理由だ。
コンテストに応募するという事は、審査員の目に留まらなければどうにもならないと思う。どんなに良い文章を書いたとしても、たくさんの作品の中から選んでもらわなければその文章は日の目を見ない。
審査員も人間だ。だから、審査員に刺さらなければ見向きもされないのだろう。
それが件のコンテストにしても、創作大賞にしても、外部の公募だとしても。
そこの審査員に好まれる作品を書くのが、審査を突破するための近道なのだと思う。それは、就職の時の面接のようなものなのかなとぼんやり考えた。面接の時は、面接官にウケのいい対応をする。本音がどうであろうと相手に合わせた対応をするものだ。不本意でもそこに入社したいのであればそれくらいの事はする。
本気で賞を取りに行くのであれば、そういった対策を練り、審査員に好まれる文章を書いた方がいい。それが、例の記事の言いたい事なのだろうと感じた。
私もnoteで審査員をした事がある。
サークルの企画での短歌や俳句の審査。それと「みんなの俳句大会・旬杯」での短歌の審査員だ。
みん俳はとても大きな大会で、そんな大会の審査員なんて私に務まるのかと不安だった。運営の方によると、いろいろな視点で選んで欲しいからとの事だった。それで審査員の役を受ける事にしたのだが、本当に勉強になった。
短歌の審査員は4人いたのだが、見事に選んだ作品はみんな違っていた。これが今回のコンテストで思う事に繋がるのかなと思う。
審査員も人間だから、自分の好みの作品を選ぶ。自分が選ばなくても他の方には刺さるかもしれない。だから、その作品の良し悪しなどは実力はもちろん運も大きく関係するのだろうと思った。
私自身はみん俳で公式の賞は取った事はない。これは意外とダメージがあって、私には才能なんてないのかなとかなり落ち込む。けれど、みん俳には救いがあって「勝手に賞」というものがあり、作品を読んだ人が自分の好きな作品に勝手に賞をあげるというシステムがある。その「勝手に賞」では私にも賞を下さる方もたくさんいた。これは本当に嬉しかったし、私も創作していいんだと救われた思いがした。
ちょっと話はとっちらかってしまったが、私が言いたいのはこうだ。
主催者に合わせた文章を書けば選ばれる可能性は上がるかもしれない。そういう文章を書きたくて書くのならいい。
だけど、書きたくないけど書くのは書く方もきつい。
それに、読み手としては書く人の思いのこもった文章を読みたい。ウキウキしたり、ヒリヒリしたり、考え込んだりという生の思いのこもった文章を読みたい。
私自身も自分の思いの乗ったそういう文章を書きたい。
それが例え読み手の得にならなかったとしても、読み手の大切な時間を奪ったとしても。
万人に刺さらなくても、誰かに刺さるようなそんな文章を書きたい。
しかしながら矛盾していると思いつつ、いつか声が掛かって本が出ないかという甘い甘い夢も持っている。そんな日は待っていても来ないであろう事は分かってはいるので、そのうちkindleか何かで本にしてみようかと思う。
noteに書く記事なんて、どんなジャンルであれ自己満足の世界だ。自己満足万歳だ。もちろん、たくさん読んで頂けたり、スキが貰えるととても嬉しい訳だが。
結局、自分が読んで、自分で面白いと思えばそれでいいのだ。
※それでも有料記事はその限りではない。大事なお金が動くのならお得で何かのメリットがある記事を書かなければならないと思っている。