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休職までの、不合格体験記

仕事の重圧から適応障害になり、悩んだ末に上長に相談したところ、

「仕事に人生を賭けるな。何も考えずにしばらく休んで心のストレスを下げてこい。」

と言ってくれたので、現在はお言葉に甘えて休みをもらっている。

私よりも遥かにプレッシャーのかかる人生を送ってきたであろうその上長が、私のストレスに共感してくれた。元から私の理想の上司ランキング1位は小栗旬か私の上長かの2択でしかなかったけど、改めて、本当にこんな人間力のある人いるんだなぁ、という気持ちで、現在は安らかにお休み中です。

現在、休み始めて1週間とすこし。
改めて、今の心境を綴ってみんとするなり。

結局、適応障害との戦い方ってなんなのか

「今日会社行かなくていいんだ…」と思うと、嘘みたいに涙が止まって、ご飯がとても美味しい。そして、ぐっすり眠れる。

休み始めた頃は、全ての行動と感情が「めんどくさい」と書かれた大きな袋の中にホールインワンで、なんのバランスも保てずにいた。

昼くらいに起きて「洗濯物でもまわそうかな」と思いながら結局まわさず寝て、「めっちゃ喉乾いたな」と思って起きて、やっぱり何もせずに寝る、みたいな。そして、ふと思い立って「仕事…大丈夫かな」とslackに手を伸ばそうとしたりすると、反射的に頭が痛くなったり、いきなり申し訳なさで涙が溢れたりした。

理由なく(正確には「仕事」って考えるだけで)、感情が突然にマックスまで振り切れたり、ゼロの感情をイチにすることすらできなかったり。かなりざっくりとした個人の見解ですが、これが適応障害ってことか〜って感じています。

そして、1週間ちょい休んではみたものの、結局、適応障害との戦い方にイマイチ光が刺してこない。これが正直な今の気持ち。

「心のストレスを下げる」って具体的にどうしたらいいのかしら。そもそも心のストレスが下がったかどうかって、どうやったら分かるんだ?

寝て、食べて、父親と話したら心が平穏に戻った気がした。案外、もうちょっとやって行けるのかも、と感じてslackを開こうとすると、やっぱりまだ時間がかかるんだと思い知らされる。

「限界」になるタイミングが分からなかった様に、「限界」から解き放たれるタイミングもうまく掴み切ることは難しいんだなぁ…と、軽めに絶望の日々です。

だんだん疲弊していく時に、特に辛くなった呪い(考え方)2選

振り返ってみて、私にとって一番辛かった時期というのは「だんだん精神が悪化しているのを感じている」タイミングだった。

しっかり「やばい」のを感じつつ、そもそも何がやばいのかがあまり言語化できない上に、いつ誰にどういう風に伝えようか…ということすら冷静に考えることはできないので、ただただ時間が流れてしまい、気がついたら己の火の車が「やべえええええ」と暴走していた。

私の場合、まだ完全復活したわけではないため、「こういう風にしたらいいよ」という合格体験記は書けないのだが、「こう考えるとヤバくなったよ」という不合格体験記的なものであれば書けるので、ここに、私が特に辛くなった考え方を、2選形式で書き残しておこうと思う。

もしも、私と同じような状況の方が読んでいたのだとしたら、いつかのなにかの参考程度にしてください、の思い!ヤーッ

疲弊の5月某日。〜疲弊と縁側の相性が良すぎて〜

①結局、「無理」って「身体的に無理」になってからじゃないと言っちゃいけないのでは、の呪い

私の場合、仕事の重圧でどんどん精神的に悪化するのは感じていたけど、物理的(身体的)には会社に行けていた。

目覚ましが鳴れば朝起きて、会社に行く準備をして、会社に着いたらパソコンを開く。最低限だがそれができていたし、何よりも、責任感やら使命感やらで、思考回路が「辞められない、止まれない」の悪魔的カッパえびせんムーブだったので、「どうしたら元の自分に戻れるんだろう…」とぼんやり考えるに至っては、とにかく気合いを入れて進むしかなかった。

結局、私はこれまでの人生で、熱が出たり体調が悪くて布団から出られなくなった時にしか「休む」という選択肢を取ってこなかったので、「身体が動く=まだ行ける」の価値観しかなくて、いつ「無理」って言って良いのか分からなかったのだ。

だから、「もう無理です」って、いつ、どうなったら使える言葉なんだろう…と、気持ちが落ち込んでいく一方で、「まだ身体が動く=まだ頑張れる」の方程式が成り立っている以上、無理って言っちゃいけないんだろうし、それならば「どうやって戻るか」を考えなければ行けないのだ、という思考回路の中で、日に日に潰れていった。

また、地味に結構トドメになったのが、「リーダー職とか本当にできる気がしないわ…無理…w」と、ちらっとこぼしてみた時の、職場外の友人の反応。

「やってみないと、無理かどうかは分からないよね。
自分だったら、絶対逃げたりしないけどね。」

と、サラッと言われた。

うん、確かにね。
納得感は、めっちゃアリ。

私の聞き方の温度感も良くなかった。そして、そこまでお互いを深く知っている関係性でもなかったので、話す相手も間違えたと思う。笑

ただ、あんまり深くない相手にちょっとふざけて言ってみるくらいなら、良いよね〜の気持ちで、割と頑張って呟いてみた返事がこれだっただけに、結構グサっと刺さってしまった。

今「無理」って言ったら、「逃げた」って思われるんだ・・・。
限界って、どこなんだろう。無理って、どこ?

布団から動けなくなったら、流石に無理ってことだと思うけど、、、
その手前で「無理」って言っちゃいけないの?

②こんな状況下でもできている人がいるのだから、私もきっとまだ頑張れる、の呪い

「やばい辛いな〜」と思って「適応障害 症状」とか「うつ病 前兆」とか、鬼の形相で通退勤時にググりまくっていた時に目にしたのは、実際の症状も去ることながら、実際に適応障害やうつ病になった人たちの過酷すぎる労働環境と彼らの強すぎる忍耐力だった。

ある人は200人くらいの巨大部活の部長をしていて、みんなの思いを一心に背負っていたりだとか、ある人は月平均残業時間を100時間以上する生活を1年以上していたりだとか。あとは、超縦社会の中で冗談すら言うことが許されない会社にいる人とか。

色々な人の体験談を見ているうちに、正直、
えっ・・・自分甘っちょろすぎなんじゃ・・・みたいなことになった。

結局のところ上には上がいるし、限界のラインは人それぞれ。こんなもん、小学生の段階で気がつけることだが、それは、余裕がないと分からなくなってしまうわけで。色々見ている内に、なぜだか「こんな状況でもできている人がいるんだから、自分も頑張らないといけない」と思うようになった。

ただ、やっぱり人によって限界は違うのだ。

今の私ができるラインは、「すごい人たち」とは違っていた。だけど、それに気が付かずに頑張ろうと思ってしまったが最後、「頑張ろう」と「やっぱりできない(大号泣)」の、感情のMAXとLOWをすごい頻度で上り下りすることになってしまい、どんどん感情が崩されていった。

真面目で頑張っている人と一緒にいる時、「自分も頑張らないと」っていう奮い立つ気持ちよりも、なんか疲れちゃうな〜という感情が先行し始めた時は、なんとなく、心のアラートなんじゃないかと思っている。

適応障害かもって思っている人に伝えたいこと

私が適応障害の診断を受けたあと、過去にうつ病と戦っていた友達たちにかなり支えられ、現在は「限界は脱している」と精神科の先生に診断を受けるまでに至ることができた。ありがとうだ…。

そんな私が、適応障害かもしれない、と思っている人に伝えたいことを最後に書いて終わりたいと思う。

それは、適応障害かも…?もしくは、適応障害ですよ…! と診断された人は、本当に、勇気を振り絞って、お休みをとってほしいんだ、、、ということ。

適応障害であれば、数ヶ月で元に戻ることができると言われているが、うつ病になると、体感では精神的なキツさは数十倍となり、回復にかかる時間も年単位になるらしい。

そして、適応障害の症状に多い、「うまく頭が働かない」とか「寝られない」諸々のことは、何を解決策として提示されたとて、ポジティブには向いていかないと思っている。休まない限り回復できない、そう思ってほしい。

うつ病を経験した友人は、心の割れ方を「花瓶が割れた」と表現したが、適応障害から一歩下がってしまうと、精神的に取り返しがつかなくなってしまうということになる。

前回も全く同じことを書いたけれど、人生はクソみたいに長いし、何歳であれ私たちはまだまだ若いのだから、絶対に、絶対に、取り返しがつかなくなるまで何かを続けてはいけない、と私は思う。

しんどいなって思っている人は、
それをチラッと心に留めておいてほしいな!の思い!ヤーッ

友人の「花瓶が割れた」メモ。
階段からコロコロ落ちていき、ある日突然真っ逆様。


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