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雷乃発声
「わ、どうしたの?」
「急に降ってきたんだよ…もうびっちゃびちゃ。」
玄関先に佇むその姿を確認し、脱衣所へと向かう。
棚から畳みたてのバスタオルを手に取り再び玄関まで戻ると、少しでも水気を切ろうと服の裾を絞っている最中だった。
「はい。とりあえずタオル。」
「ありがと。志穂は?降られなかった?」
「今日はちょっと早く帰れたから…」
「そっか。そりゃよかった。」
頭をやや乱暴に拭いている真也の腕から、ずぶ濡れの上着を受け取り洗濯機へと放り込む。
張り付いてなかなか脱げないシャツの袖を引っ張り、マットを濡らさないよう靴の上に丸めて置かれた靴下とまとめて洗濯機に入れたところで、背後から盛大なくしゃみが聞こえてきた。
「お風呂沸かしちゃうから。」
「シャワーでいいよ。」
「とりあえずシャワー浴びて、湯船できちんと浸かって温まったほうがいいよ。風邪ひいちゃまずいでしょ?」
「うん…ありがと。」
「いえいえ。」
浴室の電気をつけ、同時に浴室暖房のスイッチもいれる。
スポンジに洗剤を付け、軽く浴槽を洗う間も玄関先からはカチャカチャとベルトを外す音や、濡れてしまわないように鞄の中身を出しているのかジッパーの音やガサゴソと物音がしている。
「もうすぐ終わるよー。」
「分かったー。」
給湯器をつけシャワーで浴槽を洗い流すうちに、湯気が立ち昇り始める。シャワーを止め、お風呂の栓がしっかりはまっていることを確認してから湯沸かしボタンを押すも、肝心の真也がやってこない。
「お風呂いいよー。」
呼びかけてみても何の返答もない。
足ふきマットで水気を取ってから玄関へ向かうと、床一面に広げられた書類や財布などがあるだけ。
「真也―?」
とりあえず丸められたズボンを手に取り廊下から洗濯機へ投げ込み、そのまま短い廊下を進む。
遠雷の音が小さく聞こえ、薄暗い室内に刹那、鋭い光が入り込む。
突き当りの扉を開けるとパンツ一丁の姿でキッチンに佇む後姿。その手にはコンビニのビニール袋が握られており、最近私達がはまっているアイスのパッケージが透けて見えていた。
「ほら、お風呂いきなよ。冷えちゃうよ!」
近寄ってその手から袋を受け取ろうとしたその時、何気なく彼の視線の先を追った。
中身が見えないよう、わざわざ透明度の低い袋で二重にしたものの、鍵の回る音に驚き慌ててゴミ箱に捨ててしまったので袋の結び目が緩み、隙間から少しだけ箱が覗いてしまっている。
急いでゴミ箱の蓋を閉めようと伸ばした手を掴まれる。
「…志穂…これ…」
「…いや、あの〜…」
「…ほんとに…?」
手首を掴む手が震えているのは、寒さからか衝撃からか…恐らくその両方だろう…
確信を持ってから、と思っていたが見られてしまったのでは仕方がない。何より、これ以上パンツ一丁のまま立ち尽くされては本当に風邪をひいてしまう。
小さく息を吐き観念して顔を上げると、こちらを見下ろす真剣な眼差しと目があった。
「まだ絶対とは言い切れないけど…たぶん…そうだと思う…」
「……………」
「明日病院行ってくる。」
「……まじか…」
するり、と力が抜け手首が解放される。真也はそのままフラフラと近寄りその胸に私を引き寄せた。
「どうしよう……」
震える声と共に吐き出された熱が首元を擽る。
「泣きそう…」
そう言いながら既に鼻を啜っている。
あやすようにそっとその背中に腕を回すと、ひんやりと冷たい感触。そこで相手の姿を思いだしグッと力をいれて引き離してみると、目を真っ赤にして唇を噛んでなんとか耐えている顔が見えて、思わず声が漏れてしまった。
「もう泣いてるじゃん!早いって。」
「だって!」
「いいから。先にお風呂入ってきて!風邪ひかれちゃ困るよ、パパ。」
そう言うと、今度こそ顔をくしゃくしゃにして先程よりも強く私も抱きしめた。
もう雷は鳴っていない。
じき雨も止むだろう。
代わりに今私の肩を濡らしている張本人を浴室に押し込むべく、彼の腕をつかむ手に力を込めた。
春分
雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)
春の訪れを告げる雷、「春雷」が鳴り始める頃。