桜井みよ@精神疾患の母をもつ子どもでした

■近畿に住む26歳|■精神疾患の親をもつ子どもの会・こどもぴあ大阪運営メンバー|■母が…

桜井みよ@精神疾患の母をもつ子どもでした

■近畿に住む26歳|■精神疾患の親をもつ子どもの会・こどもぴあ大阪運営メンバー|■母がうつ病・統合失調症・境界性パーソナリティ障害でした|■高校2年生の時に母と絶縁・両親離婚|生きることに悩みながら生きてます|X @miyo_yade 主催ピア @hitorino_____

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精神疾患の母との12年|#0 自己紹介

■自己紹介はじめまして 桜井みよ、と申します。 現在26歳です。理学療法士として働いています。 休職や転職を経ながら、何とか社会人4年目を迎えました。 私は子ども時代(幼稚園年中~高校2年生頃)、うつ病・統合失調症・境界性パーソナリティー障害を患う母と暮らしていた経験があります。 大人になった今は、精神疾患の親をもつ子どもの会「こどもぴあ」の運営に関わらせて頂いたり、過去の経験をこうしてnoteに綴ったり、講演会等に出させて頂きながら、「ヤングケアラー」や「家族ケア」に

    • 母親に対する「住民票閲覧制限の更新手続き」をしてきました

      私が「住民基本台帳事務におけるDV等支援措置」を受けてから早1年が経ちました。 時の流れは早いです…。 1年前の経緯はこちら▼ 私は母親と祖父母に対して住民票の閲覧制限をかけています。 子供時代にパーソナリティ障害の母親から、精神的(身体的)虐待を受けていたからです。 永久に閲覧制限をかけられたらいいのですが、この支援措置には1年の期限があります。 支援を受け続けるためには、毎年、更新手続きをしなければなりません。 更新日がくるのが嫌で嫌でたまりませんでしたが、つい先

      • 私が自分の人生を取り戻した道のり

        ■はじめに久しぶりの更新になりました。 さくらいです。 私は5歳~17歳頃まで、精神疾患の母親と暮らしていた経験があります。 私とっては、地獄のような日々で今でもトラウマを抱えています。 今回は、そんな私が、自分の人生を取り戻していった道のりについて書いていこうと思います。 ※精神疾患をもつ親の方を非難・差別する意図は全くありません。 一個人の体験としてご覧いただければ幸いです。 ■最初のきっかけは精神疾患 私が人生を取り戻していったきっかけは、23歳の時、自分自

        • 絶縁し所在不明の母親に対して住民票の閲覧制限をかけてきました

          ■住民基本台帳事務における支援措置この制度は、児童虐待やDV、ストーカー行為を受けた人が、加害者に自分の住所を探索されないようにするために住民票や戸籍の閲覧を制限する制度です。 なかなか情報が少ない、支援措置の手続き。 今回は、私が支援措置を受けた際の一連の流れについて、書いてみようと思います。 (2023年9月から手続きをはじめ、10月に受理されました) ■支援措置をうけるまで1.入籍を機に支援措置を受けることを決意 私は子供時代に母親から精神的虐待を受けていました。

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        精神疾患の母との12年|#0 自己紹介

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        • 精神疾患の母との12年(5-17歳)
          7本

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          ヤングケアラーのその後③|生きづらさ・トラウマとの戦い【社会人編】

          ■休職するまでの経緯1|診断後も働き続けた【11月】 人を頼るという概念がなかった私は、自分がしんどいことも、病院にいったことも、診断を受けたことも一切に人に話すことはありませんでした。 上司にも、先輩にも、同期にも、友人にも。もちろん父にもです。特に父には心配をかけると思い、絶対に言わないと決意していました。 自分一人で「まだいける。大丈夫だ」と身体のSOSを無視して、診断が出た後も私は働き続けました。当然、症状はますますひどくなっていきました。 特に朝のしんどさは

          ヤングケアラーのその後③|生きづらさ・トラウマとの戦い【社会人編】

          母は精神疾患でした【詳細版】⑥|母と縁を切った高校生時代

          ■高校生時代②前回(高校生時代①)の続きです。 最初は話し合いで離婚調整をしようといていましたが、母の逆上で破談となり、調停の方針になりました。 この頃になると、母は別居先だった実家を出て、一人暮らしを始めていました。 しかし日中に、父・私・妹が住む家に合鍵で勝手に入ってきては、父以外(私・妹・自分)の分だけ夕食を作り、父が帰ってきても、父に人格を否定するような内容の置手紙を残していったり、父の存在だけ徹底的に無視するという嫌がらせを休日以外、毎日している状況でした。

          母は精神疾患でした【詳細版】⑥|母と縁を切った高校生時代

          母は精神疾患でした【詳細版】➃|母を心から憎んだ中学生時代

          ■母への憎悪が限界突破した出来事過激なタイトルで申し訳ありません。 以下、閲覧注意です。 その日は、母の様子がいつもに増しておかしい日でした。 家の中を歩き回っているなーと思いきや、リビングに立ち尽くして無言で一点を見つめていたり、何かごそごそ怪しい動きをしていたり・・ とにかく行動がおかしかったのです。 私は母の様子を観察しました。 なにやら、キッチンにある棚のあたりをしきりに気にしていました。 私は、母が棚から離れた隙に、その棚の中を確認しました。 中には、精神薬

          母は精神疾患でした【詳細版】➃|母を心から憎んだ中学生時代

          母は精神疾患でした【詳細版】③|暴走する母と暮らした中学生時代

          ■中学生時代について私が中学時代はの母は、病気の症状では説明がつかないほど、めちゃくちゃな状態でした。 というのも、私が小学校の頃の母は、苦しみながらも、病気と向き合い必死に治そうと自分でも努力していたのですが、私が中学生になると、自分に都合の悪いことがおきると、「だって私病気だから」と自ら病気のせいにしたり、相手の嫌がることをしてまで、何が何でも自分の要求を突き通そうとするようになったのです。 特に、お金に関しての執着は強く、入院中にも関わらず、私達の目を盗んでは散財を

          母は精神疾患でした【詳細版】③|暴走する母と暮らした中学生時代

          ヤングケアラーのその後➃|休職中、初めて出会った「ヤングケアラー」ではない「本当の自分」

          ■人生で初めての「何もしない時間」休職期間中は、主治医に「今は何もしなくていいです。もうひたすら休んでください。休むことが仕事です」と言われていました。 そう言われると、学生時代からいつも何かに追われてゆっくり休んだことがなかったかもしれない‥と思い、職場の方々への罪悪感もありましたが、思いきって自分の好きなことをして過ごすことにしました。 ただ、当時の私は、体力・気力共に0に近く、正常な日常生活を取り戻さなければならない段階だったので、まず3食食べることや決まった時間

          ヤングケアラーのその後➃|休職中、初めて出会った「ヤングケアラー」ではない「本当の自分」

          ヤングケアラーのその後②|生きづらさ・トラウマとの戦い【社会人編】

          はじめましての方も、ご覧頂きありがとうございます。 私は現在24歳で、5歳~17歳頃まで精神疾患の母(うつ病・統合失調症・境界性パーソナリティー障害)のケアを経験した元ヤングケアラーです。 今回は表題の通り、新卒1年目に適応障害・うつ病と診断され、最終的に休職してしまった経験について書こうと思います。 (※医療機関により診断名が異なっていたため、どちらも書いてます) 「ケア終了後の苦悩」としてこれを書いていますが、こうなった原因はヤングケアラーの経験だけでなく、もちろん

          ヤングケアラーのその後②|生きづらさ・トラウマとの戦い【社会人編】

          ヤングケアラーのその後①|生きづらさ・トラウマとの戦い【大学時代】

          ■母のケアが終了してから5歳の頃から始まった母(精神疾患)のケア生活は、両親の離婚と私と母の絶縁により終わりを迎えました。 私が高校生、17歳の時でした。 「もう終わったんだ」「やっとあの母親から解放された」と一区切りついたような気持ちはあまりなく、ケア終了後も日々が淡々と過ぎていったような気がします。 今振り返れば、ケア終了後も食事、洗濯等の家事をする私の役割は変わっておらず、「ケアが終わった」と日常の中で実感することがなかったからかもしれません。 そんな日々を過ごすう

          ヤングケアラーのその後①|生きづらさ・トラウマとの戦い【大学時代】

          母は精神疾患でした【詳細版】⑤|母からの攻撃 高校生時代

          ■高校生時代母は「病気のせい」という言葉では片づけられないほど、中学時代よりもっとひどい状態に陥っていきました。 今振り返ると、私が高校生だった頃の母は、境界性パーソナリティー障害の要素が強かったのではないかと思います(当時はパーソナリティ障害かもわかりませんでした。今となっては推測にすぎません) そう考える理由は、以下の境界性パーソナリティー障害の診断基準にピッタリと当時の母が当てはまるからです。 当時の母も、物事の捉え方や考え方が極端で(0か100のような感じでした)

          母は精神疾患でした【詳細版】⑤|母からの攻撃 高校生時代

          母は精神疾患でした【詳細版】②|症状の経過に一喜一憂した小学校高学年時代

          ■小学校高学年~中学生時代について幼稚園の頃から入院していた母親は、私が高学年にあがっても症状が安定することはなく、精神病棟への入退院を繰り返していました。 記憶に蓋をしているのか、ぼやっとしてしている部分もありますが、小学校高学年の出来事について書いてみようと思います。 ■休日は見舞いが習慣に私が小学校高学年にあがる頃、母は、精神病棟に入院していることがほとんどでした。 そのため母親が家にいた記憶はあまりありません。 土日になると、車で片道50分かけて母親の見舞いに行

          母は精神疾患でした【詳細版】②|症状の経過に一喜一憂した小学校高学年時代

          母は精神疾患でした【詳細版】①|母の異変を感じた幼稚園~小学校低学年時代

          ■はじめに​お読みください■幼稚園~小学校低学年時代について 私の出生前から精神疾患を患っていた母。 私が生まれてからも、軽いうつ症状のようなものは出ていたようです。 しかし、私は幼かったためか、そのことに全く気がつきませんでした。 そんな母の症状が悪化したのが私が5歳の時でした。 この時初めて、私は母の症状を目の当たりにしました。 母が病気なんだとわかった時の悲しさ、優しかった母親が全く別人の様に変わってしまったというショック、寂しさ、辛さ‥‥。 いろんなマイナスの感

          母は精神疾患でした【詳細版】①|母の異変を感じた幼稚園~小学校低学年時代