週3日の停電!?黒部ダムが救った戦後日本の電力不足
黒部ダム、ど迫力でした〜!
子供の頃、両親に連れて行ってもらったけど、あまり覚えておらず、今年、長野の松本へ旅行に行った際に足を伸ばして行って来ました。
黒部ダムがあるのは、3000m級の山々が連なる富山県立山町と、長野県との県境近く。
戦後の日本の復興を支えた黒部ダムの偉大さに触れ、感動しました!
⭐週3日の停電!?深刻な電力不足を解決せよ!
1945年、終戦を迎えた日本。
日本の電力需要の殆どを水力発電が支えていたものの、渇水となると電力不足が問題に。
戦後の復興が進む中、1951年の秋頃には深刻な電力不足に陥り、工場では週2日、一般家庭では週3日の休電日が設けられそうです。
週3日の停電!?
想像も出来ませんね。
さらには休電日に関わらず連日のように停電が続くほどの状況となり、立ち上がったのが関西電力の太田垣社長だったのです。
実は、大正時代から水量が豊富な黒部峡谷での水力発電に挑むものの、人が足を踏み入れること自体が困難で命がけなほど過酷な自然に阻まれ、何度も失敗を繰り返していたとか。
そんな状況下に太田垣社長は決意したのです。
関西電力は、資本金の3倍(結果的には5倍)の総工費を投じて着工したというからすごい!
こうして黒部ダムは建設されることになったのです。
ちなみに、黒部ダムの完成時には「黒部第四ダム」と意味する「黒四(くろよん)」と呼ばれていました。
新展望広場の特設会場に、建設に関するパネルの展示も。
⭐黒部ダムへはどうやって行く?
黒部ダムに行くルートは2つ。
長野県側から行くか、富山県側の「立山黒部アルペンルート」で行くか。
私は絶対に長野県側から行くのがオススメです。
ご覧の通り、立山黒部アルペンルートだと4回の乗り換えが必要なんです。
一方、長野県側は、扇沢駅から発車する電気バスのみで辿り着けるため、私はこちらを選択。
立山黒部アルペンルートで4つの違う乗り物を乗り継ぐのも面白いかも?
⭐電気バスで破砕帯をワープ!
友人と私は大阪の伊丹空港から松本空港へ、たったの1時間、ひとっ飛び。
松本空港からレンタカーで1時間ちょっとで扇沢駅に到着。
車で行けるのはここまで。
ここから電気バスで約16分、関電トンネルを通過します。
扇沢駅に到着した際、周りの人の中には、まるで今から富士山登山ですか?というくらいに重装備の方も。
「え?私達、ペラペラの長袖だけど、大丈夫!?」
と心配したほど。
この日、5月27日、立山黒部アルペンルートの中腹にあたる「室堂」というエリアにはまだ雪の壁が残っていて、その様子がパネルにも。
確かに、これを超えるには確かに防寒具が必要。
でも、私達は長野県側の扇沢駅から電気バスを往復するコースなので、大丈夫でした。
電気バスでトンネルへ!
実はこの大町トンネル、黒部ダムまで建設資材や人を運ぶために造られたもの。
初期の工事では、徒歩や馬、ヘリコプターで資材を輸送するも、はかどらない作業で困難を極めたといいます。
さらにトンネルを堀り進めて1,691mの地点で遭遇した「破砕帯」。
毎秒660Lもの大量の冷水が噴出し、大変な難工事に。
摂氏4度の冷水の中での作業は想像を絶する過酷さだったことでしょう。
水抜きトンネルを掘り、薬剤とコンクリートで固めながらの工事。
が、冬季になると水が凍りはじめ、800mに及ぶ破砕帯を突破することが出来たといいます。
電気バスで移動中、「間もなく破砕帯を通過します」とのアナウンス。
「なんだと!?」とスマホを構える!
かつての難所が今ではまるでワープのように一瞬で通過!
黒部ダム駅に到着しました!
コースは2つ。
✅たっぷり見たい!迫力コース
✅ポイントを押さえたい!らくらくコース
右へ出て階段220段を上がると一番上の展望台へ、左に出て階段60段を下りるとダムのえん堤(ダムの縁)へ出れる、ということで、もちろん展望台へGO!
220段の階段で疲弊してヘロヘロになっていると、途中、ダム建設時、一番の難所だった破砕帯の水が湧き出ていてちょっと休憩。
生き返る~☆
⭐心して見たいアーチ式ダムの絶景
頑張って登った展望台からの絶景!
水量がすごい!
これは観光客がより楽しめるようにと行われる観光放水なんです。
黒部ダムはアーチ式。
上から見ると、M字の形をしています。
これは、両岸の岩盤で水圧を支える構造で、ダムの高さや厚みを抑え、4割のコンクリート量を減らことが出来たとか。
下りていく道中、すごい風!
コンクリートを入れてクレーンで吊るした黄色いコンクリートバケットなども見れました。
23トンの資材を運べたそうです!
ダムのえん堤まで降りて来ました!
高さ186mのえん堤は日本一!
両脇の山の中腹に見えるのは、ダム建設の資材を運ぶために作られた鉄道の跡。
ダム建設に至るまでの過程がどれだけ大変だったのかを実感。
ダムの高さ186m、長さ492m、標高1,454m!
ダム湖を巡る遊覧船もありました。
虹が出た~!
そして観光放水が止まっている時間帯もあり、吹き出し口や作業する方が通る通用口や階段も見えます。
1963年(昭和38年)、6年11か月の歳月を経て完成した黒部ダム。
地下200mに巨大な空洞を掘った完全地下式発電所は、当時、世界でも例を見ないものだったそうです。
ダムと発電所を結ぶ「黒部トンネル」の建設時にも行く手を阻む「高熱隧道」があり、165度の温泉が噴き出し、岩盤の温度は70度という中で水をかけながら作業をしていたというから驚き!
そして忘れてはならないのは、黒部ダム建設時に多くの犠牲があったこと。
171名の殉職者が出たそうで、ダムを見守る場所に慰霊碑があり、手を合わせて来ました。
また、「黒四建設記念碑」には、当時活躍したダンプやショベルカーなどのタイヤ痕をコンクリートで型取りした記念碑も残されていました。
⭐ダムカレー食べよ♪
ダムを見ながらお食事が出来るレストハウスへ!
ここにも破砕帯のお水が飲めます。
心して飲みましょう!
食べたのはもちろん、名物の黒部ダムカレー!
完成から61年経ってもびくともしない強靭なダムを見ながら、ダムカレーは決壊させて「いただきま~す!」。
ショップにはダムカレーのライス型、ダムカレー皿も売ってましたよ。
これがあればお家でもダムカレーが食べれますね。
ユニーク!
⭐石原プロダクションの初映画「黒部の太陽」
新展望広場の特設会場では、映画「黒部の太陽」の制作秘話や、建設プロセスが分かるパネルが展示されていました。
「黒部の太陽」は、石原プロダクションの初映画だったそうです。
主演は石原裕次郎さんと三船敏郎さん。
この二人が共演すること自体、画期的なことだったそうです。
実は当時、映画界において、東宝、松竹、大映、新東宝、東映、という五社協定(後に日活が加わり六社協定に)が存在し、それぞれの俳優、監督の貸し出し、引き抜きなどを禁じる壁があり、共演は不可能。
日活から独立し自身の制作プロダクション「石原プロ」を設立した石原裕次郎氏と、東宝から独立し「三船プロ」を設立した三船敏郎氏が、その壁を越え、共作で映画化したのが「黒部の太陽」。
岩盤から水が噴き出すシーンの撮影時、事故が起こりました。
なんと、装置が故障し、想定以上の水が放出!
石原裕次郎さんは放水に流され、手の指を骨折されたとか。
命がけの撮影で、迫力ある映像となったそうです。
昔、本も読んだし、映画も観たことあるけど、また観たいな~。
サブスクでは見当たらなかったけど、また見付けたら見てみましょう。
戦後、復興する日本、関西の深刻な電力不足を救った黒部ダム。
その時代背景や困難を極めた工事のことなどを知った上で見たアーチ式の美しいダムは、本当に絶景で感動しました!
立山ケーブルカー、高原バス、立山トンネルトロリーバス、立山ロープウェイ、黒部ケーブルカーと乗り継いで行く立山黒部アルペンルートもまた行ってみたいですね。
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