アメリカに5年留学して内面的に変わったこと3選
こんにちは最近納豆ご飯にハマってるmiyuuです
私は日本で中学を卒業した後、今まで5年間アメリカに留学をしていて、現在もニューヨークの美術大学に通う大学一年生です。
留学と聞くと”語学力向上”や、”いろんな国の文化や、人と触れ合う機会が増える”などのイメージがありますよね。それ以外にも内面的に得られるものは沢山あります。
今回、私がアメリカに5年間留学して内面的に変わったこと3つを紹介していきたいと思います。
①セルフエスティームが高まった
セルフエスティーム(self-esteem)という言葉に聞き覚えがない人もいると思います。
つまり、ありのままの自分を受け入れる気持ち(自己肯定感)のことです。アメリカに留学して1番変わったことは自分に自信を持つことができたことです。つまりHigh Self-esteemになりました。
自分のありのままの外見と性格を受け入れられるようになりました。
自分の外見を受け入れられるようになった
私はアメリカに留学する前、自分の外見にコンプレックスがありました。中学では常にスカートを膝下まで長くし、靴下も膝小僧まで長いものを履き、シャツのボタンを第一までしっかり閉め、前髪を目の下まで伸ばし、夏でも常にマスクをして、顔と体の殆どを隠していました。私が唯一学校生活でマスクを外すのは、給食の時間でした。
日本では多くの人が、「目を大きくしたい」「スラっとした体型になりたい」など自身の見た目にコンプレックスを抱いていると思います。なぜなら、日本では外見について平気で口を挟む人が多いですし、バラエティ番組内でタレントが他の人の容姿について揶揄ったり、言及するのも日常茶飯事だからです。
私も日本にいた頃は外見について心のない酷い言葉を言われ、1日中泣いていた日もありました。5分に一度鏡をチェックしたり、手鏡を割ったり、人と話す時に目を合わせられなくずっと下を向く、顔を見られたくないので宅配便で荷物を受け取ることもできず、日常生活を送る上でかなり支障をきたしました。
でも留学をしてから必要以上に自分の外見を気にしなくなりました。
まずアメリカではマスク文化がなく、マスクをしていると重病患者と間違われ白い目でみられるので、マスクを外さなければいけない環境でした。最初は本当にマスクとお別れするのは辛かったですが、1週間程度で慣れました。
アメリカは移民(Immigrant)が多いので、人種も肌の色も髪の毛の色も体型も様々な人がいます。そして、容姿について「あなたの肌は白い」「太っているよね」「顔が小さいよね」と言及する事は『Body-Shaming』といい、人の外見を批判したり、あざ笑ったりして、はずかしめることはタブーとされています。なので、アメリカに来てから自身の外見について酷い言葉を投げかける人は、誰もいませんでした。また美の基準も様々なので、日本で理想とされる肌の白さ目の大きさ顔の小ささなど気にしなくてもすみました。
またアメリカ人はすごい褒めてきます。例えば学校の廊下で、急に知らない女の子に「I like your shoes (あなたの靴が好き)」と言われたり、街中で散歩していたら知らないおばさんに「You are so pretty (あなたとってもキュートね)」とすれ違いざまに笑顔で言われたりしました。初めの頃は褒められても慣れてなく困惑してましたし、「そんなことないです」と否定し謙遜した態度をとっていました。
しかし、ある日留学先の先生にも褒められた時、謙遜した態度を取ったら怒られました。
と言われました。確かに、相手が素敵だと思ったことに対して「そんなことはない」と決めつけるのは相手の価値観を否定する行為になります。
私は自分に自信がなく醜いと信じていたので、最初は相手に褒められたとき直ぐに「ありがとう」って返すのは本当に難しかったのです。しかし、一旦褒め言葉を「ありがとう」と受け止めるようになってから、徐々に「自分はいまのままでありのままでもいいんだ」って思えるようになりました。これはきっと相手の褒め言葉を素直に受け止めることによって、別の価値観を取り入れ、心の中で自分を醜い、価値のない人間だと決めつけなくなったからだと思います。
特別美人ではなくても、ちょっと太っていても、それでも私にしかない魅力があるはずだとポジティブに考えられるようになりました。
内面的に自信が持てるようになりました。
日本だと「全員が同じである」という教育を受けて育ってきた人が多いはずです。
人と違うことをすると、「なんでそんなことするの?」という反応をされますし、また失敗すると責められたりもします。私は昔から「変わり者」と言われることが多く、それが理由でいじめとまではいきませんが、小学校時代、休み時間遊んでいるときに「変人変人」とからかわれたり、「どうして普通に振る舞えないの?」と言われたりして「私はどうして周りと違うんだろう」と少し悩んでた日々がありました。
しかしアメリカでは個人の自由が尊重されるので良い意味で他人に干渉しません。自分とは全く関係のない人、自分には害がないのならば、その人に対して特に批評しないです。もちろん自分の迷惑になることを他人がした場合は躊躇無く注意します。なので私が変わっていても、他者に迷惑をかけてない限り批評したり嘲笑う人はいなくて過ごしやすかったです。
また良い意味でアメリカは「失敗に寛大な国」です。
日本人は他人の失敗に異様に厳しいと思いませんか?
なにかをする際に「完璧にこなさなきゃ」「失敗してはいけない」とPerfection(完璧)であることを求められますよね。
でもアメリカでは違います。
留学先の理科の授業で、私が原因で実験が失敗したとき、グループメンバーは「ここがうまくいかなかったのかも」とか「次は成功させようね」と、誰1人私を責めることはありませんでした。なぜなら彼ら彼女らには「失敗は誰でもしても当たり前みんな完璧ではない」という考えがあり、失敗に関して前向きに考えている場合が多いのです
アメリカに来てから、もちろん誰にでも苦手な事はあるけど、それを全否定せず自分には自分にしかない価値があるし色々な失敗を経験して成長していこうという考えを持てるようになりました。
②自分の意見を持てるようになった
日本では本音と建前という文化もあるせいか、自己主張をすることは自分中心的な行動であって、他人に合わせることが気遣いであるという価値観があり、私たちは自分の本当の感情や考えを押し殺しがちですよね。
留学前の私は人に意見を合わせるところがあり「なにをたべたい?」と友達と遊びに行った際に聞かれても「なんでもよいよ」と相手側に自分の意思を託していましたし、社会や周りにカメレオンのように同化することを考えていたので自分の意見を表に出すこと滅多になんてなかったのです。
アメリカの高校では授業に積極的に参加しているかというparticipationが成績に影響します。そして物事に対してのディスカッションやディベート、プレゼンテーションも頻繁に行われます。
留学初期、英語の授業中、ある物事についてディスカッションが行われました。先生に意見を求められた時、周りのクラスメイトとの意見とほぼ同じなので「〇〇さんと同じ意見です」と答えたら、「全く同じ意見なんてないのよ、彼女の意見の何に対して賛同しているの?せめてparaphrase(言い換えて)して答えなさい」とこっ酷く怒られました。
またこうしたディスカッションの授業は、事前予告なしに「これからこのテーマで討論するわよ!」など突発的に行われるので、常に自分の意見を持っていることが求められます。
なので、私はその場面にでくわすと、「頼むから当てないでくれ!!!」って机に顔を俯いていましたが、周りの同級生は我ぞ我ぞと争うように手を挙げてしっかり意見を述べます。
その意見が論点からずれていても先生は決して全否定せず、相手の意見を尊重しながら論点に戻します。
アメリカでは相手の意見を尊重しながら、自分の意見についても正直に話すことがほとんどなので周りの非難の目を気にせずに発言できます。こんな場面に立ち向かい私は初めて自分の意見を持ち、発信する大切さを学びました。
アメリカでは独立記念日(Indepedence Day)という1776年、アメリカ合衆国が独立戦争を経てイギリスから独立を果たしたことを記念する日があり、毎年7月4日に祝います。私も実際高校二年生の時、インディペンデンスデーに花火を見に行きました。そしてアメリカ独立宣言(the decoration of independence) というイギリスによって統治されていた13の植民地が、独立したことを宣言する文書があるのですが、そこには
と書かれています。つまりアメリカでは平等、自由、幸福の追求といった、個人の尊厳が大事とされています。余談ですが、実際はall menとはアメリカにいるすべての人々ではなく白人入植者、主に男性のことで、当時そこには、アメリカの先住民であるNative Americanと奴隷としてアフリカから連れてこられていた黒人の人権は認められておりませんでした。こんな歴史があってからかアメリカではindividuality(個性)を重んじ、権利や主張などをしっかり語る人が多いです。
③自分の本当にしたいことを見つけられた
現在、私はニューヨークにある美術大学に通っていますが、私は高校3年生になるまで、自分が本当に将来したいことや、進学したい大学さえ見つけられませんでした。
私が高校留学で選んだ地は、アメリカのマサチューセッツ州で、近くにはハーバード大学やマサチューセッツ工科大学などがあり、とても教養が高い人が多い地域でした。なので、私の学校ではアジア人留学生がAP programといって大学の一般教養に相当する上級レベルの科目を9年生、つまり中3の時にとる生徒が何人もいたり、AO科目じゃないクラスでもHonorといった普通のレギュラークラスより上のクラスに振り分けられていたり、SATというアメリカの大学に出願する高校生のための、学力テストで高スコアを取るためにSAT専門のクラスを放課後に取ったりしてて、このように他のアジア人留学生に優秀な人が多かったのです。
「私も他のアジア人留学生みたいに勉強ができないといけない!」と思い込み。頑張ってHonorクラスに入ったり、AP科目も受講しましたが、母国語ではない言語で新しいことを学ぶのは大変ですし、「周りの人はすらすらと問題が解けるのに、私は解けないんだ?」と劣等感に押しつぶさ、ストレスが蓄積し、一時期体調を崩していました。
そんな時スクールカウンセラーに相談をしたら「人間には向き不向きがある、貴方には芸術という素晴らしい才能があるじゃないそっちの道を進むべきよ」と言われました。私は彼女の言葉に救われました。
私が勉強が苦手ですが、彼女は私の得意な事を見出してくれ、それを認めてくれました。私は確かによい大学に入らなきゃと特に明確な夢や目標がないのに勉強をしていていました。しかし優秀だったアジア人留学生達はただ勉強をしていただけではなく、医者になりたい弁護士になりたいと明確な目標があってその将来への道へつながる大学へ入るために必死に必要な勉強をしていたんだと気付かされます。
ただただ周りに合わせていて目標もなく勉強して、とりあえずよい大学に入れれば良いやと思っていた自分が恥ずかしくなりました。
日本ではどこの大学を出たかを重視されますよね。アメリカでは学位のレベルと、成績、どの学問を専攻したかが重視されます。
私が本当にしたいことは芸術で、今までその為に努力してきたかと考えると全く別の努力をしていました。
そこで高校3年からは芸術の授業を増やし美術大学受験にはあまり関係ない授業のレベルは全てレギュラーに落とし無理なく良い成績を収められるようにして、
AP科目も減らして美術大学で1番重視されるportfolio の作成について全力をそそぎ、州の絵のコンクールに作品を提出してみたりと自分の夢のために努力をしました。明確な目標があって努力するのは全く苦ではなく活力になりました。そしてその努力は叶い、コンクールでは5つ賞を取り、ニューヨークにある美術大学にいくつか受かりました。
最後に
以上、私が今までの留学生活を通して変わったことです。
留学では語学や他の文化を知る以外に、自分自身について改めて考えさせられます。日本にいた頃は「周りと合わせないといけない」「完璧でなければならない」と常にプレッシャーがありましたが、アメリカに来てからは「個人とはなんだ?」「自分にしかない魅力とは何か?」と常に自分自身に問い続けました。人それぞれ合う環境が違うので、一概に「アメリカ留学は絶対すべき」とは言えませんが、私の場合は、このまま日本の高校に通っていたら今の自分はいなかったとおもいますし美術大学にも進んでいなかったと思います。。。
この記事が留学に迷っている人にとって、私個人の意見として役立つことを願っています。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。