Miya
しとしと ぼたぼた さらさら びゅーびゅー しんしん ふわふわ びちゃびちゃ こういうオノマトペを始め、雪の多い地域では「雪」に関する表現が多くあります。雪のない地域には雪を表現する言葉は豊富にはないでしょう。 私が辛くても、ハーブが入っていても、一概にソーセージと呼んでいるものは、ドイツの方にとってはそれぞれ呼び名が違うでしょう。 『翻訳できない世界のことば』という本もありますが、こういったものも日本人には表現することの難しい概念があります。逆も然りで、日本語にも外国
道徳性は「日本昔ばなし」が養っていたのでは? 一定の年齢だと日本昔ばなしはみんなが見ていたテレビ番組といえます。(ほんと?) 読み聞かせでも昔話はよく聞きました。 昔話は先人の教訓が物語で伝えられているものなので、もちろん時代に合わないものもありますが、長く受け継がれてきたものにはそれなりに理由と力が宿っています。 道徳とは簡単に答えの出ない究極のものが存在していて、そういったものを語り合うことで多様な価値観に触れ、いざそういう判断の場に立った時に逃げずにより良い行動を
教科書からアイディアを得て何を教えるか決めるはずが、 教科書によって「せねばならぬ」鎖にがんじがらめになってしまっている小学校教員のなんと多いこと。 「教科書を使って」と法律にもあるから使わないわけにもいかないが、どう使うかは教師に委ねられています。 だから、「教科書○ページ開いて。ここやらなきゃいけないから」となるのはおかしいのですが、ノーマルがそれになってることが多いのです。 算数では公式がありますが、公式を覚えさせようとするから、原理原則が身に付かず、結果理解でき
世間知らずだったり、 小さなコミュニティで自分がルールとばかり威張るようなイメージがありますが、 大海を知ったらどうなるのかアフターストーリーが気になるところです。 自分の考えは狭い考え方で、より多角的に物事を見なくてはならないと前向きに変われるのか、はたまた、居心地の良い(と自分は感じている)場所を守ろうと他の人にも大海を見せないようにするか。 アフターことわざ、考えてみました。 井の中の蛙大海を知らず 大海の魚も井の中を知らず →その場にいる人にしかわからないことが
価値観が違う人って結構いますが、そもそも同じ人っているのでしょうか? 見てきたもの、経験してきたことが違うのだから当たり前です。 だけど、価値観が「同じ」だと感じる人もいるわけです。 それは何かといえば、 「同じもの」を根拠に話をすることができる、ということかもしれません。 学習指導要領すら読んだことがない人と、 教科の見方•考え方や、資質•能力の話をしようと思っても、かみあうわけがありません。 一方は経験則でしか語れず、もう一方は理論で語っているからです。 そう考える
あけましておめでとうございます。 願えば叶う、と信じてまずは願いを書き表す記念すべき1日目にします。 「超少人数教育✖︎教員養成✖︎教員派遣」の学校を創りたいのです。 学校法人になるのか、利益は必要なので会社になるのか。 今は学校法人やフリースクールについて学んでいますが、何かに縛られている感覚が拭いきれないので、ベンチャーが良いのかなと考えています。 1 超少人数 現行の教育では人クラスにいる人数があまりにも多すぎることが課題です。 そして、クラス替えが必要だったり、
子どもの小さな変化に大きな喜びを感じ、小さないざこざに大きな疲れを感じ、小さな仕事に大きな労力を使い、小さな者たちに大きな敬意を払う。素直で謙虚なことが小さな存在を大きくしてくれる。
飾り係っていうといい感じなんだけど、お飾り係っていうと角があってさらにいい感じ。
どんなに楽しくても どんなに辛くても どんなに美しくても 子どもたちは慣れ、飽きていきます。この、脳の働きを、ホメオスタシスと呼ぶそうです。 良くも悪くも普段と違う刺激に対してストレスを感じることに対して、ホルモンの分泌によって緩和する働きをしています。 型が決まっている安心感も学びには大切ですが、同じことを何回も繰り返されることによる慣れや退屈な気持ちもを感じることの方が楽しく学ぶことに対しては悪影響に感じます。 安心して学びつつ、刺激のある学びを。
お勉強は学ぶことをつまらなくし、自ら学ぶことができるようになったら学ぶことはやっぱり楽しかったのです。 子どもたちは少なからず希望をもって小学校に入学しているはずなのに、目の輝きが薄れていき、休みの日を待ち遠しく思い、週の始まりを苦しく感じる。 学校という場が、子どもに寄り添わなくなったわけではなく、子どもに寄り添えなくなってきているのだと思います。 誰も得しないのに、誰もが通らなければならない道であってはいけない。そう思うのです。目の前の子どもたちに笑顔を。
以前私は一人で悩んでいました。悩んでも答えが出ませんし、日々答えを要求されているような感覚なのに多忙で考えをまとてられないでいました。同じ部屋に人はいるものの自己開示が下手なのかうまく相談できませんでした。そんなときに、取ったのが 模造紙にひたすら書き込むブレインストーミング です。それはもう、本当に2時間くらい書き出しました。時間がないと思っていたのに、夢中になって書き込んでいました。性に合っていたのか、それから私は自分のすべきこと、ゴールが見えてとても息がしやすくなっ
「◯◯したい!」と、子どもが自ら学びに向かおうとする気持ちになるものが、問いです。 子どもたちに学ばせることを「学習課題」と言います。掛け算の仕方を考えようとか、スイミーの気持ちを読み取ろうとか、狙ったところに球を投げようといったことが、教師の持つ学習課題とするならば、子どもが持つ問いは、これまでの掛け算の方法と同じようにできないかなとか、暗い海の底を泳いでいるときのスイミーの気持ちは?とか、ストラックアウトで高得点を目指そう!といったものが子どもの問いになると思います。
保健体育で学ぶことの一つで、心と体はつながっているということがあります。 最近ネガティブだなと感じている時は、あまり運動もしていませんでした。やはり、体を動かすことでそのネガティブさも解消されます。昨日は鬼ごっこしたり鉄棒をしたり(まだまだ逆上がりも後方支持回転も軽くできます!)しました。今日は散歩と筋トレです。ちょっとやるだけでも、自分のためになったと思えることで、気持ちも前向きになりました。 困った時は体を動かすに尽きるかもしれません。
「今を生きる」ことが大切。 例えば皿洗いを後回しにすると、どんなにいい風を感じていても、「あぁ、皿を洗わなきゃ。」と頭をよぎることは、今を生きていないってこと。 と、ローラさんがAnother Skyで言ってて、すごく納得です。 楽しみながら現状を見ることができたら素敵ですよね。自分の体を大切にすることで心も大切にできるようにしたいです。
「時間がない!」と言っている人は、仕事ができないと言われがちですが、仕事ができるが故に、仕事が舞い込んできてしまうのが、小学校あるあるです。そんな、時間がない人でもできるのではないかと言う方法をご紹介します。 それは、「Kindleかける自動読み上げ機能」です。 毎日残業続きで家に帰ってからも教材研究をするような形は本を読む時間も取ることが難しいでしょう。でないと体力が持ちませんし、翌日のパフォーマンスも落ちます。新たな知識を入れないと自分が成長せず、現状をより良くするこ
難しいなと感じています。研究授業で求めている子どもの姿は、自分で考え、表現し、友達と学び合い、さらに深め、自分の力にしていくような姿です。 しかし、45分の授業の流れを作ってみると、目当てを立てたり、問いを持たせたりすることで大忙しです。 さらにペアで話し合わせたり、全体で共有したり、発表させたり振り返らせたり、いろいろ書いたりして子どもが落ち着いて自分の学びたいことに向かっていく授業にはならないのです。 あくまで研究授業は、先生の手のひらの上で子どもたちが考えさせられ