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河童の話。(1)
<1>
もう何十年も前のことだ。町から遠くはなれた山奥に小さな村があり、その集落ではほとんどの家が田畑を耕したり、木を切って売ったかせぎで暮らしていた。村の中には小さな小学校があった。子どもはぜんぶで12人しかおらず、先生も校長先生を含めて5人だけ、子どもたちは上級生と下級生の二つのクラスに分かれて勉強していた。
シマ子はおてんばな女の子だった。気が強いだけじゃなく、ガキ大将の男の子と相撲をとっても負けないくらい力も強かった。先生たちもシマ子には一目置いていた。シマ子はだれよりも泳ぎが上手だった。村には水のきれいな川が流れていた。夏になると子どもたちは、その川で泳ぎの練習をしたものだった。
「ほら、こうして。うでを前からぐっとお腹の下をかくように動かして。うでを伸ばしきって水を後ろにおくるの。そうそう、上手。それで身体が前に進むからね」
シマ子は泳ぎをおしえるのも上手だった。兄弟のいないシマ子は、自分の弟か妹みたいに村の子どもたちをかわいがった。「シマちゃん、シマちゃん」みんながシマ子をたよりにしていた。
もう一つ、シマ子が楽しみにしていたのは滝つぼにもぐることだった。川をのぼっていった先に、大きな岩でしきられた滝つぼがあるのだ。水の色が一段深くなっているから、深さはかなりのものだ。父親には、
「危ないから、滝つぼには絶対にひとりで行っちゃだめだぞ」
と言われていた。
「わかってる。ひとりじゃ行かん」
幼い頃、シマ子は母親から泳ぎを教わった。仕事や家事で、朝早くから夜おそくまで働いていた母親だったが、泳いでいる時だけはのんびりと楽しそうだった。二人は姉妹のようにさえ見えた。シマ子がひと通り泳げるようになると、二人は滝つぼにもぐった。母親は、真っすぐに水底に向かってもぐっては、また水面にもどってくる。まるで魚のようだった。シマ子もやってみたがった。
「あんたはまだ息を長く止めていられないでしょ?まずそれができなくちゃ、奥深くまでもぐれないよ」
「わたし、息を止める練習する」
そういっていた矢先、母親は急な病であっけなくしんでしまった。シマ子が三年生の時のことだ。
毎年、夏の終わりに山を下ったとなりの町で水泳の大会が開かれる。今年六年生になったシマ子にとっては、小学校最後の大会になる。シマ子はなんとしても入賞したいと思っていた。
(賞に入ったら、天国の母ちゃんがだれよりも喜んでくれるはずだ)
そう、シマ子はかたく信じていた。
<2>
七月の第一月曜日。校舎のとなりにあるプレハブ小屋(そこが一応体育館だった)で、全校集会が開かれた。校長先生といっしょに小さな女の人が、子どもたちの前に立った。
「だれ?」
「しらない」
整列している子どもたちが、ひそひそ話を始めた。
「静かに」
校長先生の一声で静けさがもどった。
「今日みんなに紹介するのは、新しい保健室の先生です。根津先生が体調をくずされて、しばらくお休みすることになりました。代わりに来ていただいたキュリー・滝川先生です」
小がらなキュリー先生は一歩前に出ると、軽く頭を下げた。ところが子どもたちは皆、あっけにとられたような顔をして、だれもあいさつを返そうとしなかった。それもそのはず、キュリー・滝川はスカートをはき、かっぽう着のような白いエプロンをつけ、頭に白い三角巾を巻いていたものの、人間には見えなかったからだ。一年生のマヤと同じくらいの背丈しかなく、手はだらりと長く垂れ下がっている。背中は丸まり、おばあさんみたいだ。細長い目の内側で、黒目が休みなく左右に動いている。鼻の穴はまっすぐ正面を向き、ペターッとさけた口は耳にまで届きそうだ。
(あれはカッパだ!)
シマ子はそう思った。妖怪の本に出てくる河童に瓜二つだ。子どもたちはキョロキョロと、周りの子の反応をうかがっている。先生たちも、だまって床に視線をおとしていたり、足をパタパタと貧乏ゆすりしたりで、どこか落ち着かない様子だ。校長先生だけが、いつもと同じように赤いほっぺでニコニコしながら、子どもたちに向かってもう一度、声をかけた。
「おいおい。そんなに緊張しなくていいんだよ。さあ、ちゃんと先生にごあいさつして」
子どもたちはてんでバラバラに、小さな頭を下げた。それを見たキュリー先生も、また頭を下げた。三角巾のせいで、頭の上のお皿は見えなかった。
キュリー先生が保健室にいる。子どもたちは
「いつか保健室に行ってみたいものだ」
「もう少しまじかに、あの先生を見てみたい」
と思っていた。でも保健室に行く用事はめったになかった。村の子どもたちは、朝からお米をしっかりと食べ、一日中動きまわり勉強し元気いっぱい過ごしている。気分が悪くなったり、熱を出して保健室にかけこむ子はほとんどいないのだ。
ある日、二年生のたけしがひざ小僧をすりむいた。学校にくる途中、足をひっかけて転んだのだ。ひざには細かな砂つぶがくっつき、うっすらと血がにじんでいる。下駄箱でしゃがみこんでいるたけしを見かけたシマ子は、
「このままじゃいけん。保健室へ行かなくちゃ」
といった。たけしは顔を上げると、まゆを八の字に曲げて、
「シマちゃん、ついてきてよ〜」
と心細げにうったえた。シマ子はほんの少しためらった。キュリー先生に会うのが怖かったのだ(でも…上級生のわたしが怖がってたら、たけしも保健室にいけないな)。
「わかった、いっしょに行くよ」
シマ子は明るい声を出し、たけしの手をひいて保健室に向かった。
保健室のとびらをあけると、すぐに先生が近よってきた。
「どした?どこケガした?」
(うっ、なまぐさい)シマ子は顔をしかめた。キュリー先生は、この前と同じ白いエプロンをつけていた。手には白いゴム手ぶくろをはめている。指のあいだに水かきがついているのか、確かめようもない。先生はたけしのひざを見ると、フフンと鼻から息をはいて
「これ、ぬったら、すぐなおる」
と、棚からこい緑色のぬり薬の入ったびんをもってきた。
(こんな薬、見たことがない)シマ子は目をとんがらせた。いつも根津先生は、赤いイソジンで消毒し、白い軟膏をぬりつけ、ガーゼを傷口に当ててくれていた。それなのにキュリー先生ったら…。緑色のぬり薬は葉っぱをすりつぶしたような匂いがした。シマ子も小さかった頃、おままごとに作ったことがある。家の近くに生えている葉っぱを取ってきては、ままごと用のおわんに入れて、ゴリゴリ、ゴリゴリすったのだ。それとそっくり同じ匂いがする。
シマ子がそんなことを考えていると、
「痛いのがへってきた」
ぬり薬をつけたたけしが、うれしそうにいったので、シマ子はおどろいた。
「そーかい、そーかい。そりゃよかった」
キュリー先生の声はかすれて発音も少しへんだった。が、薬が効いているのを喜んでいるのは伝わってきた。
次に保健室に行ったのは三年生のしのぶだった。お腹の弱いしのぶは、ときどき給食がおわると具合が悪くなる。ミートソースとかカレーとか、慣れない洋風のおかずのあとがいけない。お昼休みになっても席にすわったまま、あぶら汗をたらしている。シマ子が声をかけた。
「保健室いって、みてもらおう」
根津先生は、保健室にこな薬を用意してくれていた。シマ子も一度消化不良をおこした時に、その薬をもらったことがある。すぐには効かなかったけど、一時間ほどベッドで横になっているうちにお腹の痛みは消えた。
(きっと同じ薬があるはず。キュリー先生が探し出せなかったら、わたしが代わりに戸棚を探そう)
シマ子は、根津先生が使っていた引き出しの場所もちゃんと覚えていた。
「どーした?どこわるい?」
とびらをあけると、すぐにキュリー先生がやってきた。お腹をおさえてだまっているしのぶの代わりに、シマ子が説明した。
「よーし、わかった。ちょとまっとれ」
キュリー先生はくるりと向きをかえ、部屋のおくに向かった。(あ、ちがう。そっちにはこな薬はないのに)シマ子がそう思っているうちに、先生は竹で編んだカゴから何かを取り出し、戻ってきた。
「これ、よーく効く。水といっしょに、口いれろ」
先生の指先からたらりと細いものがたれている。干物のようだ。枯れ草のようにも見える。(気持ちわるい)シマ子はウエッと思った。お腹の痛みに気を取られているしのぶは、見せられたものに視線を合わせることすらできない。先生は、洗面台でコップに水をくんでくると、
「はよ、口あけろ」
と、命令した。
しのぶが小さな口をあけると、先生はそれをひょいとほうり込み、口をとじる前にすっとコップの水を流し込んだ。シマ子が止める間もなかった。
「横になっとれ、すーぐ、なおる」
今度はカーテンをひっぱって、ベッドに寝るようにうながした。しのぶは言われるままに、足をズルズルひきずるようにしてベッドまで歩いていった。
五時間目の授業が終わった頃、しのぶが教室にもどってきた。
「すごく楽しい夢を見ちゃった。目がさめたらお腹が痛くなくなってた」(へえ。すごい、あんな薬でなおるなんて)
シマ子はまたしてもおどろいた。これをきっかけに、子どもたちのあいだでは「キュリー先生はたよれる大人だ」という認識が広まっていった。
(つづく)
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