9.エンドロール、リ・スタート:「好きなページはありますか。」ショートストーリー集
待ちに待った日、わたしの日。
待望で不安な、わたしの日。
「あの『変身記』映画化作品が、米上映後まもなく2002年2月に映画化!」
そんな地下鉄の中吊り広告を見たとき、ちょっと心がざわついた。わたしの手にあった文庫本の中だけの幸せが、大勢の知らない人の手でまさぐられるような気がしたのだ。
わたしだけの本は、本当はみんなのものだった。
そりゃそうか。1968年に邦訳が発売されてから、日本でもずっと大人気な『変身記』。自分で買った文庫版が出たのはわたしが高校2年生のときだから、1998年か。
高校2年の冬は、もう4年も前なんだな。
大切な「御守り」を彼女から返してもらったときの、4年前の言葉を思い返す。
「河野が線を引いとったところと、先生が好きなページは同じやったよ。気が合うっちゃね、私たち」
「えっ、さつき先生も線引いてくれたんですか」
「人様からお借りした本に線ば引くはずなかろうが!折り目もつけんようぴしゃーっと読みましたよ、と」
「ホントだ。貸す前より綺麗になったみたい」
「そりゃ、言い過ぎやろ」
ホントだった。彼女に貸したことで、わたしの「御守り」はもっと大切なものになったのだ。そしてもちろん今日も、それは鞄に入っている。
今も彼女は、宮崎の高校で柔道や国語を教えながら「鵺」とか「妖怪」とか呼ばれているのだろうか。強くて怖くて、わたしにだけちょっと優しい彼女が、今日もあの日みたいに笑っているといいな。ほとんど怒ってばかりだろうけれど。
怒ったり笑ったりしているだけじゃなかったな、とわたしは思い返す。
あの日わたしがみた、彼女の微かに悲しい顔。そういえばあの日はいろんな人が不確かに悲しげで、冬の風がいっそう冷たかった。
それでもあの日を思い浮かべる度に心温まる理由は、どうやら彼女抜きに語ることはできないらしい。
あれからわたしは高校3年生になり、受験勉強をして、志望していた福岡の大学へ入学した。父と同じ大学だ。
わたしが中学生になった頃から、優しかった父は急に頑なになった。そして、すごく厳しかった母はあまりがみがみとした物言いをしなくなった。まるで近所の用水路から太平洋に水が流れていったみたいで、拍子抜けするくらい急に心が広くなっていった。
そんなわけで父とはちょっとギクシャクしていたのだけれど、大学に罪はない。わたしは2年前から、九州大学の箱崎キャンパスに通っている。
映画を観るキャナルシティ博多までは、自宅から自転車で15分くらいだ。福岡都市高速の下をくぐり御笠川を超えて国体道路を漕ぎ進めば、櫛田神社の近くにキャナルシティがある。5、6年前にオープンした大型複合施設はいつ行っても若者や家族連れでにぎわっていた。
2月の風が、手袋のない私の手を容赦なくつついてくる。
いつも大学へ通うときは寒さに心折れちゃうわたしも、今日ばかりは初夏の浮雲みたいに元気だ。長年の思い出が映像化される記念日なんだから。
今日は待望で不安な、わたしの日。
懐かしい思い出がたくさん出てきちゃうな、今日は。そう心でつぶやきながら国体道路からの曲がり角を左に折れると、目の前に広がる人々全員がわたしと同じ楽しみをかかえてここに来ているんじゃないかと思えてくる。
待ちに待った日、わたしの日。
待望で不安で、だからこそ待ちきれなかったわたしの日。
駐輪場にたどり着くまでの時間は、これまでの人生の思い出をひと月につき一つずつ思い出してしまうくらいに長かった。
***
前から3列目の一番左。映画を観るとき、この席が一番好きだ。
上映直前の宣伝の光で、わたしは手元のチケットに記されたタイトルを見返す。
『変身記』は、日本の映画版では『メタモルフォーゼ:旅の友たち』という題になっている。「メタモルフォーゼ」は、マイルズ・イェールの原作名'Metamorphoses'(変身)のことだ。
わたしの人生には、変身というほどの変化があっただろうか。何かが劇的に変わる瞬間、ドラマ、物語、奇跡、あるいは革命。そんな瞬間と言えるようなものが、あったかな。
革命なんて、起こるわけがない。
そのことはもうずっと昔に学んだじゃないか、わたし。
劇場が暗くなる。
小さなころから親しんできたわたしの物語。文章からその姿を想像し続けてきた仲間たちが、目の前にやってくる。旅の息吹が実際の音声としてこだまする。
主人公のマズウィーテ達が住むエクフラティ村がスクリーンに映し出された。オーストラリアで撮影されたという景色にわたしは息を呑む。わたしの思うエフクラティ村よりもずっとエフクラティ村らしい景色が広がっていた。
村のオリーブ畑で、この世界の人々が生を受ける時に必ず携えて生まれてくる生き物「ピロ」が遊んでいる。それぞれのパートナーと一緒にいながらも、ピロ同士でじゃれ合っている。ハリモグラとか、プレーリードッグみたいで可愛らしい。
ピロは、主人の成長に伴い変身する。マズウィーテやスィドロら15歳の主人公達が数々の仲間や敵と出会いながら旅を続け、その旅が三年も続こうかという頃にピロ達はスィネルガへと変身するのだ。予告トレーラーで観たスィネルガは、想像どおり狼みたいだった。
お互いの成長に呼応して、変身する。
そんな関係に惹かれつつも、それは物語のなかの美談だとわかっていた。
わたしにピロはいない。この世界に、そんな一心同体のパートナーはいないのだ。
目の前を、人影が駆け抜けた。
その人はいそいそと歩き、階段を一段二段と上がり、わたしの隣にやってきた。ちょっと、こんなに大切な日にわざわざ遅刻して入ってくるような観客が隣に座らなくたっていいじゃない。
もちろん映画は進行していくので、その女の人に文句を言うことなんてできない。元来、わたしは他人に物言いをつけられるような性格ではない。
それにも増して、彼女が隣に座ったときにわたしは不思議だけれど安心したのだ。まるで隣の席に、約束していた友達が遅れてやってきたような気分だった。
誰かと隣りあって映画を観るなんて何年ぶりだろう。
名も知らぬ彼女の体温を雰囲気で感じながら、わたしはその横顔をちょっとだけ見てみたいなと思った。
だけど、ともかく映画に集中しなくてはならなかった。これからエフクラティ村は焼き討ちにあい、長い長い旅が始まるのだから。
旅は続き、仲間は出会い分かれる。ずっとずっと愛して御守りにしてきた物語が、3時間の映像としてかたどられていく。
長かったようにみえた人生が、3時間の作品にまとめられていく。
わたしだけの物語が、誰かの手で勝手に切り貼りされていく。
***
映画は佳境に差し掛かっている。
遠く遠く東の国「ムタジャミンダ」との最終決戦。敵方の黒の魔法使いが味方の白の魔法使いの生気を吸い取った。最良の旅の友が失われていく。
劇場を覆うすすり泣き声の中、わたしも泣いていた。隣の遅刻した彼女も泣いているらしい。
涙を拭う彼女の左手が、魔法の光に照らされて白く浮かび上がった。月明かりに照らされた白百合みたいな手の甲は、映画の一部かと錯覚するほど印象的にわたしの視界を占拠した。
わたしは自分の両手を握り合わせる。
戦いはクライマックスだ、集中しなくては。
そして「ヴラーホスの戦い」の名場面がやってくる。物語の最初では少年だったマズウィーテが、歴戦の騎士たちを鼓舞して反撃の狼煙を上げる場面だ。
邦訳字幕は『変身記』原作よりもいくぶんシンプルで、それだけ力強くなっている。
マズウィーテの昂る声に劇場が振動し、共鳴する。
一体となった観客の視線はスクリーンに一直線だ。
邦訳字幕も、俳優の英語の声も、気勢にあふれていて力がある。圧巻だ。
でもわたしの胸の内にはどうしても、長年親しんできた『変身記』の原作台詞が蘇る。何度も何度も繰り返し声に出してきた台詞が、わたし自身の声が、劇場に響く主役の声に重なっていく。
これは、わたしの物語なんだ。
わたしは誰とも知れぬよう、暗闇にささやく。
映画館で、小さいながらも声を出してしまった自分に驚いた。
そして、隣の席からも同じ声が聞こえたことに更に驚いた。わたしたちの声は、一つの口から出てきたみたいに暗闇の中で密やかな重なりを結んだ。
彼女もまた、原作の『変身記』を生きているのだ。これはわたしの物語でもあり、彼女の物語でもある。
やっぱり、そうなんだ。
わたしはいくつかの確信を胸に「ヴラーホスの戦い」の行く末を見守った。
既に展開がわかっている世紀の決戦を見つめながら、今ならば自分の宿命だって見通せる気がした。
***
エンドロールは、終わりであり始まりだ。
大作を駆け抜けた達成感と充実感、そして少しばかり離れていた現世の予感がないまぜになる。映画の終わりは、劇場の外に拡がる自分の小さな日常の再開だ。
荘厳な音楽につつまれながら、豪華なキャストや制作陣の名が流れていく。
素晴らしい映画だった。心地よい余韻に浸ることができそうだ。さすが、世界中で期待の渦を巻き起こしているヒット間違いなしの大作だ。
現世に出て行く前に、わたしはわたしの確信を二人の確信に変えなくちゃいけない。
映画の終わりは、革命のはじまりだ。
エンドロールが途切れていく。音楽が止み、劇場の共鳴と緊張が解きほぐれる。
照明が、わたしたちに降り注ぐ。
「さっちゃんだ、やっぱり」
「久々に会っといて教師を呼び捨てにするな、ばか」
宮崎にいるはずのさっちゃんが、どうして福岡で映画を観ているんだろう。どうしてわたしの隣に偶然座ったのだろう。「前から3列目の一番左」なんてあまり人が座りたがらない席に。
どうしてわたしたちはまた会えたんだろう。
「北野先生、どうして・・・」
さっちゃんは涙を拭って、コートをまとめる。
「ほら、映画終わったけんいくよ。あと、もう先生やなくなったけん『さっちゃん』でもなんでもよかよ」
「えっ、それってどういう」
「それを今から話すっちゃろ。いこいこ」
そうだった。これはわたしの物語なんだ。
好きなページが同じ二人が、また出会えないわけがない。
「さっちゃん、また会えると思ってました」
「奇遇。私も」
映画館を出たその時が、わたしたちのリ・スタートだ。