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桃始笑
目の前の白い画用紙に色とりどりの花が咲く。
次はどの色にしようかとクレヨンの箱に手を伸ばしたとき、ふぇ…という小さな声が耳に届いた。
立ち上がり襖をそっと開けると、隣の部屋の中央に敷かれている薄黄色の布団の上にはちっちゃな山が一つ。徐々に大きくなるその声を聞きつけて、台所からやってきた母がそっと抱き上げてトントンと背中を叩きながら小声であやしている。
その母の背中越しに、妹の濡れた瞳と目がった。
ふにゃふにゃと言葉にならない何かを発しながらもぞもぞと身をよじり、小さなその腕をこちらにむかって伸ばしている。
「あぅ…あー…」
「んー?あ、お姉ちゃんのとこに行きたいの?」
妹の視線を追って振り返った母は、私の姿を捉えるとゆっくりとこちらに近づいてきた。
しゃがんだことによって近くなったその瞳は長いまつ毛に縁どられていて、瞬きをするたびに雫がはじけてキラキラしている。
「わぁ、上手に書けてるね。」
机に置きっぱなしの画用紙を空いている方の手に取り、しげしげと眺めた母はこのお花が可愛い、この色が綺麗だと隅々まで見て褒めてくれる。
すると抱かれたままの妹がその手を伸ばして画用紙を手に取った。
「桃子も見てみるー?お姉ちゃんが書いたお花だって。」
じーっと画用紙を見つめた後、指でそれをなぞる。何度か繰り返すと、クレヨンがほんのりと指にうつった。鮮やかになった指先を見つめた妹は何がそんなに面白かったのか、先程までの泣き顔が嘘のように、ころころと笑い声をあげはじめた。
「お姉ちゃんの綺麗なお花見れて、桃子も嬉しそうね〜」
「ももちゃん、お花好き?」
「ぁぁう!」
「お花もお姉ちゃんも大好きなのね〜」
母の腕の中から伸ばされた小さな指が、私の指をぎゅっと握る。カーテンの隙間から射し込む光が雫にあたってキラリと光った。
「お姉ちゃん?」
はっと顔を上げると、綺麗にメイクした妹がこちらを覗き込んでいる。
「どうしたの?ぼーっとして」
「ううん、別に。」
「そう?もしかして寝不足?」
笑う妹の手には、繊細な白レースに包まれた淡く可愛らしい花束が1つ。
身に纏っている純白が光の中でキラキラと揺れる。
少し離れたところに座っている父と母は既に涙腺をやられているようだ。
側のテーブルに置いてあるシルクのグローブを手に取り、シンプルながらも綺麗に整えられたネイルを見つめながらそっと通していく。
「あんなに小さかったのになぁ…」
「えー?お姉ちゃんまで泣くの?」
「泣かないよ。」
両方通し終わると、不意に指先をきゅっと握られる。薄い布越しに感じる温かさは幼い日に感じたそれに少しだけ似ていた
「ありがとう、お姉ちゃん。」
「何よ…」
「…お姉ちゃんがいてくれてよかったな、って。」
数え切れないほど口喧嘩をした。
服をたくさん貸し借りした。
両親が寝静まった後こっそりお菓子を食べながら恋バナをしたり、仕事の愚痴を喋りながら呑み明かしたり。
笑い顔も泣き顔も、ずっと隣で見てきた。
「これからもいるって。」
「……うん…」
「…泣いたらブスになるよ…!」
「花嫁にブスって言うー?」
綻ぶように笑う妹の瞳は、あの時と同じようにキラキラと光っていた。
啓蟄
桃始笑(ももはじめてさく)
桃のつぼみがほころび、まるで「笑う」ようにその花が咲き始める頃。