春駅物語〜線路は続くよ、未来を乗せて
みゆです。
今日は、しろくまきりんさんの企画に参加しようと思います⭐
ライラック号に乗って行く春の旅。たくさんのお友達が乗車しています。
私も乗り遅れないように、駆け込み乗車で出発です♪
今回は、短歌で参加です。
では、どうぞ💛
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電車待ちスカートひらり春の風
夢も希望も未来駆けゆく
私の地元は平野が広がる所です。
そのため、今どきの子はどうか分かりませんが、昭和の時代はどこへ行くにも自転車でした。最高記録は、車で行くと30分は楽に掛かる友達の家です。あの時はとてもきつかったんですが、逆にその友達も私の家に自転車で来てくれた事があったので、お互い凄いなぁと。
もう、平野恐るべしなのです。
もちろん、バスに乗る事もありましたけれど。
そんな風なので、日常で電車(当時は汽車)に乗る事は無く、車の免許を取ると都会の街中に行く時以外はどこに行くのも車でした。
それこそ、JRを利用するのは旅行に行くなど非日常の時だけだったんです。
それから時は流れて、私は結婚して娘がふたり産まれました。
娘たちは大きくなり、ふたりとも大学に通う事になりました。
ふたりとも、大学は違えど隣の県の大学まで通います。今住んでいる所は、ギリギリ通える所です。あと一駅遠ければ通うのは困難(田舎だから駅と駅の間隔が広い)なのですが、ギリギリで通えるのです。娘たちは2学年違うので、大学に通う時期が重なります。ふたりをそれぞれひとり暮らしさせるには、金銭的に厳しいものがありました。
それで、娘たちは家から通う事になりました。
「行ってきます」と家を出て、最寄り駅から電車に乗り、ふたりとも乗り換えを2回して大学にたどり着くまで2時間掛かります。
大学の友達には「え、あそこから通ってんの?」と驚かれながらも卒業まで通ってくれました。もっとも、長女は諸事情で何年も余計に通いましたけど(>_<)
うちからは、ショッピングなどでたまに行く分には負担になる距離ではないのですが、毎日の事だと大変だったと思います。毎日通った娘たちは偉かったなと思います。
そんな娘たちが大学に通い始めた頃は、とても不安でした。ちゃんと大学までたどり着けるのかなって。その時の気持ちを短歌にしてみました。
娘たちは、そんな私の心配などお構いなしに、すぐに環境に順応していくのでした。まあ、そんなのは私も通って来た道なんですけどね。
私も無事にライラック号に乗る事ができました😊
駆け込み乗車で、また今回もギリギリで生きてしまいました💦
それでは、お友達のみんなと春の旅に出掛けます🌸🌸🌸
今日も最後まで読んで下さってありがとうございます♪