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問いは生まれるものではなくて生むように促すもの

「◯◯したい!」と、子どもが自ら学びに向かおうとする気持ちになるものが、問いです。

子どもたちに学ばせることを「学習課題」と言います。掛け算の仕方を考えようとか、スイミーの気持ちを読み取ろうとか、狙ったところに球を投げようといったことが、教師の持つ学習課題とするならば、子どもが持つ問いは、これまでの掛け算の方法と同じようにできないかなとか、暗い海の底を泳いでいるときのスイミーの気持ちは?とか、ストラックアウトで高得点を目指そう!といったものが子どもの問いになると思います。

子どもが学習課題だけで意欲的に学びに向かう事は難しいでしょう。子どもが「やってみたい」と思えるものが授業には必要です。

ただものを見せるだけで、子どもを惹きつけるものもあれば、手を変え品を変えして気づかせるものもあります。いずれにせよ、何も手立てがなく、「さあ、何か気づくことありませんか?」と尋ねたとしても、多くの子どもは動き出せません。

例えば、「あなたが朝学校に来るまでに電信柱を何本見ましたか?」などと聞かれても、意識して見ていないのでわからないと思います。つまり、普段意識していないことに気づかせる作業が必要なのです。無意識を意識できるようにすることこそが、問いの役割とも言えるでしょう。

ですから、問いは自然に生まれるものではなく、子どもが問いを生み出せるように促してあげる必要があります。そういったことの繰り返しで、学校での学びが、日常に生かされていくのだと考えています。

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