文字を持たなかった昭和 二百六十四(手前味噌、前編)
昭和中期の鹿児島の農村、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)を中心に、もの言わぬ庶民の暮らしぶりとしてわが家や集落の様子を書いている。どう書き進めようか迷いもあるが、とりあえず思いついたことを書き残していくことにする。noteを始めるに当たって毎日書いていくことを目標にした。noteのサイト上では2回中断したものの、基本的には書き続けており、これを継続しようと思う。
冬の暮らしについてはいくつか書いたが(「ニンジンの収穫」、
「高菜の収穫」、「高菜漬け」など)、忘れてならないのは味噌の仕込みだろう。
いま、味噌は買ってくるのが当たり前だ。ミヨ子も子供(わたし)たちが大きくなり家族が減ったあたりから味噌を仕込むことはなくなり、地元の味噌醤油メーカーのブランド「サクラカネヨ」の味噌を買うようになった。
だが、戦後経済と流通が「発達」し、農家の主婦もパート勤めに出るようになるまでの長い長い間、日本全体のほとんどの農村の家庭では、味噌は手作りするものだったはずだ。まさに「手前味噌」である。
おぼろな記憶を基に、味噌作りに関するWEBサイトも参考にしながら、ミヨ子たちの手前味噌について記しておきたい。
まず、ミヨ子たちの地域の農家が作る味噌は、種類としては麦味噌だった。いまでも鹿児島を含む九州の多くの地域では麦味噌が主流だ。色は白っぽく、独特の甘みがある。
味噌の基本的な材料は、丸麦、大豆、塩と至ってシンプル。麹をつけた丸麦:大豆:塩の割合は、5:2:1といったところか。作り方の大体の流れは以下の通りだ。
(1日目)
①麹(丸麦に麹をつけたもの)をパラパラになるまでよくほぐし、塩を入れまんべんなく混ぜ合わせる。
②大豆を一晩、水に漬ける。
(2日目)
③水に漬けておいた大豆をザルに上げ水を切る。
④大豆を4~5時間、 指先で簡単に潰れるくらいまで煮る。
⑤煮上がった大豆をザルに上げ水を切る。
⑥大豆を潰す。
⑦潰した大豆の中に①の麦こうじを入れ良く混ぜ合わせる。
⑧混ぜ合わせたものを団子状にして隙間なく仕込容器に入れる。最後に体重を掛けて空気を抜くように押さえ、表面を平らにする。
⑨カビを防ぐため、味噌の表面にラップなどを隙間なく覆う。その上に中蓋をし、重し載せ蓋をする。蓋がない場合紙(新聞紙等)をかぶせ、ひもで縛る。
⑩出来上がった味噌は風通しの良い所に保管する。
⑪味噌は3ヶ月ほどで食べられるが、多少前後して好みの味で食べ始めてよい。
以上の材料の割合と作り方は「鈴木こうじ店」のサイトを参考にしたもので、ミヨ子のレシピではない。作り方も、(1日目)の「麹」以前の作業が書かれていない。
ミヨ子たちが行っていた作業については、次回以降で詳述したい。