ヤングケアラーのその後②|生きづらさ・トラウマとの戦い【社会人編】
はじめましての方も、ご覧頂きありがとうございます。
私は現在24歳で、5歳~17歳頃まで精神疾患の母(うつ病・統合失調症・境界性パーソナリティー障害)のケアを経験した元ヤングケアラーです。
今回は表題の通り、新卒1年目に適応障害・うつ病と診断され、最終的に休職してしまった経験について書こうと思います。
(※医療機関により診断名が異なっていたため、どちらも書いてます)
「ケア終了後の苦悩」としてこれを書いていますが、こうなった原因はヤングケアラーの経験だけでなく、もちろん自分の元々の性格気質もあると思っています。
ここからは、両者の影響をふまえながら、自分なりに考察して書いていこうと思います。
温かい目でご覧いただけると幸いです。
■当時の性格・考えについて
◎人信じるとは?…人に頼る発想がなかった
過去の経験から(前回記事参照)私は、極度の人間不信に陥っていました。
「人に頼る」「助けてもらう」という発想自体がなく、どんなに大変でも自分1人で何とかしようとしていました。
他の人に「大丈夫?手伝おうか?」と言われても、「大丈夫」と拒否してしまう癖がついていました。
それほど、他人を信用していませんでした。
◎自分を認めてもらいたい…承認欲求の塊だった
当時の私は、「えらい」「すごいね」「さすがだね」と人に認めてもらうことに執着して、それをなぜか生きがいにしていました。
子どもみたいですよね( ̄▽ ̄;)
きっと、人から認めてもらうことで、自分の存在価値を確認していたのではないかと思います。
これには、自分の幼少期の経験が影響しているのかなぁと勝手に考えています。
私は幼少期から精神疾患の母のケアをしてきました。
そんな私を見て周囲の大人は
「勉強も家のこともできて、えらいね」
「しっかりしてるね」
「お姉ちゃんなんだから、家族を守ってあげてね」
と励まし言っての言葉を言ってくれました。
そういった経験が積み重なった結果、「何でもできるしっかり者でなければいけない」「そうでなければ、人に認めてもらえない」と無意識的に思うようになったのかな・・と考えています。
◎認めてもらうために…重度の完璧主義者だった
私は人に認めてもらうため、常に何でもできる完璧な人間を目指していました。
「何が何でも完璧な存在にならなければいけない」という強迫観念に近いような考えに支配されていました。
学生の頃は「勉強も、バイトも、家の事も全部やってみせる」
社会人の頃は「勉強も、仕事も、人間関係も全部成功させてやる」という思いを強くもっていました。
それも全て、「認めてもらいたい」という思いが全てでした。
こういった当時の性格や考えが、仕事や、職場の人間関係に与えていた影響はものすごく大きかったと思います。
■適応障害・うつ病になるまでの経緯
1|偏った思考で空回り【4月】
大学卒業後、私は理学療法士として病院で働き始めました。
人に認めてほしくて、「理学療法士としても、社会人としても早く1人前になりたい」という完璧主義思考が強かった私は、初っ端からエンジン全開で仕事に取り組んでいました。
早く仕事を覚えようと、仕事の順序を記したメモをわざわざノートに整理したり、仕事をしやすくするための資料を作ったり…。
また、理学療法士としての知識と技術を磨いていくため、毎日欠かさず勉強していました。
そのため、常に神経を張っているような状態で、どこにいても仕事のことが頭から離れないような生活でした。
とにかく「●●しなきゃいけない」と思いが常にありました。
自ら望んでその生活をしていたのですが、知らず知らずのうちにストレスがどんどん蓄積していったように思います。
また、そのがんばりが仕事に反映されればよかったのですが、やることなすことが全て裏目にでているような状態で、完全に空回りしていました。
先輩や上司からの指摘が増え、「自分なりにがんばっているつもりなのに、なんでうまくいかないんだろう…」と気分が落ち込む日が増えていきました。
また、私はミスを連発している自分に焦っていました。
「今のままではみんなに認めてもらえない」「早く挽回しないと私は終わる」という偏った極端な思考がどんどん自分を追い詰めていきました。
2|一人暮らし【8月】
気分が落ち込み続ける中、私は、当時父と二人で暮らしていた実家を出て、一人暮らしする決断をしました。1人暮らしは学生時代からの夢でしたし、とにかく早く実家を出たいという思いがありました。
なぜなら、実家にいると昔、母が暴れたり、自殺未遂を繰り返していたショッキングな映像がトラウマのように思い出され、辛く感じることがあったからです。引っ越し資金がたまったタイミングで、私は早急に家を出て、念願だった一人暮らしを満喫していくはずだったのですが‥‥‥
一人暮らしを始めた私は、いきなり心にぽっかり穴があいたような状態になってしまいました。
大きな喪失感でした。
それは、実家に戻りたい、寂しいというホームシックのような喪失感ではありませんでした。
「もう家族のためにがんばらなくていいんだ」という喪失感でした。
燃え尽き症候群のような状態でした。
実家を出て完全に一人の生活になったことで、「誰かにために何かしなくていい」という現実を初めて自覚したんだと思います。
こうした気持ちもまた、私の気分の落ち込みを加速させました。
そして、次第に私は喪失感だけでなく、とてつもない焦燥感や不安感に襲われるようになり、何もしてないのに自然と涙がこぼれるような状態に陥っていきました。
3|身体に影響が出始めた【9月】
「一人暮らし」という環境の変化が追い打ちをかけたのか、精神面の辛さがより一層ひどくなり、やがて身体面にも影響が出るようになりました。
●精神面では
・虚無感(心にぽっかり穴があいたような気持ち)
・焦燥感(なんともいえない寂しい気持ち)
・自責感(何もかも自分のせいだと考える)
・何をするにも意欲がわかない
・気力がなくなる
・憂鬱な気分が1日中続く(特に朝)
●身体面では
・頭に霧がかかったようになり、深く考えることができない
・ボーっとすることが増えて、集中が続かない
・眩暈
・過眠(丸1日寝てしまうことも)
・食欲不振
・頭痛
・表情が乏しくなる(なっていたらしいです※知り合い談)
・気道が細くなるような感覚。息がしづらいと感じる
当然、仕事や日常生活にも多大な影響がありました。
●仕事への影響
・気が付いたらボーっとしていて仕事が手につかない
・人の話を聞いているはずなのに頭に入ってこない
・患者さんに笑顔で接するのが辛い
・同期、先輩、上司と話しているのが辛い(気力がない)
・倦怠感で早退
・ケアレスミスが大幅に増える
・何事もすぐに忘れてしまう
・どこに物を置いたのかわからなくなる
・自分が何を目的にその行動していたのかわからなくなる
・1つ1つの行動が遅くなる
●日常生活への影響
・とにかく体がしんどい
・食事・お風呂・歯磨き等、日常生活に必須なセルフケアができない
(面倒だから「しない」ではなく、気力がなくて「できない」という感じ)
・眩暈・ふらふらな状態で買い物へ
今までの人生の中で、辛い状況に直面して気分が落ち込むことはあっても、これほどまでに身体、そして生活に影響がでたことはなかったので、自分でもびっくりしていました。
「落ち込んでばかりいられない、こうなったのは自分のせいだ。しっかりしなくちゃ。状況を変えなければ」と、現状を何とか好転させようと、仕事中のメモを増やしたり、手にふせんを貼って次の仕事を忘れないようにしたり、トイレで深呼吸したり、自分なりに人に相談するように努力しました。
しかし、状況は悪い方向に向かうばかりで、身体も心も、疲れ果てていき、私はついに心療内科へ向かいました。
4|心療内科を受診【10月】
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「適応障害と・・あとうつ病傾向もありますね。」
「明日から薬を飲んでください」
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診断を受けた時の心境としては、ひとまずほっと安心した気持ちでした。
しかしその一方で、負の感情もありました。
それは「母と同じ精神疾患になってしまった」というショックと
「母と同じようになってしまうのではないか」という恐怖です。
それほどまでに母がトラウマになっていました。
診断後、精神薬を処方されましたが、「母が飲んでいた」というイメージが強く、しばらく手をつけることができませんでした。