なんとなく、ずっと野球があった。
子供の頃、家から10分ほどのところに野球場があった。最寄り駅まで歩くよりも近い、ホントにご近所だったから、プロ野球のデーゲーム観戦に家族でよく訪れた。対戦カードはいつも、新聞屋さんが嬉々としてチケットをくれるパ・リーグの試合。
当時のパ・リーグ主催試合の外野ビジター席なぞは、ベンチシートで延々ドンじゃんけんができるくらいガッラガラだったので、私たち姉妹の気分は完全にピクニックだ。
母が作った肉味噌おにぎりを食べながら試合を眺める。飽きたら今度は縦方向、階段の下から上までグリコ。そんなしてたって誰にも怒られない、のんびりしたもんだった。
その頃、小学校で毎朝、ニュースを発表させる時間があった。低学年なので社会的な話題であれば、難しいニュースである必要はなく、天気予報でも前日のプロ野球の試合結果でもなんでも良い。だから、野球大好きっ子たちがこぞって発表したがったのが、巨人戦の試合結果だ。
けれど私は、週末に観に行った日ハムvs南海の試合を「7回に”かどた”が逆転ホームランを打った」とか、誰も知らない途中経過付きで発表して、悦に入る。
自ら野球をしなくても、住んでたマンションの庭で野球に興じる男子たちの打球は我が家のベランダに年がら年中飛び込んで来ていたし、いつの間にかルールやプロ野球選手を覚え、毎晩テレビでナイターを観ては、父とああだこうだ言う日常は、わりと楽しかった。
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記憶にある限り、生まれて初めて映画館で観た映画は「がんばれ!! タブチくん!!」だ。プロ野球選手・田淵幸一氏をモデルにした、いしいひさいち原作ギャグ漫画のアニメ映画。
当時、幼稚園生だと思う。まだ野球のルールはあまり知らないのだが、それでもとにかく面白くてケタケタと大笑いした。母親曰く「前の席にいたカップル、映画じゃなくてあなたの顔見て大笑いしてたわよ」と。
がんばれタブチくんで刷り込まれてたから、その後テレビで観た本物の田淵幸一さんが、三枚目どころか、驚くほど格好良い二枚目で、それは少しだけがっかりした。
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10代前半の頃は、社会人野球が盛んで、父につれられ、何度か都市対抗野球の応援にも行った。日本全体の経済状況が良い時代だったから、企業スポーツも元気だ。席には応援グッズが沢山配られて、ほとんどお祭りだった。
なんたってその頃の社会人野球には、野茂、与田、潮崎、佐々岡・・といった、後に球界を代表する個性あふれる名選手がゾロゾロいたのだから盛り上がらないはずがない。
私は、特定の贔屓チームを持っていなかったし、野球だけが好きなスポーツだったわけでもない。
でもなんとなくずっと、野球は、そのへんにあった。
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大学でゆるい野球サークルに参加してスコアの書き方を覚え、時々スコアラーをした。夏に関西に行くついでに甲子園で高校野球を観てきた。そのくらいには野球のそばにいたつもりだった。
だが、徐々に、テレビで野球中継を見る時間も無くなり、球場観戦も数年に1回程度に。
仕事をし、恋愛し、遊び、あちこち飛び回り、結婚し、息子が生まれ、日々の生活に追われ、気がつけば、なんとなくそのへんにあったはずの野球を、なんとなく見かけなくなっていたような気がする。
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でも、息子が小学3年生になる頃、地元の少年野球チームに入団することになって。
その途端、突如として、私の近くに野球が戻ってきた。
息子のチームの毎週土日の練習や試合。お当番にスコアラーに、夏には合宿のお手伝い。
毎晩ネット配信サービスでプロ野球のナイターを眺め、神宮球場の空気の虜になりヤクルトスワローズのファンクラブの会員になったし。ときには戸田球場の試合を観るため荒川沿いを延々と自転車で走ったり。
ああ、野球だ。
見失いかけてた、野球は、やっぱりそのへんにあった。あってくれた。
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なんで野球を観るのが好きなの?
そう問われたら、困ってしまう。私にとって野球を観ることは、音楽を聞くことや本を読むことと同じだ。
本を読みたいから読む、音楽を聞きたいから聞くように、野球を観たいから、観てる。
気がつけば、そこにある野球を観ているだけ。それだけで幸せだから、どうか今年も、これからも野球がずっと側に、あって欲しい。
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2019年のシーズンオフにアマプラで公開されてたこのコンテンツ。そこそこ昔、昭和のプロ野球についてのゆるーいトークバラエティ。
もとプロ野球選手のおっさんたちが好き勝手喋ってて、何度観ても笑えます。
プロ野球 そこそこ昔ばなし
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2021.11.11微修正